知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『オランダ商館医博物学者ドイツ人のシーボルトは科学伝授 1』 『出島出入の絵師川原慶賀は、肖像画と写生生物画でバックアップ』

2022-10-10 16:58:51 | 絵画

『オランダ商館医博物学者ドイツ人のシーボルトは科学伝授 1』

『出島出入の絵師川原慶賀は、肖像画と写生生物画でバックアップ

 

川原慶賀のシーボルト肖像画

ウエブ情報から引用

ドイツ生まれの青年医師が長崎に、1823/08/11到着、『町の手前の小さな人工島・出島には、高くオランダ国旗が翻っていた』と。 シ-ボルト陸軍軍医少佐年俸は、現在の約3000万円に相当。

 

川原慶賀「唐蘭館図・蘭船入港図」

ウエブ情報から引用

 

川原慶賀「出島図」

ウエブ情報から引用

注目したいのは、向かって左側のかなり広い区画には植物が栽培されていて、中央の通路右側の一角にも植物の栽培の区画がある。 この出島図に描かれた菜園は、まさに『シーボルトの植物園』と呼んでもいいものだった。 シーボルトは、患者を往診するために一日おきに、長崎市内に往診に出かけることを長崎奉行から許されていた

 

さらに、シーボルトは、多くの日本人医師を弟子として受け入れ、弟子たちは薬草や様々の品を届け、かれらは、日本の植物名や中国名を教示してくれる上に、日本語まで教えてくれたと記録している。

 

来日早々、若きシ-ボルトは日本人からどうやって信頼を獲得したのだろうか。 『目の前での実践』にあった。 眼球の手術、今でいう白内障手術をして視力を回復させ、人々の前で果敢に臨床的な治療をして見せた。

 

200年前のドイツ人・シ-ボルトのオランダ医学と実践、感服しました。

(記事投稿日:2022/10/10、#584)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする