知る喜びと、撮る喜びのつぶやき通信  (読める限り読み文章にする。 歩ける限り撮り続ける『花鳥風月から犬猫太陽』まで)

興味のあることは、何でも調べて文章にする。   写真は「光と影」と言われるが、この理解には、まだまだ、ほど遠い.

『COVID-19との長期戦に備えて 2(感染者増加率・PPM推移14)』 ―中国・台湾・日本・韓国と日本の一部の都道府県と比較―

2021-03-21 07:54:17 | 政治・経済

て『COVID-19との長期戦に備えて 2(感染者増加率・PPM推移14)

―中国・台湾・日本・韓国と日本の一部の都道府県と比較―

 

新型コロナウイルス『SARS-CoV-2』の変異種の影響をこれから、一番大きく受けるのは日本かもしれないと怯え、かつ憤っています。

心配になる点はここです。 人口100万人あたり感染者数、いわゆるPPMベースで韓国の1.8倍、台湾の85.0倍。』

 

20210318(アジア4ヶ国)、20210319(一部の都道府県)のデータで更新

世界中でCOVID-19が、変異株の所為か、大変な事態になっていますので、20210318/19の予測データで中国・台湾・日本・韓国と日本の一部の都道府県と比較を更新しました。

 

数値は、「日本全国の都道府県別と国別の人口あたりの新型コロナウイルス感染者数の推移」のデータを引用しました。 マスコミも、傾向(グラフ)と定量的『100万人あたり(PPM)とか,百分率(PCT)数値と更に、母数等を示して欲しいものです。 

 

単なる絶対数の数値表示には、都道府県別『前日比・前週比・前月比等も、更にはベスト5とワースト5』だけでも、付け欲しいと思います。 デジタル化・IT化につながります。

  中国 台湾 日本 韓国 東京都 沖縄県 大阪府 北海道 愛知県 神奈川県 埼玉県 千葉県
2002 55 1 2 57                
2003 57 13 15 191 38 6 32 34 23 17 13 26
2004 58 18 111 210 307 98 186 150 65 111 116 129
2005 58 19 133 224 377 98 202 207 67 148 136 145
2006 59 19 147 250 447 98 208 241 69 163 154 153
2007 61 20 267 279 912 272 482 275 273 276 315 265
2008 62 20 537 389 1,495 1,472 970 339 603 545 535 487
2009 62.91 21.58 656 464 1,848 1,711 1,211 401 710 758 633 622
2010 63.48 23.26 794 517 2,233 2,296 1,448 610 825 954 793 804
2011 64.55 28.34 1,178 676 2,941 2,977 2,301 1,689 1,339 1,365 1,147 1,120
2012 66.67 33.55 1,864 1,205 4,323 3,701 3,405 2,560 2,192 2,312 1,945 1,770
2101 69.52 38.25 3,085 1,531 7,187 5,192 4,963 3,323 3,181 4,432 3,427 3,565
2102 70.15 40.10 3,416 1,756 8,022 5,639 5,349 3,637 3,424 4,881 3,993 4,217
2103 70.77 43.20 3,690 2,016 8,671 6,202 5,699 4,019 3,772 5,256 4,486 4,784

 

     10月末  11月末  12月末        1月末        2月末  3月末予想

     前月末比 前月末比  前月末比 前月末日 前月末比 前月末比

中国   100%  103%   103%   104%   101%   101%

台湾   108%  122%   121%   114%   105%   108%

韓国   111%  131%   178%   127%   115%        115%

日本   121%  148%   158%   166%      111%        108%

東京都  121%  132%   147%   166%    112%        108%

沖縄県  134%  130%   124%   141%          109%        110%

大阪府  120%  159%   148%   146%          108%        107%

北海道  152%  277%   152%   130%          109%         111%

愛知県  116%  162%   164%   145%          108%         110%

神奈川県 126%  143%   169%   192%          110%         111%

埼玉県  125%  144%   170%   176%          117%          112%

千葉県  129%  139%   158%   201%          118%          113%

 

東アジアでは、日本だけが、まだまだ、安心できません。 優等国台湾は、まだ抑えこんでいます。 増加も気になりますが、中国の抑え込みは、日本で適用できるかどうかはわかりませんが、研究すべきと思います。 

 

特に日本の場合は、実態を定量的な解析、特に傾向を示して、正確に国民に理解していただき、まだまだ先になりそうな、ワクチンが間に合うまでは、繰り返しですが、『三密回避』、『マスク着用と、うがいの徹底』です。 

 

『指定感染症のCOVID-19のクラスター感染と爆発感染』を防ぐには、PCR検査拡大と陽性者には率先自主隔離と、お願い隔離の徹底が急務です。

 

とにかく、後手後手のモグラたたきは、先に行って、大変な出費と経済損失になります。 直近の事態は、日本が特に酷い状態ですので、見やすいグラフを多用し、定量的なデータ(最近の第四波懸念)を国民に、正直に提示して備えの重要性を理解してもらう。   

 

