知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『インパクト時の呼吸 4(野球界、ベーブvs イチロー vs 大谷)』『11冠達成「スケールが違うので、なにか新しい賞が必要」と!』

2021-12-01 08:07:17 | スポーツ

『インパクト時の呼吸 4(野球界、ベーブvs イチロー vs 大谷)』

『「永遠の野球少年」「異次元のヒーロー」とか、いろいろ言うが!

『11冠達成「スケールが違うので、なにか新しい賞が必要」と!』

 

息を吐きながら打ちます。 今、現在、知っているのはイチロー選手と大谷選手だけです。 比較するのも、おこがましいですが、ゴルフで真似をしたことがありますが、なかなか継続ができません。

 

このシリーズのブログをご覧いただいているご年配の婦人方から『今ではMLBを観るようになりました』と、ご連絡を頂きました。 とにかく想像を絶する幅ひろいファン層です。

ウエブ情報から引用

 

ベースボール・ダイジェスト誌の野手部門最優秀選手

ベースボール・アメリカ誌の年間最優秀選手

コミッショナー特別表彰

選手会の年間最優秀選手

同ア・リーグ最優秀選手

スポーティング・ニュース誌の年間最優秀選手

シルバースラッガー賞(ア・リーグDH部門)

ア・リーグ最優秀選手(MVP)

オールMLBチーム・DH部門(ファーストチーム)

オールMLBチーム・先発投手部門(セカンドチーム)

⑪最優秀DH打者賞の「エドガー・マルチネス賞」

 

既に、地球人を、超えて宇宙人です。

(記事投稿日:2021/12/01、#435)

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『相撲界のスーパースター・第58代横綱千代の富士の凄さとエピソード』 『突っ張りと張り手を連発した関脇寺尾を土俵の中央で吊り上げ叩きつけた』

2021-11-26 22:05:50 | スポーツ

『相撲界のスーパースター・第58代横綱千代の富士の凄さ』

『突っ張り張り手を連発した寺尾を土俵中央で吊り叩きつけた』

ウエブ情報から引用

スーパースター・第58代横綱千代の富士関は、いろいろ話題・噂はありますが、やはり苦境を乗り切り偉大な成績を残した力士です。 脱臼癖の肩を筋肉の鎧で覆って大活躍された大横綱・千代の富士 貢関のプロフィールです。

本名 秋元 貢(あきもと みつぐ)

愛称 ウルフ、昭和最後の大横綱

生年月日 1955/06/01、没年月日 2016/07/31(61歳没)

出身 北海道松前郡福島町

身長 183cm

体重 126kg

BMI 37.62

得意技 右四つ、寄り、上手投げ

生涯戦歴 1045勝437敗159休(125場所)、勝率0.661

幕内戦歴 807勝253敗144休(81場所)、勝率0.761

優勝 幕内最高優勝31回、史上3位

 

70年秋場所初土俵。 74年九州場所新十両、75年秋場所新入幕。 80年夏場所新小結、80年九州場所新関脇。 81年初場所初優勝で大関昇進。 名古屋場所で2度目の優勝を飾って58代横綱に昇進した。 優勝31度88年夏場所から昭和以降3位の53連勝。 89年に角界初の国民栄誉賞受賞。 通算在位125場所。 1045勝は史上2位で437敗170休。 三賞7度。 金星3個。 91年夏場所限りで引退し、92年4月に年寄九重を襲名して部屋を継承した

脱臼癖と言えば、思い出すのは、アメリカのアクション映画『リーサル・ウエポン』です。 主人公の刑事が立ち回りで、肩を脱臼すると、壁に肩を叩きつけて、自分で治すシーンを思い出します。

時代が「もののふ」を希求、時代は必ず、稀代の「もののふ」を登場させた。 「もののふ」第58代横綱の、日刊スポーツ記者の記事の抜粋です。

『「一にも二にも腕立て伏せ1日1000回」、相撲担当になったのは1983年で、千代の富士はすでに横綱で7度優勝していた。 新米記者には近寄りがたい存在だった。 ただし、あくまで個人的に親近感を持っていた。 千代の富士は本土俵だけで7度、そのうち横綱になってからは4度脱臼した。 ほとんどは左肩だが、右肩も1度ある。

