知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『「天才」田中角栄元総理のこと(天才の実績の総括的検証は!)』 「批判一辺倒から一転「天才」と著した石原慎太郎氏、本の奇抜な表紙も驚き!」 

2021-08-08 11:39:29 | 読書

  『「天才」田中角栄元総理のこと(天才の実績の総括的検証は!)』

「批判一辺倒から一転「天才」と著した石原慎太郎氏、本の奇抜な表紙も驚き!」

 ウエブ情報から引用

石原慎太郎氏は、現役時代の政界の田中角栄氏をそれ程、評価はしてなかったように見えましたが、最近は変わってきています。 石原慎太郎著『天才』を読んで解ったことです。 

この本を読んでみたいと思ったのは昔、香港に駐在時に、田中角栄氏が首相になったニュースを聞いた見ず知らずの英国人に、香港と九龍を結ぶ、スターフェリーの旅客デッキ上で、突然、尋ねられました『今度の日本の首相は、Secondary School(高等小学校)卒ですね』と、何故か、この後、会話が続きませんでした。 (戦後日本で唯一の『非大卒』『高等小学卒』の総理大臣として知られる田中角栄氏ですが実際には専修学校である中央工学校を卒業しているので最終学歴は『専修学校卒』になります。) 

この会話が途切れた理由ですが、世界中、特に日本・韓国が学歴偏重になっていますが、日本の田中角栄氏が、これからどれだけの活躍をされるか、大いに期待していた時だけに、話かけてきた英国人の真意が読めず、後に、自分の心の隅にしこりが残りました。 『一国の宰相の評価は歴史になってからでないと分らない』と自分に言い聞かせてはいました。 

著名な実績は、

1⃣議員時代に33件もの議員立法を実現、国土開発や電源開発、道路整備等押し進めた。  

「道路特定財源制度」1953年 関連

「鉄道建設公団」1964年 関連

「地震保険制度」 1966年 関連

これらが、次の日本列島改造論』に結実します。 やはり『天才』です。

2⃣1972年『日本列島改造論』を引っ提げて総理大臣に就任。

1972年田中内閣によって打出された構想。 日本の産業構造と地域構造を積極的に  改革して,過密と過疎の弊害を同時に解消し,産業と文化と自然とが融和した地域社会を全国土に広めることを目的とした。 その骨子は,

❶ 太平洋ベルト地帯に集中しすぎた工業の地方分散、

❷ 都市改造と新地方都市の整備、

❸ これらを結ぶ全国的な総合ネットワークの整備、の3点である。  

当時は一方では雄大な構想として評価されたが,他方で公害を全国に拡散するものであるなどという激しい批判も浴びた。 地価対策を講じる前に列島改造論を打出したことは土地の投機を招き,おりからの過剰流動性と相まって狂乱的な地価の暴騰を引起すことになった。 

経済・産業が成長期の『右肩上がり』から成熟期・衰退期『横這い・下降期』に入ることを見据えて、関係官庁は民間でやっている、予算管理や複式簿記的発想の補修・再建造時への備えはあったのか、万事が万事ですが、事後でも結構、定量化した総括的検証が十分されたか考えさせられます。 

3⃣1972年比類なき決断力と実行力で大計の日中国交正常化を実現。

同年9月25日 に、田中角栄 内閣総理大臣が現職の総理大臣として中華人民共和国の北京を初めて訪問して、北京空港で出迎えの 周恩来 国務院総理と握手した後、人民大会堂で数回に渡って首脳会談を行い、 9月29日 に「日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明」(日中共同声明)の調印式において、 田中角栄 、 周恩来 両首相が署名したことにより成立した。 

周恩来首相の存在が大きかったとは思いますが、文句なしに歴史的偉業です。 

石原氏は、この本の中で、こう言っています。 『実名で書いていますが、フィクションです』と。 さらに、役人天国を支えている、およそ不合理きわまる単式簿記などと言う会計制度は、国家全体として是正し、一般の企業並みに、発生主義複式簿記に直して、大改革が成し遂げられたのではないかと、田中氏の行動から感じていたようです。 

主人公は内閣総理大臣をつとめた田中角栄氏であり、氏を「俺」という一人称で記した自伝風小説です。  石原氏は国会議員時代には田中批判の急先鋒であったが、田中の業績を見直した内容にもなっており、当時の「角栄ブーム」も手伝い90万部以上の売り上げを記録した。  2013年に脳梗塞を患い、ひらがなも思い出せなくなるぐらいの後遺症を残した後の作品だが、本人はワードプロセッサや口述で執筆したとしている。 

