『世界の難攻不落の城郭 第1位『イスタンブールは旅情を!』
『コンスタンティノープルは、女性作家の傑作戦記物 攻城を』
イスタンブールも、コンスタンティノープルも、夫々どちらにも思い出があり、自分にはよい響きがあります。 最初のイスタンブールの印象は庄野真代さんのヒット曲、夜のバラード『飛んでイスタンブール』です。 昔、熱帯のパナマ駐在で初めて聞いた、この『飛んでイスタンブール』は衝撃的でした。
次は、塩野七生さんの『コンスタンティノープルの陥落』で、歴史小説の面白さを知りました。 この『コンスタンティノープル』で、一番、気になった文章がこれでした。 『わたしがあなたからほしいものは、ただ一つ。 「あの街」をください』と、ビザンチンの歴史家ドュカスが伝えるオスマントルコの若き皇帝メフメト2世が、ビザンティン(東ローマ)帝国首都コンスタンティンノープル(=あの街)征服を決行することを伝える台詞です。
地中海の黒海とエーゲ海周辺地図
ウエブ情報から引用
ボスポラス海峡は、トルコのヨーロッパ部分(オクシデント)とアジア部分(オリエント)を隔てる海峡。 黒海と、マルマラ海・エーゲ海・地中海を結ぶ奇跡的な地形。 さらに、両岸にはトルコ最大の都市イスタンブールがあります。
イスタンブール(旧コンスタンティノープル)の衛星写真
ウエブ情報から引用
中央のボスポラス海峡のマルマラ海への出口の角と対岸にトルコ最大の都市イスタンブールがあります。
世界の難攻不落の城郭 第1位『コンスタンティノープル』
ウエブ情報から引用
難攻不落の城郭を陥落させた艦隊の山越え
ウエブ情報から引用
1453年当時、ビザンツ帝国は、オスマン軍の攻撃には頑強な抵抗を示し、金角湾の入り口を太い鎖で封鎖(ごく最近の、近代の戦術と理解!)し、オスマン艦隊の侵入を拒んだ。 そこでオスマン軍は、金角湾入り口より5km程北の海岸から、湾の遥か奥の方に向かって山を切り開き、道路を造らせた。 そして延々と続く山道に丸太を敷き詰め、更にその丸太にたっぷりと油脂を塗らせ、夜闇に乗じてボスポラス海峡から船を引き上げ、山を越えて金角湾に運んだ。 翌朝、金角湾に浮かんだオスマン艦隊を目の当たりにしたビザンツ兵たちは一気に戦意を喪失し、コンスタンティノープルは1453年5月29日陥落した。 コンスタンティノープルを長く首都としていたビザンツ帝国はこれによってついに滅び、名実ともに、『ローマ帝国』は歴史から姿を消し、コンスタンティノープルは、のちにイスタンブールと名を変え、現在に至っています。
難攻不落の『コンスタンティノープル』の城壁
ウエブ情報から引用
難攻不落の城壁を破壊しようとしたウルバン砲
ウエブ情報から引用
ウルバン砲は、オスマン帝国が1453年の攻城で使用した大砲。 「ウルバンの巨砲」とも呼ばれる。 名前は開発者であるウルバンにちなむ。 ウルバンは当初東ローマ帝国側に大砲を売り込んだが、拒絶されたためにオスマン帝国に与したと言われている。 この破壊力をもってしても城壁を完全には破壊できなかった。 しかし多くの欠点がありながらも、その破壊力によってコンスタンティノープル攻略に多大な貢献をしたことは事実であり、後世にその名を残すことになった。 ちなみに、この後もオスマン帝国は同等の大型大砲を多数鋳造し、ヨーロッパ各国に恐怖を覚えさせ、後に築城の『城』から『要塞』への変化・銃火器を使う部隊編成などの戦術転換をヨーロッパにもたらしたよそうです。
現在も、矛盾『ホコとタテ』の不毛の戦いはいつまでも続きますが、この城郭都市は『世界の難攻不落の城郭』です。 それでも、人類は最終兵器(核兵器)の拡散させており、本当に困ったものです。
(記事投稿日:2020/10/06、最終更新日:2024/07/29、#580)