83年夏場所の幕下時代に初めて肩が抜けた。 花道で痛みにうずくまったが自然と入ったため、湿布を貼って医者に行かず癖になった。 千代の富士は3人の医師から「手術すると半年稽古できないから、筋肉のよろいをつけろ」と言われた。 1日1000回の腕立て伏せをノルマにした。 

北海道松前郡福島町で秋元家の長男として生まれた。元横綱千代の山とは同郷であり、それがのちの人生を決めることになった。 漁師の父を手伝って舟をこぎ、海に潜ってアワビを捕り、足腰に心臓も鍛えられた。 スポーツ万能、特に陸上の跳躍競技で活躍し、14歳で町内相撲に出て優勝した。 

台東区の福井中に転校して、本名の秋元で70年秋場所、初土俵踏んだ。 今は禁止の中学生力士で、身長177センチ、体重71キロだった。 同期は37人いたが一番出世。 序ノ口は大秋元、次の場所で千代の山と北の富士を合わせた千代の富士と改名しのちに初の5文字関取となった。入門時の約束で明大中野高に進学したが、71年名古屋場所で初の負け越し。 「中途半端、相撲1本で行く」と1学期で中退した

  • 兄弟子北の富士が命名した「ウルフ」

ケガはあったが出世は順調だった。 4年でのちにライバルとなる隆の里とともに新十両となり、5年で幕内に昇進した。 まだ20歳で昭和30年代生まれとしては初の幕内だった。 筋肉質の体に精悍(せいかん)なマスクもあり、期待のホープとなったが負け越し。 十両に落ちると右腕を痛めて幕下まで陥落した。 入幕後に幕下まで陥落した唯一の横綱になると、誰が予想しただろうか。

2場所で十両に復帰はしたが、伸び悩んでいた。 77年10月には師匠が51歳で急死する不幸にも見舞われた。 すでに引退していた兄弟子の北の富士は74年に井筒部屋を興していた。 急きょ部屋を合併させて、九重部屋を継承することになった。 ウルフの名はこの北の富士の命名だった。 入門してくると「オオカミみたいだ」と言ったのが始まりだった。

元は兄弟弟子だった2人が師弟関係になったのは、大きな転機になった。それまでは観客受けして快感でもあった、左上手をとっての強引な投げに固執していた。 新九重親方のアドバイスもあり、右を差し、左前ミツを浅くとって、頭をつけて引きつけての速攻にモデルチェンジ。 強引な投げから一気の寄りの相撲へと変身が花を開かせた。 千代の富士は左手小指のツメは切らなかった。 「まわしは小指でとれ」が基本で脇を締めるため。千代の富士は擦り切れて切る必要がなかった逸話が残る。(続く)

当該の語り草としても有名な一番は平成元年九州場所の出来事でした。現行の決まり手に当てはめると「送りつり落とし」という、しかも土俵中央で豪快無比に決めていますので、明らかな実力差がないとあのような芸当は成し得ない大技でした。 取り口序盤には寺尾が得意の速射砲ばりの突っ張りを連射しているものの、ことごとく千代の富士は当てがいつつ受け身での横綱相撲の安定感ぶりで対処していたのも印象的でした。 背景には、千代の富士に省エネという思惑が働き、余力を温存させつつ賜杯奪還を狙い、確実に勝率を高める算段も視野に入れていました。 案の定、格下の寺尾に注射を持ち掛けましたものの、ガチで挑みたい寺尾にそれを拒否され、千代の富士にとってはプライドを傷つけられたも同然で、見せしめ的に捕まえて後ろを取ると高々と寺尾の体を持ち上げ、土俵中央に叩き落とすという制裁に出ました。 八百長横綱と懐疑の目で悪評される千代の富士ですが、ガチでの強さが十二分だったからこそ、星を買い向かえたわけで、そのように揶揄されるのは絶対的な強さの裏返しであるとも証明できるのです。