ここで、また余談です。

以前に、俳優の美木良介氏の考案の呼吸法『ロングブレスダイエット』が特集されました。 いま高齢者の間でも効果的なトレーニングとして注目を集めています。 歩くのが難しかった石原慎太郎氏も、ロングブレスをエクササイズに取り入れることで、激変。 ほぼ小走りで歩けるまでに回復しました。

(記事投稿日:2021/08/08、#367)

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『同郷の飯岡の助五郎は、悪役でも・ヒール役でもなかった。』 ―飯岡村の漁業の掘り起こしの立役者で、晩年は穏やかな人生を―

2021-07-17 23:12:59 | 読書

『同郷の飯岡の助五郎は、悪役でも・ヒール役でもなかった。』

『飯岡村の漁業の掘り起こしの立役者で晩年は穏やかな人生を』

当然のことですが、日本には、悲劇的な最期を迎えた人物を英雄視することがあります。 例えば、 

判官贔屓(ほうがんびいき)とは、第一義には人々が源義経に対して抱く、客観的な視点を欠いた同情や哀惜の心情のことであり、さらには「弱い立場に置かれている者に対しては、あえて冷静に理非曲直を正そうとしないで、同情を寄せてしまう」心理現象を指すとあります。 耳に痛い話です。 

これを日本特有のことと、捉えた外国人が著した本が『高貴なる敗北』です。 これのウェブ情報の引用です。 

日本史の中で悲劇的な死を迎えた九人と一戦闘団を外国人の視点から書かれている本。 彼らの末路を“もののあわれ”という日本人の視点と、彼らの死に対する意味をアイバン・モリスという外国人の視点で語られている処に意義があるのではないだろうか?

欧米人は勝利者を高らかに語っても、敗者の悲劇はあまり感動を呼び起こさない。  せいぜいシェークスピアの悲劇(創作物)でしかないというが、モリスの語りは彼ら日本人の敗者に対しても手を差し伸べようとしている。
 

米国にもありました。 『リメンバーアラモのアラモの砦』の悲劇もあります。 ジョン・ウエインの扮した、デイヴィッド・クロケットはアメリカ合衆国の軍人、政治家。 テキサス独立を支持し、アラモの戦いで戦死した。 アメリカの国民的英雄で、一般にはデイヴィー・クロケット(Davy Crockett)として知られる。

余談が長くなりましたが、表題に戻ります。 非業の死を遂げた笹川の繁蔵と、御上から十手を預かった、二束のわらじの飯岡の助五郎の対決は、小説・芝居・映画にはぴったりの物語だったと思います。 今後の勉強のために、『島柊二の気が向いたら歴史夢想(大利根河原の決闘 昭和の残影は薄れゆく)』の抜粋引用です。

 

大利根河原の決闘

天保5年(1844年)8月6日、下総国飯岡に勢力を張る石渡助五郎と同国笹川(千葉県香取郡東庄町)の侠客岩瀬繁蔵との縄張り争いを端とする衝突が起きた。 これが笹川事件(大利根川らの決闘)である。 

当時、助五郎は博徒の親分でありながら八州廻りの案内役から十手を預かる身分、いわゆる二束のわらじを履く岡っ引きでもあった。 子分たちの抗争激化、事態を憂慮した関東取締役桑山圭助は、助五郎に繁蔵逮捕を命じた。 

助五郎は二十数名の子分を率い、利根川を上り夜襲をかけたが、事前に情報を得ていた繁蔵は鉄砲まで準備待ち伏せ。 助五郎の子分8名死亡の惨敗、繁蔵方は平手深喜一人が討死。 繁蔵は逃亡し、助五郎は桑山の面目を潰し、投獄された。

 

座頭市物語のモデルも実在? 大利根河原の決闘が由来 

勝新太郎氏主演映画『座頭市物語』は、このシリーズの第一作で、この物語は大利根河原の決闘を背景に座頭市が事件に絡むフィクションであるが、飯岡の港の一角には『座頭市住居跡碑』が建立されている。 原作者の子母澤寛氏の小説から座頭市には実在するモデルがいると信じている人も少なくないようだ。

 

笹川繁蔵の暗殺

助五郎は10日余りの入牢から村預けとなり、再び十手を持つことになる。 面目を立てるため、繁蔵の捕縛を最優先。 一方、逃亡から弘化4年(1847年)には笹川に舞い戻り、指名手配の身、知り合いの家を転々としていた。 助五郎は失敗できないので、見張りだけで機会を待っていた。

 

