知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『海外の古文書が日本史の謎を解く(手紙・日記等)から解る 3』『信長の先取性・先見性に、刺激受けた秀吉の無理難題の半島・大陸進攻へ』

2022-10-07 16:33:29 | 歴史・日本・中世

『海外の古文書が日本史の謎を解く(宣教師たちの手紙・日記等)から解る 3』

『信長の先取性・先見性に、刺激受けた秀吉の無理難題の半島・大陸進攻へ』

『洋の東西を問わず、異なる宗教間、宗派間の戦争、今は政治対宗教の戦争も』


織田信長の長期政権に期待した宣教師たちは;

戦略の立て直しが必要になり、長崎港一帯を、キリシタン大名から譲りうけ、支配下に置き、更に最新兵器、大砲を九州に持ち込み、軍事力の強化を、図ろうとしていたようです。

 

宣教師たちが蓄え始めた軍事力は、信長にとって大きな脅威になっていく中で、自分こそ支配者と宣言した織田信長でしたが、このころは、関白はもとより、征夷大将軍にもなる様子がない時期に、京都に滞在中に明智光秀の謀反『本能寺の変』を、信長は察知できていなかった。 なぎなたで戦った後、銃弾を受けたあと、自害しました。

 

宣教師たちは、日本の軍事力を利用した中国征服計画を:

信長の後継者を決める山崎の戦いでは宣教師たちが睨んだのは、秀吉でした。

宣教師たちは高山右近らキリシタン大名に対し、秀吉側に加わるように働きかけていました。

 

朝鮮出兵・中国征服計画の基地・名護屋城 城下町模型

ウエブ情報から引用

今後の継続調査のために、ウエブ情報の抜粋・引用です。

リスボン大学 ペドロ・コレイアは;
右近たちが勝利すれば、キリスト教の勢力拡大に、有利に働く。 宣教師たちは、情勢の変化に期待していた。 宣教師たちの狙いは的中。  政権中枢には、多くのキリシタン大名、名を連ねたのです。 秀吉の時代、日本のキリシタンは 30万人を突破。

最大の目標である中国。 
高価な陶磁器や絹織物、金や銀などの貴金属にあふれ、世界一豊かな国でした。 日本の軍事力を利用した中国征服計画、実現のため 宣教師は、秀吉に働きかけます。 われらの軍船をお貸ししましょうか。 キリシタンも意のままに動きましょう。 1592年、中国征服の足掛かりにしようと、始まったのは朝鮮出兵。 キリシタン大名を先陣とする大部隊が、海を渡りました。

戦いは激化し、推定で74万人が動員される、大戦争になりました。 最前線で戦う、キリシタン大名の犠牲が急増。 拡大を続けるキリシタン勢力を脅威と捉え、その力を削減しようとしていた秀吉。 日本では、バテレン追放令が出され、キリスト教の布教も禁じられていました。 宣教師の思惑とは、かけ離れた形で進んでいく戦国日本。

宣教師たちにとって、想定外の事態が;
秀吉の野心がスペインの植民地フィリピンにも、向けられたことを知ったのです。 秀吉が狙ったのは スペインの富。 征服王フェリペ2世の、植民地を奪うことで、朝鮮出兵の戦費を賄おうとしていました。 

しかし 1598年、スペインのフェリペ2世が急死。 その5日後 日本で秀吉が死去。 日本軍は 朝鮮半島から撤退を決定します。 宣教師が抱いた中国征服計画は、幕を閉じたのです。

フェリペ2世の死後、超大国スペインは、世界各地で行っていた征服戦争が、裏目に出て 国力が衰退。
ランダやイギリスなど新興国が台頭します。 新たに勃発した世界の覇権を巡る争い。 その最前線に、戦国日本のサムライがいたことが、最新研究から明らかになってきました。 あまたの日本人傭兵が、ヨーロッパ諸国の植民地争奪戦に参加。

家康と手を結んだオランダ。 豊臣家とつながるスペイン 決戦の舞台は、戦国最大にして最後の合戦 大坂の陣。 日本とヨーロッパの覇権争いが、深く結び付いていきます。

なかなか面白い観点の内容です。 

当時のヨーロッパは布教と征服が一体となっており、実はイエズス会はヨーロッパによる世界征服の尖兵であった。 こうして見ていると、想像以上にキリスト教勢力は邪悪な連中である。 信長と宣教師たちのお互いに利用しようとする虚々実々の駆け引きも興味深いところです。 しかしこうなってくると、本能寺の変の黒幕にイエズス会がいたという説もそう突飛なものには思えなくなってくるから不思議である。

なお日本を利用することを考えていた宣教師フランシスコ・カブラルは根っからの差別主義者で、日本人を内心でかなり見下していたという話もある。 だからこその『我々には日本を征服する権利がある』などと。 当時のヨーロッパ人では極めて普通だったというのも事実。

ヨーロッパ側の意図から戦国の歴史を読み解くという視点は、今まであまりメジャーではなかったようです。 しかし今回こういう新たな視点を入れることで、この時代の歴史がさらに立体的に見えてきました。 当時のヨーロッパが極めて侵略的であったのは疑いのない事実ではあります。

『洋の東西を問わず、異なる宗教間、宗派間の戦争、今は政治対宗教の戦争も!』

(記事投稿日:2022/10/07、#581)


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