寺尾はその敢闘力士のイメージ通りに、千代の富士とは常に熱戦を演じました。あの有名な、張り手を交えた突っ張りで千代の富士を怒らせてしまった寺尾が、後ろから抱え上げられて吊り落とされた相撲・・・。

繰り返しになります。 『いろいろな話題・噂がありますが、それだけではあの成績は残せません。』

 (記事投稿日:2021/11/25、#431)

 

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『インパクト時の呼吸 3(野球界、ベーブvs イチロー vs 大谷)』 『「永遠の野球少年」「異次元のヒーロー」とか、いろいろ言うが』

2021-11-21 08:34:05 | スポーツ

『インパクト時の呼吸 3(野球界、ベーブvs イチロー vs 大谷)』

『「永遠の野球少年」「異次元のヒーロー」とか、いろいろ言うが

『この記事の最初の投稿日は2019/06/09、凄い大谷二刀流の軌跡』

 

子供ファンに囲まれる大谷翔平選手

ウエブ情報から引用

米大リーグで今季、ベーブ・ルース以来103年ぶりの「2桁勝利、2桁本塁打」に挑んだエンゼルスの大谷翔平選手(27)。 今季の登板は終わり、自身初の10勝には届かなかったが、23試合に投げて9勝2敗の成績を残した。

 

11月19日、MLBは21年度のMVPを発表。 エンゼルスの大谷選手のMVP受賞が満票で決まった。 日本人では01年のイチロー以来の快挙となった。 今季の大谷は野手として、155試合に出場し、46本塁打、100打点、打率.257と、投手としては9勝2敗、防御率3.18、130回 1/3、156奪三振と、異次元というべき数字を残していた。 そしてイチローの01年の成績は692打数242安打、8本塁打69打点、打率.350、56盗塁と、首位打者、盗塁王、新人王は同時受賞をしていた。

 

スポーツジャーナリストの声・異次元の証明が、これです。 『ショウヘイは完全なベースボール・プレーヤーだ。 100マイル(約161キロ)を超えるボールを投げ、100マイルを超える打球速度で400フィート(約122メートル)以上の飛距離を打つ』と。

 

この大谷選手は、『永遠の野球少年」、「武士の中の古武士」、「世界中の少年の憧れのスーパーマン」とも例えられそうですが、この4年の間の苦難(投げられなかった2019年、投打とも不完全燃焼の2020年)と、凄まじい精進と、努力を再認識したいと思います。  更に驚くべきことは、2021年の成績さえも満足していないという発言もありました。 まさに異次元の世界です。

 

日本JBLの成績(4年間通算)

          登板 勝利 敗北 防御率  打数    安打 打率  本塁打

2013~2017  85     42     15     2.52 1,035   296   0.286  48

 

米国MBLの成績

      登板 勝利 敗北  防御率 打数   安打 打率 本塁打

    2018    10    4       2       3.31    326    94    0.285    22

  2019    -  -      -    -       384   110   0.286    18

     2020      2     0       1     37.80    153     29   0.190      7

     2021    23     9       2       3.18    537   136    0.257   46

 

『大谷翔平ならベースボールを変えた「偉大な5人」に入る』と、報知新聞社の

 2021/11/20 の報道です。 スポーツ報知/報知新聞社 大谷翔平(ロイター)

 

大谷の大活躍は球史にどう位置づけられるのだろうか。米大リーグの歴史に詳しいヒルマニアは、5本の指に入る偉大さであり、ベースボールを変える出来事だと指摘した。

 

米国民はいつの時代もランキングを作るのが大好きな人種である。 2004年に発刊された2674ページにもわたる大著「トータルベースボール」には、米大リーグの重要な100人を独自に選出している。それによると

〈1〉ベーブ・ルース(通算714本塁打を放ち、球界に本塁打ブームを巻き起こした)

〈2〉ジャッキー・ロビンソン(黒人など人種の壁を破った選手)