ところが、同年7月4日夜、妾宅に、一人で向かう途中、びゃく橋のあたりで、飯岡方の成田の甚蔵、石渡戸孫治郎と与助(助五郎の息子)の三人に闇討ちされた。 首級だけが助五郎に届けられた。 繁蔵を捕縛・手討ちを考えていた助五郎は、評判を落とすのを恐れ、密葬した。 『大切な人だから香花を絶やすな』と命じたという。

 

悪役が染みついた飯岡助五郎

講談・小説・芝居・映画等々の、笹川事件(大利根川の決闘)を題材にした物語は人気を博した。 だがどれを取っても助五郎が悪玉を演じるのが定番なのは動かし難いようだ。 これを嘆いた地元飯岡の有志は、真実の飯岡助五郎で町を盛り上げようと努力してきた。

 

漁民が遭難し飯岡浜の漁業が衰退しかけた時に、故郷の三浦や房総の漁師を雇い存続させ、亡くなった漁師の後家や娘のところには婿を入れたり、護岸工事なども率先したようだ。 こうした地元から尊敬される人物がなぜ全国的には悪人のイメージが定着してしまったのか。

 

作家の笹沢佐保氏は、①年齢的に若い繁蔵が善玉になりやすい、 ②日本人の判官びいき、悲劇的な繁蔵や平手造酒に人は同情したから、 ③二束のわらじ、 ④大利根の決闘で完敗、 ⑤繁蔵を闇討ち、など書いている。

 

安らかな最期

嘉永二年(1848年)、繁蔵一家の残党、勢力富五郎らを壊滅させた助五郎は、与助に後を継がせ隠居の身となった。 近所の子供たちに菓子や飴を与え一緒に遊んだという思い出話が残っている。 安政六年(1859年)4月14日、66年の生涯を閉じた。 大親分と呼ばれる人物たちの中で畳の上で死ぬことが出来た稀有の存在であったと言われる。

 

裏付ける情報として、幕府の統治能力が弱体化した幕末期において、十手を預かり近隣の治安を守る助五郎の警察力は、庶民から高く評価されていた。 月岡芳年が明治7年(1874年)に描いた『競勢酔虎伝』には「飯岡助五郎」の版画があり、『其の頃、博徒の巨魁にして剛毅果断義気侠行(中略)、奸盗跋扈の時に際し市中巡邏の隊に付属し、大いに、志を国事に尽し捕縛の功少なからず』と、助五郎の業績を絶賛していている。

 

このような言い伝えがあったにもかかわらず、悪役・ヒール役が一般の理解だが、さらに真実を発信していきたいと思っています。

(記事投稿日:2021/07/17、#357)

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『同郷・同世代の旧飯岡町出身の女流詩人 高橋順子氏のこと 1』 ―あの飯岡の助五郎は「悪役・ヒール役」ではないといった詩人―

2021-07-14 10:18:34 | 読書

同郷・同世代の旧飯岡町出身の女流詩人 高橋順子氏のこと 1』

『あの飯岡の助五郎は「悪役・ヒール役」ではないと言った詩人』 

高橋順子氏『俳号:泣魚(飯岡出身らしい)』も多分観ていた、飯岡港の突堤と岸壁荘(画面左下)

ウキペディア情報から引用

この詩人・高橋氏のことは、日経新聞の文化欄に載った記事で知りました。1944年千葉県海上郡飯岡町(現旭市)生まれ,東京大学文学部フランス文学科卒の詩人で、作家・車屋長吉氏夫人です。 鬼才夫君との出会い、絵手紙交換、結婚、その後続いた作品原稿の出版社に出す前の相互の交換チェック等、見事な夫婦の生き様、感動しました。 夫君は2015年5月17日、夫人の留守中に、解凍済みの生のイカを丸呑みしたことによる窒息のため死去。 69歳没、波乱万丈の人生)だったようです。  

著名な著書と受賞歴は;

  • 1987年 『花まいらせず』で現代詩女流賞
  • 1990年 『幸福な葉っぱ』で現代詩花椿賞
  • 1997年 『時の雨』で読売文学賞

  ウキペディア情報から引用  

  • 2000年 『貧乏な椅子』で丸山豊記念現代詩賞
  • 2014年 『海へ』で藤村記念歴程賞、三好達治賞
  • 2018年 『夫・車谷長吉』で講談社エッセイ賞 

この方が、飯岡中学校の一年生に入学した年に、飯岡中学校は三川村立中学校と、豊岡村立中学校を統合吸収して、生徒数1,000人以上の大きな中学校になりました。 この時、三年生の自分は二階建て新校舎二階、この方の学び舎はグランド寄りの一階建て旧校舎でした。 

