『塔(継承と改革・息づく匠の精神)1(奇数の層塔は耐震構造?)』
―著書「塔」は、哲学者・梅原猛氏の日本学黎明期のエッセイ集―
薬師寺国宝東塔
薬師寺境内の建物は、西塔などが近年復元された建物であるのに対し、この「東塔」は薬師寺の建築物としては最も古い天平2年(730年)頃に建立されたとされる築1300年近い存在.(現代の鉄筋コンクリート造りの耐久年数100年前後に対して、『凄い』の一言です。)
『更に、余計な一言ですが、この度のオリンピックスタジアム(新国立競技場)の建造費があれば、木造天守閣の建設が期待されている、江戸城・駿府城・名古屋城・他が建造できます。』
「薬師寺東塔」は、2009年7月に全面的な解体大修理事業に着手しました。2020年4月に落慶法要及び一般公開を予定しておりましたが、新型コロナウイルス感染拡大により延期しております。
ウェブ情報から引用
塔、特に層塔、に興味を持ったのは、偶数層塔はなく、皆奇数層塔であること。
また、当然ですが、高層ビルが地震で一番大きく揺れる階は、最上階であることですがそれなら、層塔には、奇数層塔に限らず、偶数層塔もあっても良いではないかと素人は思ってしまいました。
ウェブ情報の抜粋・引用です。
『五重の塔と超高層ビルは周期2~3秒以上の固有周期を持つ構造物と見れば「同じもの」といえる。 基礎から天頂部までを貫通する「心柱」が全体を支え、各層の「側柱」が地震時にずれることで振動を減衰させるようになっているが、その減衰作用は、超高層ビルでは「制震ダンパー」という装置が担っているのだ。そして、超高層ビルという建物が持つ、とてつもなく大きな垂直方向の自重に加えて、地震と風といった水平方向の外力に耐える、しなやかな高強度材料による骨組みも、超高層ビルの高い変形能力を支える、折れない工夫なのである。』
一方、偶数層塔が存在しない理由は、奇数は縁起が良いものであると考えられていたためです。 ただし、物や行う事の内容によっては適さないとされるものもありますが、奇数が陽であり、偶数が陰であるとされています。
この思想は、古くからインド哲学(六師外道・六派哲学の思想など)にあり、 古代インド思想では、火・水・地を「三大」、または地・水・火・風を「四大」 とする。 これらに「虚空(アーカーシャ)」を加えて「五大」とする思想が現れた。
なぜ五重塔が多いのかと言えば,五大思想にあうからです。 偶数のものを作らないのは,縦に作るものは陰陽思想から奇数と決まっているからです。 奇数は動的,陽的で不安定を表し,偶数は静的,陰的で安定を表します。 偶数のものは横に広がるものに使われます。方位も四方位とか八方位です。 逆に縦に登っていくもの,例えば神社の石段の数は奇数で作ります。
仏教では、とくに奇数を重視するという考えはありません。 しかし、8は悟りを表す聖数として意識します。 そうして聖数であるがためにあえて表示せず(例えば、日本古代に天皇の姿を御簾で隠すのと同じ発想です。 あえて8を明確には表さず、その直前の7で代用するという方法が採られます。 例えば、末法の世界に再び救済をもたらす弥勒の降臨は、56億7千万年後ですが、これは弥勒の成仏を8と捉え、5→6→7という形で8への接近を表現したものです。
七重塔なども、こうした表現のひとつであると理解できます。 一方中国においては、古く殷帝国の頃より3を神聖な数として意識し、後天・地・人を表象するものとして意味づけされてゆきます。また、易の概念では奇数は陽数であり、天を象徴するものであって、とくに9がその最大の数であると位置づけられています。恐らくはこのような観念の複合から、神聖なる7に隣接する陽数として、3や5、9などが選択され、とくに天へ伸びてゆく建築である塔の〈理屈〉として構築されていったのでしょう。
偶数・奇数について余談です。
『欧米諸国では違って、英語では、偶数を「even」(ちょうど)、奇数を「add」(付け加えられたもの)から転じた「odd」(奇妙な・半端な)と言い、明らかに偶数優先主義である。 モーゼは「十戒」、キリストの弟子は「十二使徒」、オリンピックや米大統領選挙は四年に一度だ。外国紙幣では、二十米ドルや二万インドネシアルピアなど、偶数のお札は不思議ではない。』
『塔』はインドのサンスクリット語の『stupa 卒塔婆(そとば)』又は、プラークリット語の『thuva 塔婆(とうば)』の略称と言われています。
なぜ、三重塔・五重塔・七重塔・九重塔・十一重塔・十三重塔なのか。
層塔で一番多いのは、三重塔、次いで五重塔、百済大寺には七重塔(現存せず), 京都決勝時には九重塔(現存せず)、バリ島のPura Taman Ayunの茅葺十一重塔、十三重塔は、奈良談山神社に現存します。
中国の陰陽思想では、奇数を陽、偶数を陰とします。 陽は能動的、陰は受動的働きを表すが、どちらが良い悪いでなく、あくまで陰陽の和合によって宇宙のバランスが保たれると。
表題に戻ります。
昔、お世話になった会社が、有楽町の朝日新聞本社(当時、今は築地に)の向いでしたので、近くのバーで朝日新聞の方々にお会いする機会があり、その頃、梅原猛の著書を初めて紹介頂いたのが、下記三点でした。 当時は普段全く目に触れない本でしたので新鮮な感激でした。
『塔』
ウェブ情報から引用
『隠された十字架』
ウェブ情報から引用
『水底の歌』
ウェブ情報から引用
人物・梅原猛氏のウェブ情報です。
日本仏教を中心に置いて日本人の精神性を研究する。 西洋哲学の研究から哲学者として出発したが、西田幾多郎を乗り越えるという自身の目標のもと、基本的に西洋文明(すなわちヘレニズムとヘブライズム)の中に作られてきた西洋哲学、進歩主義に対しては批判的な姿勢をとる。 その根幹は、西洋哲学に深く根付いている人間中心主義への批判である。 西洋哲学者が多い日本の哲学界の中で、異色の存在である。
『塔』の中でこう言っています。
まったく同感! 「日本書紀は正史」とは言うが、当時の権力者による「勝者の記録」であり、藤原不比等の意向が反映されている。
法隆寺に建立に関する独特の解釈。 『隠された十字架-法隆寺論』(1972年)で展開。 法隆寺を聖徳太子一族の霊を封じ込め鎮めるための寺院とする説。その中から、大胆な仮説を刊行して毎日出版文化賞を受賞している。
柿本人麻呂の生涯に関する新説。 『水底の歌』(1972年-1973年)で展開。 「柿本人麻呂は低い身分で若くして死去した」という近世以来の説に異を唱え、高い身分であり高齢になって刑死したとする説。 正史に残る人物、柿本猨を柿本人麻呂とする。
その問題作に至る過程の思索が、この本で。1970(S.45)から2年間、「芸術新潮」に連載の梅原日本学黎明期のエッセイ集が『塔』です。
『塔』への興味はまだまだ続きます。
(20210317纏め、#296)