〈3〉アレキサンダー・カートライト(野球の規則を作った人物)

〈4〉マービン・ミラー(選手会理事長として労使交渉のリーダーシップをとって地位           向上に貢献)

〈5〉ブランチ・リッキー(ファームシステム確立&前記ロビンソンの登用)となって           いた。

 

当時メジャー4年目のイチローは56位、野茂英雄は入っておらず、逆に日本球界で通算868本塁打を放った王貞治が71位に入っていた。

その後の球界で彼ら上位5人に食い込むような人物は現れなかったが、今年の大谷翔平は旧来の先発投手の概念を変えた。過去、6例しかなかった先発登板時にDHを解除して打席に入ったのが19試合(他に交流戦でナ・リーグ本拠地で1試合)。それに加え登板翌日にもDHとしてフル出場。9勝を挙げた一方で合計46本塁打に26盗塁をマーク。リーグ最多の8三塁打だけでなく、アグレッシブなランニングでユニホームを汚しながらの数々のプレーは、野球少年がそのまま成人したような、ベースボール本来の“打って投げて走って”を実践した。

 

ただ、投打二刀流で比較されるルースは登板中を含め1918年に計781イニング、翌19年には計1100イニングもグラウンドにいたが、大谷はわずか138回2/3だけ。この点だけマイナスポイントだが、実は投打で対戦した人数をカウントすると計1172 打席となる。この数字はルースの1042打席(18年)、1113 打席(19年)を上回っており、いかに多く投打で対決したかがうかがえる。

 

投手だけで考えると300回を超える投手はこの数字を超えるものの、1999年に271回1/3を投げたランディ・ジョンソン(Dバックス)の1183打席以来の数字になるのだ。

 

米球界にとどまらず、大谷は米プロスポーツ界からも注目を浴びて、AP通信選定の最優秀運動選手賞の候補にもなろうとしている。 今後、大谷を抜けるのは大谷しかいない。この活躍を何年も続けていけるようなら、前記ランキングの5番目に入ることも夢ではないだろう。

(ベースボールアナリスト・蛭間豊章)』

 

昨今、米国と日本、否世界中を明るくしてくれるニュースです。 経済効果が,『どうのこうの』という現実から少し離れて、異次元の大谷選手に、来シーズンも『大リーグ』での大活躍を見させていただきましょう。

(記事投稿日:2021/11/21、#426)

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『野球だけが、フィールド・マネジャー(監督・管理者と)呼ぶ』 ―他は、コーチ、ディレクター、トレーナー(指揮官、指導者)と呼ぶなぜ?―

2021-02-23 20:45:06 | スポーツ

 『野球だけが、フィールド・マネジャー(監督・管理者と)呼ぶ』

   ―他は、コーチ、ディレクター、トレーナー(指揮官、指導者)と呼ぶなぜ?―

 

 野球の歴史は、12世紀が起源とされています。野球の歴史の発祥の国はイギリスとされていて、現在の野球の形はアメリカで誕生しました。 日本やアメリカにプロ野球チームができたことでルールは徐々に改正されていき、野球の道具も進化し現在の野球の形へと近づいていきます。

  予てから、思っていました。 野球とソフトボールには、団体競技の中にかなりの個人対決の要素が含まれているように思っています。 もちろん保守の配球の読みも入りますが、やはり打者と投手の対決は、個人対決の要素も入っています。 これからの、過去の名勝負伝の調査が楽しみですと、同時に、表題『野球だけが、フィールド・マネジャー(監督・管理者と)呼ぶ』―他は、コーチ、ディレクター、トレーナー(指揮官、指導者と)呼ぶなぜ?―の今後の調査を頑張ります。

ウキペデイアから引用

1866年にエリシアン・フィールズで行われたミューチュアル・クラブ対アトランティック・クラブの試合を描いたリトグラフ"The American National Game of Baseball"。

 

アメリカでの誕生と発展が、野球の監督・管理者を、『フィールド・マネジャー』と呼ぶようになったと思います。 日経新聞の文化欄にスポーツ文化評論家の玉木正之氏がアート・オブ・ベースボールの中にこう書いています。

