知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

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『古代の日本は・日本人は凄い 1(二つの酒船石 1)』―「出水の酒船石』は現在、京都の南禅寺にある「野村碧雲荘」の庭石―

2023-02-08 06:13:30 | 歴史・日本

     『古代の日本は・日本人は凄い 1(二つの酒船石 1)』

            ―「出水の酒船石』は現在、京都の南禅寺にある「野村碧雲荘」の庭石―

 

 最近は、世相の厳しさが、どんどん増大するばかりですので、夢のある古代の縄文・弥生・古墳時代を懐かしみ、古代の遺跡を調べていると、運よく、『酒船石』について、新しくて古い情報を見つけました。 特に用途・何のためには、いろいろあります。

先ずは、酒船石は、二つありましたことを浅学菲才の自分は最近知りました。 一つ目の『酒船石』は、『明日香村岡(地名)』の丘の上と、およそ『400ⅿ離れた飛鳥川畔の「亀形石造物・小判形石造物」(酒船石遺跡群のセットがありました。

❶『岡の酒船石』
一般に知られている『酒船石』です。 以前から知られている丘の上の酒船石に加えて、丘の麓で、平成12年(2000年)の発掘で発見された亀形石造物と小判形石造物および砂岩石垣・版築などの周辺の遺構を含めて酒船石遺跡群)と呼ばれています。

ウェブ情報(ウキペディアの写真)から引用

 上記の写真とイラストのように、北と南(向かって左右)の一部が欠けている。 後世江戸時代に、高取城を築城するため石垣用の石材として利用しようとしたと思われる石割用の石鑿の跡が見られ、上面の造形が欠損している。

『亀形石造物・小判形石造物』 (酒船石遺跡群の一角)

ウェブ情報(ウキペディアの写真)から引用

『酒船石と亀形石造物・小判形石造物』の位置関係

ウエブ情報から引用

❷『出水の酒船石』
 出水の酒船石は大正時代に発見されています。 農作業中の農民が二つの石造物を掘り起こし、その形状が『岡の酒船石』と似ていたために、出土地の地名から『出水の酒船石』と名付けられた。

ウェブ情報(『ラオスと飛鳥の謎の石造物考』)から引用

 『出水の酒船石』は、現在、京都の南禅寺にある『野村碧雲荘』の庭園の庭石として使用されています。 その『新しくて古い情報』が2010年5月20日(土)のNHK『ワンダーワンダー 京都天下無双の別荘群の放送内容に関連した、ウエブ情報『ラオスと飛鳥の謎の石造物考』の抜粋です。

「ワンダー×ワンダー」の映像では、出水の酒船石は「野村碧雲荘」の庭園の樋として使用されていた。 この映像を見た瞬間、この石はヒンドゥー教の「ソーマスートラ(聖水の流れる溝)」だと直感した。 

「岡の酒船石」と同じように大きな石に凹状に彫り込んだ謎めいた石で、見学時から気になっていたラオスのワットプーにある「ワニ石」もヒンドゥー教に関係あるのでは?と、思った。

ワットプーのあるチャンパサックは5世紀頃からクメール(真臘)の揺籃の地だが、それ以前はチャンパが支配していた。 そのクメールもチャンパも同じヒンドゥー教を信仰していた。

と、ヒンドゥー教との関連の情報がありました。 

明日香村の『岡の酒船石』7世紀ごろ

ウエブ情報(『ラオスと飛鳥の謎の石造物』)からの引用

赤〇部分に原材料、黄〇部分は小判形、青〇部分に円形窪み(大半欠損)

ラオスのワットプーの『ワニ石』5世紀ごろ

ウエブ情報(ラオスと飛鳥の謎の石造物』)からの引用 赤〇部分に原材料、黄〇部分中央がすり減っている、青〇部分の溝は外まで続く。

ここで、諸説ある『酒船石の用途』で比較したい『説』が、松本清張氏の『ゾロアスター教・拝火教の儀式用』があります。 このゾロアスター教・拝火教は、世界最古の宗教の一つですが、7世紀後半以降はイスラム教の支配で衰退して、現在の五大宗教には入っていません。 

余談ですが、五大宗教の古さの順は下記の通りです。 現在は、複雑にモザイクのように入り組んだ世界で、58億人以上の信者がいます。 

 ヒンズー教: 紀元前数千年前ごろ
 ユダヤ教:  紀元前千年前ごろ
 仏教:    紀元前6世紀ごろ
 キリスト教: 1世紀ごろ
 イスラム教: 7世紀ごろ

因みに、
 ゾロアスター教・拝火教: 紀元前7世紀ごろ
 儒教:          紀元前5世紀ごろ
 神道:          紀元前数世紀(縄文時代後半から弥生時代)ごろ

ここで、このテーマに関連する事項を時系列に並べてみました。
① 『出水の酒船石』の発掘:                  1916年
② 『松本清張氏のゾロアスター教・拝火教の儀式用説』:     1973年
③ 『岡の酒船石』の関連遺跡『亀形石造物・小判形石造物』の発掘:2000年
④ 『ワンダーワンダー 京都天下無双の別荘群』のNHK放送:      2010年

 松本清張氏が、小説『火の路』に『ゾロアスター教・拝火教の儀式用説』を発表したころには、『岡の酒船石』の関連遺跡『亀形石造物・小判形石造物』の発掘はされておりませんでした。 当時は『岡の酒船石』に『亀形石造物・小判形石造物』含まれておらず、明日香村岡の遺跡は単独で遺跡の集合体ではなかった。 さらに、ラオスのワットプーの『ワニ石』との比較情報もなかった可能性があります。

 ウエブ情報にはこんなことも載っています。 

松本清張氏の;『火の路』で発表した学説の訂正を後の評論で発表
ここで注意したいのは、小説の中であっても、清張は古代史に関して自身が抱く学説を、登場人物を通して本気で語っていることである。 後に『清張古代史記』(1982年11月)で『火の路』に言及して、「あれはどこまでも小説だが、そこに述べた仮説はわたしのものである」と述べている。また、『火の路』で指摘されている「両槻宮」についての説の訂正を、後に『ペリセポリスから飛鳥へ』(1975年5月)で行っている。 普通ならば、小説中で語られている学説は訂正する必要がないはずだが、清張はそれを行っているのである。 つまり、彼は小説であっても、本気で古代史に関する自身の学説を語っていたわけである。

 酒船石は、 酒を造る道具・薬を造る道具・宗教儀式の道具、あるいは天体観測のためか等々、現時点では判断できませんが、益々、憧れの古代、縄文・弥生・古墳時代に、夢は広がり、これからの楽しみが増えました。
(記事投稿日:2020/03/07、最終更新日:2023/02/08、#148)

 

 

 

 


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