『大ピラミッドのこと 12(ギザの石灰岩台地の上の見事な風景 2葉)』
『高津道昭氏の「ピラミッドのテトラポットによる堤防構築説」』
『高村公太郎氏の「ピラミッドのからみ工法による霞堤防構築説」』
100基近くのピラミッド群のテトラポット説は、高津道昭氏著書の『ピラミッドはなぜつくられたか (新潮選書)』から。
ウエブ情報から引用
ナイル川のピラミッド群は「ピラミッドのからみ工法にとる霞堤(不連続堤防)説」は、竹村公太郎氏著『日本文明の謎を解く 21世紀を考えるヒント』から。
ウエブ情報から引用
竹村公太郎氏の説、「ナイル川西岸だけのピラミッド」は、巨大ピラミッド3基だけではなく80基、未発見を含めれば、約100基。 東岸にはゼロ。 2008年に最新の1基が発見された。 これもナイル川の西岸にあった。 この配列にこだわった視覚デザイン学の高津道昭氏は、「ピラミッドはテトラポット」であったと推理し、「ピラミッドはなぜつくられたか」(新潮選書)を出版した。
それでは、なぜ、ナイル川の左岸、つまり西岸だけにピラミッドが建設されたかナイル川の右岸、つまり東岸には、山岳地系が連続しており、ナイル川東岸の流路は安定している。一方、ナイル川西岸の砂は、ナイル川によって削られ、ナイル川は西へ西へとリビア砂漠に逃げて、ナイル川河口デルタが維持できない。
そこで古代エジプト人は、巨大な「日本でいう『からみ』」を建設することにした。 日本での『からみ』『からみ工法』とは、長い堤防は、建設が難しいので、杭を打ちこんで、その杭に、木の蔓や枝、竹をからみつける。この『からみ』に堆積土が盛り上がってきて、これを突き固めて堤防になる。
エジプトでは;ピラミッドを適当な間隔で建設する。 毎年、ナイル川の洪水は、上流から土砂を運んでくる。 洪水はピラミッド周辺で澱む。 ナイル川の土砂は沈降し堆積する。
ここで残った謎は; キザの3基の巨大で、大理石を貼り付け、輝く大ピラミッドは、ギザの大地に、なぜ建設されたか。
- 河口に近い高台の上になければならなかった。
- 可能な限り高くしなければならなかった。
- 光の反射のために正四角錐でなければならなかった。
- 光を反射させるため鏡のような大理石を張る必要があった。
それでも、次の二葉の写真を見ますと、『高津道昭氏「テトラポットによる堤防構築説」』と、『高村公太郎氏の「ピラミッドのからみ工法による霞堤防構築説」』のどちらももう少し調べてみようと思っています。
ギザのピラミッド群の石灰岩台地の海抜は、ナイル川を挟んで、ギザ高台の対面、東側のカイロ市の海抜は15-60m。対して、西側のギザのピラミッド群は、海抜49-63mのギザ台地に立地です。 ナイル川の10mぐらいの増水には関係なさそうです。
ウキペデイア情報から引用(上空から見た三大ピラミッド)
約230万個のサイズ不揃いのキューブ石材を、高さ(当時)147ⅿも、面の角度52度に積み上げています。 堤防には勿体ないような気がします。
ウエブ情報から引用(上空から見た大ピラミッド)
大ピラミッドは調べれば調べるほど謎が深まります。
(記事投稿日:2022/07/24、#556)
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