 

『子供のように無心になってボールを投げ、ボールを打ち、ボールを追う。 そんな選手たちを、ひとつの野球チームにまとめるには、監督の存在が不可欠。 数あるスポーツのなかで、勝利を目指してチームをまとめ、けん引する存在をフィールド・マネジャー(監督・管理者と)と呼ぶのは野球の特徴だ。 他はスポーツでは、コーチ、ディレクター、トレーナー(指揮官、指導者)などと呼ばれている。

 

 更にこう続けている(子供の野球と古き良き時代の野球でしょうか)、

が、他の球技やスポーツと違って野球の選手たちは指揮官や指導者の命じるままには動かない。 必死にプレイする「子供」たちが伸び伸びプレイできるように見守って(管理監督して)やる必要がある。

 

 そこで野球の監督は、子供のような選手たちを率いる、父親的存在となる。 その典型がヤンキースを率いてワールドシリーズ優勝七回を残したケーシー・ステンゲルだ。 「まだ疲れてません」と交代を拒否するマウンドの投手に向かってステンゲルは言った「見ている俺が付かれたから変わってくれ」。 

  日本でも三原、水原、鶴岡、川上…と、プロ野球の名監督はすべて父親的だった。 が、そんな監督は野村克也で最後になった。

 ”野球の神様”と称されたニューヨーク・ヤンキ-スの名監督であり、選手時代はそれほど注目を集めたプレイヤーではなかったものの、監督になってからは、ヤンキースをリーグ優勝10回、ワールドシリーズ制覇7回に導き、その優れた戦術は、現在の野球界に大きな影響を与えた。また、監督時代に付けていた背番号「37」は12年間監督を務めたヤンキースと、新設から4年間、初代監督を務めたニューヨーク・メッツで「永久欠番」に指定されていることのこと。1966年にアメリカ野球殿堂入り。(参考文献:ウィキペディア+Amazon.co.jp)

 ウエブ情報から引用

やはり凄い『ケーシー・ステンゲルの名言、ふたつ』

『みんな、そんな事、無理だと言う。 でも、いつも無理だとは限らない・』

『運なんてものは、練習をたくさんやった奴のおまけなんだ。』

 

ウエブ情報によると日本のプロ野球監督の総合ランキング

1位 「川上哲治」 32.9%
2位 「野村克也」 32.4%
3位 「仰木彬」     22.5%
4位 「広岡達朗」 18.6%
5位 「星野仙一」 17.5%
6位 「森祇晶」     15.3%
7位 「古葉竹識」 14.9%
8位 「王貞治」     14.5%
9位 「西本幸雄」 14.1%
10位 「長嶋茂雄」  9.0%

一位と二位は拮抗していますが、野村伝説はまだまだ進化するでしょう…。

アメリカと野球は、いろいろ世界を豊かにします。

   (20210223纏め、♯291)

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『お金で歪むスポーツの世界 1 これをマスメディアが加速』ーオリンピックから見えてくる、現代のマスメディアとスポーツ競技会の関係ー

2021-02-04 08:35:56 | スポーツ

           『お金で歪むスポーツの世界 1 これをマスメディアが加速』

ーオリンピックから見えてくる、現代のマスメディアとスポーツ競技会の関係ー

 

先ずは、プロボクシングのファイトマネーのこと、ウェブ情報から;以前に、

フォーブスは「世界で最も稼ぐスポーツ選手」2015年版ランキングを公開した。 1位に立ったのはボクシング界の帝王、フロイド・メイウェザー・ジュニア。 ラスベガスで開催された対マニー・パッキャオ戦も記憶に新しい彼は、年間3億ドル(約368億円)という金額を稼ぎ出し、これまでスポーツ選手としては最高額だったダイガーウッズの記録、年間1.15億ドル(2008年度)を大幅に塗り替えた。

