『北斎インパクトと国宝、浮世絵に国宝なし 4(北斎は偉丈夫)』
―偉丈夫な北斎(180㎝)を随分昔に知り、北斎が二刀持った姿を想像して—
西洋の画家に偉丈夫は、多分、居たとは思いますが、まだ調べておりません。 北斎(180㎝)の偉丈夫なことは随分昔に知りました。 そこで思い出すのは、絵の才能もあった、元祖二刀流(二本の刀の二刀流だけではなく、剣術と絵画の文武両道の二刀流)の、宮本武蔵(182㎝)を思い出して、北斎が二刀持った姿を想像して、時には楽しんでいます。
下の絵のように、二人とも大柄で肩の力が抜けたところは将に、剣豪そのものです。 昨今では、スポーツの世界で、極まれに、プロ野球で異種のポジション、打者・投手を兼任する二刀流がありますので、剣道の二刀流や文武両道の二刀流と同様に、北斎は、絵画と戯画(漫画)で二刀流であったと言ってもよいのではないでしょうか。
葛飾北斎
ウキペデイアより引用
1760年10月31日? - 1849年5月10日没 89歳
身長 180㎝
体重 不詳(推定72㎏)
宮本武蔵
ウキペデイアより引用
1582年 - 1645年没 63歳
身長 182㎝
体重 不詳(推定80㎏)
北斎晩年の作品『冨士越龍』
ウキペデイアより引用
武蔵晩年の作品『枯木鳴鵙図』
ウキペデイアより引用
先日(20200716)日経新聞文化欄に載っておりました、松田亜有子氏の記事。北斎は何故、絵画でこんなに西洋絵画に影響を与えたのか、さらに、北斎漫画の西洋美術への影響があったのか、その上に音楽への影響、『音楽を創った絵画十選』からの抜粋と感想です。
『絵画は作曲家たちにインスピレーションを与えてきた。』
このフレイズは、見てみると、なるほどと納得できますが、普段はあまり意識できていなかった、音楽には疎い音痴の自分です。
『西欧文化が一気に流入した明治時代。ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」を聴いた岡倉天心が『東洋にない唯一のもの』と驚く一方で、アジアの文化を目の当たりに西洋でもオリエンタリズム(東洋趣味)が流行。 たとえば、5段階で構成されるインドネシアのガムラン音楽は、7つの音階をもとに作られた西洋音楽のルールに変容をもたらした。』
1オクターブを12等分して、そのうちの7音階(ドレミファソラシド)を選んで使って作られていたのが西洋音楽とイスラム音楽であるなど、全く知らず『カラオケがすべてと、ボーっと生きていたこと』を、今更ですが、反省しています。
『北斎の浮世絵がモネやゴッホに影響を与えたのは有名だが、北斎はフランス生まれの2人の天才音楽家にも衝撃を与える。 「神奈川沖浪裏」のうねる波に注目したドビュッシーの「海」、3隻の小舟に着想を得たラヴェルのピアノ作品「洋上の小舟」。 同じ絵に対して視点は違えど、当時の西洋人がアジアの文化に関心を持っていることが窺える。』
この『神奈川沖浪裏』の構図は不自然などと、夢を壊す見方をする方々も居りますが、僭越ながら、九十九里海岸の土用波で泳いだ自分は知っています。『波が崩れ落ちる下側に海岸の丘が見える!』ことがありました。遠くの富士山も同様です。
ウキペデイアから引用
葛飾北斎の有名な《富嶽三十六景 神奈川沖浪裏》には元になっている彫刻があった、という《仮説》のウェブ情報引用。
ウェブ情報から引用
伊八の欄間彫刻《波に宝珠》【行元寺の資料より 写真撮影は許可されていない】
音楽には疎い自分ですが、『「神奈川沖浪裏」のうねる波に注目したドビュッシーの「海」、3隻の小舟に着想を得たラヴェルのピアノ作品「洋上の小舟」』は、ゆっくりと聴いてみたいと思っています。
(20200719 纏め #193)