当時、中学三年生の自分は『リルケの詩集を読む美人・・・』なんて流行歌の歌詞に憧れて詩集を読むなら『リルケの詩集』を、と思ったこともありましたが、どこで間違えたか、永井荷風の墨東奇譚などを読んで、職員会議にかけられたりしたほどでした。 

この方の詩ではなく、エッセイを読もうと思った理由は、日経記事の中には、当然ですが、飯岡町の海岸・海・空の描写、あの飯岡の助五郎についても悪役・ヒール役ではない描写がありました。  

自分も飯岡の助五郎のヒール役に、疑問を持ち始めたのは、ごく最近のことです。 都会に出て働き始めたころに、飯岡出身(本当は三川村出身)ですというと、『あの飯岡助五郎の飯岡か!』と言われて、ヒール役に負い目を感じたものです。 

自分の記憶と言えば、自分の親から聞いた、『関取上がりの笹川の繁蔵の子分で、同じく関取上がりの勢力の富五郎が、三川村に入ってくると、村民は皆が雨戸を閉めた』と、それでも飯岡の助五郎の悪役・ヒール役を信じさせられていました。 

エッセイ『名前・なまえシリーズの「恋の名前」「雨の名前」「月の名前」「水のなまえ」「星のなまえ』は、印象深く、又、最近の世情の中では、癒されます。

これからもゆっくりと郷土の偉大な詩人・エッセイストの作品を座右の書の一角に置きたいと思っています。

(記事投稿日:2021/07/14、最終更新日:2024/06/14、#356)

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『「知の巨人・立花隆氏(ジャーナリスト・評論家)」報道に足跡』 ―逼塞感蔓延の世界情勢の中で最悪の日本に、長生きして欲しかった巨人―

2021-06-24 18:38:01 | 読書

『「知の巨人・立花隆氏(ジャーナリスト・評論家)」報道に足跡』

逼塞感蔓延の世界情勢の中で最悪の日本に、長生きして欲しかった巨人―

 

先日(20210624)日経新聞の社会欄からです。

『田中角栄元首相の金脈問題を雑誌で追及して退陣に追い込むなど、戦後ジャーナリズムに大きな足跡を残したジャーナリストで評論家の立花隆氏が4月30日、80歳で死去された。 宇宙や脳死、サル学、歴史など多彩な著作があり、知の巨人として知られ、都内の大型書店には、同日、著書を集めたコーナーを設けて追悼する動きが広がった。

幼い頃に一家で中国に移り住み、敗戦後に過酷な引き上げを体験。 東大仏文科卒業後、文芸春秋社に入社し雑誌記者などを経て、3年余りで退社。 東大哲学科に学士入学し、傍ら週刊誌アンカーマンなどとして活動した。

 

1974年10月、田中元首相を巡る資金の流れと蓄財を綿密に調べ、「田中角栄研究」を発表。田中内閣は2カ月後に総辞職した。 76年に発覚したロッキード事件でも批判を展開し、裁判の傍聴記を発表し続けた。 その後も、政治評論や最先端の科学の著作も多数発表した。

 

今後の読書計画のために、立花隆氏の著書一覧を備忘録に残しました。

1983年に菊池寛賞、1998年に司馬遼太郎賞

 

 「思考の技術」(1971年)

 「中核VS革マル」(75年)

●「田中角栄研究」(76年)

 「日本共産党の研究」(78年)

●「ジャーナリズムを考える旅」(同)

 「農協 巨大な挑戦」(80年)

 「ロッキード裁判傍聴記」(81~85年)

「宇宙からの帰還」(83年)

「脳死」(86年)毎日出版文化賞

「脳死再論」(88年)

「同時代を撃つ 情報ウオッチング」(88~90年)

 「臨死体験」(94年)

●「ぼくはこんな本を読んできた」(95年)

「立花隆の同時代ノート」(97年)

 「21世紀 知の挑戦」(2000年)

 「『言論の自由』VS.『●●●』」(04年)

 「シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界」(同)

 「天皇と東大 大日本帝国の生と死」(05年)

●「滅びゆく国家 日本はどこへ向かうのか」(06年)

「自分史の書き方」(13年)

 「死はこわくない」(15年)

 「武満徹・音楽創造への旅」(16年)吉田秀和賞

 「『戦争』を語る」(同)

●「知の旅は終わらない 僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと」

(20年)