フロイド・メイウェザー・ジュニア 対 マニー・バッキャオ戦

ウキペデイアから引用

古代に、皇帝が自分の保身のための人気取りに見世物として開催した闘技会と、現代のマスメディアとスポーツ競技会の関係を考えると、見えてくる現代のマスメディアの役割と目的(金儲け至上主義)。 さらに驚くのは、選手は負けても、大半のファイトマネーを貰える実例が多くある仕組み。 これは勝者への賞金ではなく出演料(ギャラ)です。 『放映権料・お金がすべて』の世の中です。

 これもウェブ情報ですが;

同じ陸上競技でも、トラックで行う競技(100mなど)は、追い風何メートル以下といった条件が決まっているし、競技条件がかなり限定されるので、『世界新記録』という言葉が使われます。 マラソンなどの場合、その大会ごとにかなり条件が違ってくるので、『世界最高記録』という言葉が使われます。

オリンピックロンドン大会のマラソンコースは殆ど往路・復路が異なる、これを反省したか、リオ大会のコースは、かなりの部分が往路・復路が重なり、2020年の東京大会のコースは、いろいろ回りますが、往路復路は同じです。 

プロのボクシングも、アマのマラソンも、選手の名誉よりもマスメディアの『金稼ぎ』が優先され、選手も Millionaire への最短距離の手段に選ぶようになりました。 マスメディアの視聴率至上主義は、プロボクシングのファイトマネーを過熱させ、マラソンのコースさえも観客動員数を上げるために、街中をグルグル回しました。 この最悪の例が紳士の国・英国のロンドンでした

2004年まではマラソンは世界最高記録というものでしたが、2004年からは一定のコース条件を満たせば世界記録となりました。 例えばずっと下りで一方通行のコースで絶えず追い風が吹いているようなコースは記録が出やすいので新記録と呼べません

 これが主な基準です
1.コースの長さは競技距離より短くてはならず、かつ誤差は競技距離の1000分
の1以下(マラソンでは 42m 以下)。  注)それでも誤差最大42ⅿも。
2.上記の条件を満たすべく、距離の測定にあたっては 1001m をもって

 1000m=1km とする
3.
スタート地点からゴール地点までの標高の減少は競技距離の1000分の1 以

下(マラソンでは 42m 以下) *全体が下り坂基調のコースを禁止するため。
4.スタート地点とゴール地点との距離は、直線で競技距離の 2 分の 1 以下

*一本道の直線に近いコースでは気象条件によっては常に追い風になる可能

性があるため。 往路・復路が同一が基本、なんでも基本は大事にしたい。

マラソンでは、世界最高記録(Best record in the world)から、世界記録(World Record)に変わり、その他の徒競走は、世界新記録(New World Record)となっている。 これでも曖昧さが残りますが、これに慣れることが肝要のようです。

 団体競技に至っては、その違反行為を規制・ジャッジすることは難しいはずです。 イングランド発祥の『アソシエイション フットボール』も『ラグビー フットボール』も世界各地に普及していったが、イングランドが1707年に植民地化を計ったアメリカ大陸も同様だったと考えられます。  素人的に言えば前者に『手を使える』ようにして、後者に『前にボールを投げられる』ようにして自由さを拡大して、パワフルにしたのがアメリカンフットボール(アメフト)です。 20世紀に入ると、このスポーツでの負傷や事故の多さ(死亡事故も含む)が社会的問題となった。 時には「殺人ゲーム」と呼ばれるほど粗野で野蛮なゲームであったため、次第に世間からの非難の声が高まっていったことがあり、改善・改革が必要な歴史があった。 

最近の日本であった、このアメフトでの傷害事件ですが、『ここまでやった根っこ』には『スポーツでお金を稼ぐための個人と組織の拡大と維持至上主義』ではないでしょうか。 アメリカで、ある時期にやった改善・改革のような、広範囲の組織の中での対策が日本でも必須です。

どっかの議員が言いました『それ、カネメでしょ』、ある作家も言っています『金の流れを見れば、すべてが判る』と。       (2018603纏め 20201128追補、20210204追補、#020)

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