ずっと心配していました、ヒト(医療関係者不足)・モノ(医療関係機器・設備不足)・カネ(国は、お金の印刷・借金で調達できても、『縦割り組織・IT後進国』で末端まで、なかなか届かない事態)が、『どこかの目詰まり』よりは、『広範囲での目詰まり』です。

 

休業支援金(給付金)の制度設計は『もう少し、公平性について工夫がほしかった』の一語に尽きます。 IT後進国で『データ』のデータづくり(力仕事)と管理が下手で、上手く使えないのが理由でしょうか。

 (20210320纏め、#297)

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『塔(継承と改革・息づく匠の精神) 1(奇数の層塔は耐震構造?)』―著書「塔」は、哲学者・梅原猛氏の日本学黎明期のエッセイ集―

2021-03-17 13:31:45 | 寺院・神社・教会

『塔(継承と改革・息づく匠の精神)1(奇数の層塔は耐震構造?)

著書「塔」は、哲学者・梅原猛氏の日本学黎明期のエッセイ集―

 

薬師寺国宝東塔

薬師寺境内の建物は、西塔などが近年復元された建物であるのに対し、この「東塔」は薬師寺の建築物としては最も古い天平2年(730年)頃に建立されたとされる築1300年近い存在.(現代の鉄筋コンクリート造りの耐久年数100年前後に対して、『凄い』の一言です。) 

 

『更に、余計な一言ですが、この度のオリンピックスタジアム(新国立競技場)の建造費があれば、木造天守閣の建設が期待されている、江戸城・駿府城・名古屋城・他が建造できます。』

 

「薬師寺東塔」は、2009年7月に全面的な解体大修理事業に着手しました。2020年4月に落慶法要及び一般公開を予定しておりましたが、新型コロナウイルス感染拡大により延期しております。

 ウェブ情報から引用

 

塔、特に層塔、に興味を持ったのは、偶数層塔はなく、皆奇数層塔であること。

また、当然ですが、高層ビルが地震で一番大きく揺れる階は、最上階であることですがそれなら、層塔には、奇数層塔に限らず、偶数層塔もあっても良いではないかと素人は思ってしまいました。

 

ウェブ情報の抜粋・引用です。

『五重の塔と超高層ビルは周期2~3秒以上の固有周期を持つ構造物と見れば「同じもの」といえる。 基礎から天頂部までを貫通する「心柱」が全体を支え、各層の「側柱」が地震時にずれることで振動を減衰させるようになっているが、その減衰作用は、超高層ビルでは「制震ダンパー」という装置が担っているのだ。そして、超高層ビルという建物が持つ、とてつもなく大きな垂直方向の自重に加えて、地震と風といった水平方向の外力に耐える、しなやかな高強度材料による骨組みも、超高層ビルの高い変形能力を支える、折れない工夫なのである。』

 

一方、偶数層塔が存在しない理由は、奇数は縁起が良いものであると考えられていたためです。 ただし、物や行う事の内容によっては適さないとされるものもありますが、奇数が陽であり、偶数が陰であるとされています。

 

この思想は、古くからインド哲学(六師外道・六派哲学の思想など)にあり、 古代インド思想では、火・水・地を「三大」、または地・水・火・風を「四大」 とする。 これらに「虚空(アーカーシャ)」を加えて「五大」とする思想が現れた。

 

なぜ五重塔が多いのかと言えば,五大思想にあうからです。 偶数のものを作らないのは,縦に作るものは陰陽思想から奇数と決まっているからです。 奇数は動的,陽的で不安定を表し,偶数は静的,陰的で安定を表します。 偶数のものは横に広がるものに使われます。方位も四方位とか八方位です。 逆に縦に登っていくもの,例えば神社の石段の数は奇数で作ります。

 

仏教では、とくに奇数を重視するという考えはありません。 しかし、8は悟りを表す聖数として意識します。 そうして聖数であるがためにあえて表示せず(例えば、日本古代に天皇の姿を御簾で隠すのと同じ発想です。 あえて8を明確には表さず、その直前の7で代用するという方法が採られます。 例えば、末法の世界に再び救済をもたらす弥勒の降臨は、56億7千万年後ですが、これは弥勒の成仏を8と捉え、5→6→7という形で8への接近を表現したものです。

 

七重塔なども、こうした表現のひとつであると理解できます。 一方中国においては、古く殷帝国の頃より3を神聖な数として意識し、後天・地・人を表象するものとして意味づけされてゆきます。また、易の概念では奇数は陽数であり、天を象徴するものであって、とくに9がその最大の数であると位置づけられています。恐らくはこのような観念の複合から、神聖なる7に隣接する陽数として、3や5、9などが選択され、とくに天へ伸びてゆく建築である塔の〈理屈〉として構築されていったのでしょう。

 