とにかく、すぐにでも読みたい『著書』5冊に●マークをしました。

 

最後に余談です。

石原慎太郎氏は、現役時代の政界の田中角栄氏をそれ程、評価はしてなかったように見えましたが、最近は変わってきています。 石原慎太郎著『英雄』を読んで解ったことです。 

 

この本を読んでみたいと思ったのは昔、香港に駐在時に、田中角栄氏が首相になったニュースを聞いた見ず知らずの英国人に、香港と九龍を結ぶ、スターフェリーの船中で、突然、尋ねられました『今度の日本の首相は、Secondary School卒ですね』と、何故か、この後、会話はなくフェリーは九龍埠頭に到着という苦い経験もありました。

 

石原氏は、この本の中で、こう言っています。 『実名で書いていますが、フィクションです』と。 さらに、役人天国を支えている、およそ不合理きわまる単式簿記などと言う会計制度は、国家全体として是正し、一般の企業並みに、発生主義複式簿記に直して、大改革が成し遂げられたのではないかと、田中氏の行動から感じていたようです。

 

繰り返しになりますが、逼塞感蔓延の世界情勢の中で最悪の逼塞感の日本には、立花隆氏のような『知の巨人』の登場を渇望しています。 同時に政治には、作家や一般の人々の声は届きませんので、マスメデイア・マスコミには『傾向・推移を示したデータを付けて』行政に改善・チェンジを挑戦して欲しいと願っています。

(記事投稿日:20210624、#350)

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『読書は、今のペースで続けたい、でも‼(いろいろ難しい事もあり)』 ―読むのが辛い厳しい内容、難しい内容、傘寿には時間不足等々― 

2021-02-13 13:26:03 | 読書

『読書は今のペースで続けたい、でも‼(いろいろ難しい事もあり)』

読むのが辛い厳しい内容、難しい内容、傘寿には時間不足等々―   

 

本はよく読みますが、未だに、読書途中の長編・大作もあります。 自分が覚悟して、強い意志で、やっと読み切った本のトップスリー、著者の方々の凄まじい精神力にただ脱帽です。 トップはなんといっても『苦界浄土』です。

 

❶苦界浄土(くがいじょうど)(水俣病の実態、重症患者を裏の非衛生な掘立小屋への隔離) 石牟礼         道子著

ウエブ情報から引用

 

➋蒼穹の昴(清朝末期の宦官の自宮(宮刑でなく、その自己手術と事後の機能修復の実態) 浅田次郎著

ウエブ情報から引用

 

❸アンデスの奇跡(冬のアンデス山中で墜落事故遭難者の一部16人が72日後に生還、宗教上自殺できずとった行動) 生存者ナンド・バラード著

ウエブ情報から引用

 

さらに続きます。 

 ❹古代史疑-増補新版(中公文庫)(古文・現代文併記でも難解)松本清張

ウエブ情報から引用

 

最も気合を入れて、頑張って、再度、読んでみようと思っているのが、松本清張著の『古代史疑』です。 推理小説『点と線』で大ファンなったこの作家・松本清張氏の『昭和史発掘を』香港駐在中に、この全集を香港まで、身内に送って貰って読みました。 『歴史』と『歴史小説』の違いを考えたのもこの頃でした。 

 

更に、最近、広範囲の異分野、文学者・医学者・科学者の先生方の歴史関連の本を読む機会がありました。 それも興味のある、縄文・弥生・古墳・奈良時代です。 それぞれが、素人にも解りやすい解説をされていました。 歴史学の中に理論的・科学的分析を多くされており素直に納得が出来ました。 

 

上記の先生がたの本の中に、松本清張著の『古代史疑』の邪馬台国・卑弥呼に関する内容と通じるものもありました。 半世紀も昔の氏農耕慧眼に感心しており、今後の課題が出来ました。

 

 

❺日本の歴史(15巻/全26巻)大名と百姓(内容は殆どが年貢について)(中公文庫)佐々木 潤之介

ウエブ情報から引用

 

❻戦争論上・下)(中公文庫)カール・フォン クラウゼヴィッツ著

    (古典と言われるが、現在の経営管理のバイブルになりそう)

ウエブ情報から引用

 

昨今の日本のテレビ番組の内容ですが、お笑い系の方が多い番組の爆笑・嘲笑と、番組の6割近くが食べ物関連と多く、長く海外に住んで、そこでテレビも見た傘寿爺には、『温故知新』などという四字熟語が霞んでしまいます。 視聴率最優先だけが、その原因・理由でしょうか! 不可解なりです。

(20210212纏め、#285)

 

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