『大ピラミッドのこと 2(ピラミッド群の『からみ』堤防説)』
『からみ堤防説の確認、ナイル川両岸の地形を国会図書館地図部で調査』
ウエブ情報から引用
ピラミッドの謎の中の謎「なぜ建設されたか・Why」について、竹村公太郎氏(東北大学工学部土木工学科卒、建設省近畿地方建設局長、河川局長歴任)から新説が出ました。
竹村氏には、最近、歴史の謎に「地形」からアプローチする次の三部作ある。
① 「日本史の謎は『地形』で解ける」
② 「日本史の謎は『地形』で解ける【文明・文化編】」
③ 「日本史の謎は『地形』で解ける【環境・民族編】」
ピラミッドの建設理由は、多くの説が唱えられてきたが、実証的に否定された。 現在、最も有力な「ピラミッドそのものには意味はないが、ナイル川の洪水で穀物が収穫できないときに、社会秩序が乱れないように、王が公共事業として行った。」という説。 竹村氏は、これに対し、「この説はあまりに古代エジプト人を馬鹿にしている。 無駄な構造物を、1,000年以上にわたり、歴代王朝と古代エジプト人たちが営々建造するわけがない」と。 ←これには同感。
解明された謎、ピラミッドは;
① いつ?
4,600年前から3,600年前の1,000年の間に大ピラミッドを含むピラミッド群は建設された。
② どうやって?
材料の石灰岩は、ナイル川の東部の山々から切り出され、毎年7月から9月のナイル川の氾濫時期に、筏で西岸に運搬され、船着場で降ろされ、その石材は、長い直線傾斜路または、ピラミッド周囲の取り巻き斜路を、コロで引っ張りあげられた。 (其の一)に書いた、「逆レール橇説が有力」。
竹村氏が指摘する「否定されたとされる建設理由」は;
① 王墓説、②日時計説、③穀物倉庫説、④宗教儀式神殿説、⑤天体観測施設
但し、(其の一)で紹介の④宗教儀式神殿説は否定できるかどうか、疑問。
再度引用;
『ピラミッドテキスト』には、王が死して鳥となり地下より地上に飛び立つ。 そして西の空に向かっていくとある。 地下室が墓で、上は神殿。『太陽の船、二艘目も発見され、太陽の船は二艘、一艘には、マストと帆とロープ、この船には、太陽神ラーが、もう一艘には、ロープだけで、これに神になる王の遺骸が乗って太陽神ラーに、引っ張られて西へ・・』とある。
竹村氏の説;「ナイル川西岸だけのピラミッド」は、巨大ピラミッド3基だけではなく80基、未発見を含めれば、約100基。 東岸にはゼロ。 2008年に最新の1基が発見された。 これもナイル川の西岸にあった。この配列にこだわった視覚デザイン学の高津道昭氏は、「ピラミッドはテトラポット」であったと推理し、「ピラミッドはなぜつくられたか」(新潮選書)を出版した。
それでは、なぜ、ナイル川の左岸、つまり西岸だけにピラミッドが建設されたかナイル川の右岸、つまり東岸には、山岳地系が連続しており、ナイル川東岸の流路は安定している。一方、ナイル川西岸の砂は、ナイル川によって削られ、ナイル川は西へ西へとリビア砂漠に逃げて、ナイル川河口デルタが維持できない。
そこで古代エジプト人は、巨大な「日本でいう『からみ』」を建設することにした。 日本での『からみ』『からみ工法』とは、長い堤防は、建設が難しいので、杭を打ちこんで、その杭に、木のつるや枝、竹をからみつける。この『からみ』に堆積土が盛り上がってきて、これを突き固めて堤防になる。
エジプトでは;ピラミッドを適当な間隔で建設する。 毎年、ナイル川の洪水は、上流から土砂を運んでくる。 洪水はピラミッド周辺で澱む。 ナイル川の土砂は沈降し堆積する。
ここで残った謎は;
キザの3基の巨大で、大理石を貼り付け、輝く大ピラミッドは、ギザの大地に、なぜ建設されたか。
・河口に近い高台の上になければならなかった。
・可能な限り高くしなければならなかった。
・光の反射のために正四角錐でなければならなかった。
・光を反射させるため鏡のような大理石を張る必要があった。
ナイル川西岸の100基のピラミッド群は、ナイル川の堤防を形成した。
ギザ台地の3基の巨大のピラミッドは、デルタ干拓の灯台であった。
今後の課題;
「宗教儀式神殿説」を定説と信じ、今回の「からみ」堤防説を検証するために、ナイル川両岸の地形を等高線入りの拡大地図を「国会図書館」、その他で調査。
(記事投稿日:2014/08/17 、最終更新日:2022/03/26、#502)
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