偶数・奇数について余談です。

『欧米諸国では違って、英語では、偶数を「even」(ちょうど)、奇数を「add」(付け加えられたもの)から転じた「odd」(奇妙な・半端な)と言い、明らかに偶数優先主義である。 モーゼは「十戒」、キリストの弟子は「十二使徒」、オリンピックや米大統領選挙は四年に一度だ。外国紙幣では、二十米ドルや二万インドネシアルピアなど、偶数のお札は不思議ではない。』

 

『塔』はインドのサンスクリット語の『stupa 卒塔婆(そとば)』又は、プラークリット語の『thuva 塔婆(とうば)』の略称と言われています。

 

なぜ、三重塔・五重塔・七重塔・九重塔・十一重塔・十三重塔なのか。

層塔で一番多いのは、三重塔、次いで五重塔、百済大寺には七重塔(現存せず), 京都決勝時には九重塔(現存せず)、バリ島のPura Taman Ayunの茅葺十一重塔、十三重塔は、奈良談山神社に現存します。

 

中国の陰陽思想では、奇数を陽、偶数を陰とします。 陽は能動的、陰は受動的働きを表すが、どちらが良い悪いでなく、あくまで陰陽の和合によって宇宙のバランスが保たれると。

 

表題に戻ります。

 

昔、お世話になった会社が、有楽町の朝日新聞本社(当時、今は築地に)の向いでしたので、近くのバーで朝日新聞の方々にお会いする機会があり、その頃、梅原猛の著書を初めて紹介頂いたのが、下記三点でした。 当時は普段全く目に触れない本でしたので新鮮な感激でした。

 

『塔』

ウェブ情報から引用

 

『隠された十字架』

ウェブ情報から引用

 

『水底の歌』

ウェブ情報から引用

 

人物・梅原猛氏のウェブ情報です。

日本仏教を中心に置いて日本人の精神性を研究する。 西洋哲学の研究から哲学者として出発したが、西田幾多郎を乗り越えるという自身の目標のもと、基本的に西洋文明(すなわちヘレニズムとヘブライズム)の中に作られてきた西洋哲学、進歩主義に対しては批判的な姿勢をとる。 その根幹は、西洋哲学に深く根付いている人間中心主義への批判である。 西洋哲学者が多い日本の哲学界の中で、異色の存在である。

 

『塔』の中でこう言っています。

まったく同感! 「日本書紀は正史」とは言うが、当時の権力者による「勝者の記録」であり、藤原不比等の意向が反映されている。

 

法隆寺に建立に関する独特の解釈。 『隠された十字架-法隆寺論』(1972年)で展開。 法隆寺を聖徳太子一族の霊を封じ込め鎮めるための寺院とする説。その中から、大胆な仮説を刊行して毎日出版文化賞を受賞している。

 

柿本人麻呂の生涯に関する新説。 『水底の歌』(1972年-1973年)で展開。 「柿本人麻呂は低い身分で若くして死去した」という近世以来の説に異を唱え、高い身分であり高齢になって刑死したとする説。 正史に残る人物、柿本を柿本人麻呂とする。

 

その問題作に至る過程の思索が、この本で。1970(S.45)から2年間、「芸術新潮」に連載の梅原日本学黎明期のエッセイ集が『塔』です。

 

『塔』への興味はまだまだ続きます。

        (20210317纏め、#296)

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『古代の巨石文明 2(エジプト・4600年前)vs(マヤ・1300年前) vs (アステカ・700年前) vs(インカ・400年前)』

2021-03-16 06:48:20 | 歴史・世界

『古代の巨石文明 2(エジプト・4600年前)vs(マヤ・1300年前) vs (アステカ・700年前) vs(インカ・400年前) 

 

エジプト文明 エジプト ギザの大ピラミッド

 日本の縄文時代後期に、平均2.5トンの石灰岩を約270万個―280万個積み上げたと計算される。 現在高さ138.74m(もとの高さ146.94m、キャップスストンが8ⅿもあった)は、14世紀にリンカン大聖堂の中央塔が建てられるまで、およそ3000年間も世界で最も高い建築物であった。 

  総重量およそ200-250万トンの自重で潰れるのを回避するための重量軽減の間(縄文時代にこんな理論・技術があったのか!)が内部にあり、 王の間と女王の間にはそれぞれ通気孔が存在する。これは「シャフト」の名で呼ばれ、部屋の温度を一定に保つためのものと考えられている。

  仕上げにはこの大ピラミッドをカバーしていた白色の石灰岩の化粧石が全面に貼り付けられていました。 この化粧石は、道路やビルに使われたようです。 三大ピラミッドのすべてが、化粧石で覆われていました。 メンカウラー王のピラミッドの化粧石は上部が白、下部が茶色のツートンカラーです。 三大ピラミッドは、規模・内部構造・デザインセンス等、ただ驚くばかりで、『神々の指紋』の著者グラハム・ハンコック氏でなくても、想像が無限に膨らみます。

 

 マヤ文明 メキシコ チチェン・イッツァのピラミッド

 文字がなかったと言われるインカと異なり、マヤ文字はあった。 エジプトのヒエログリフやアナトリア象形文字と同様、表語文字と表音文字(音節文字)の組み合わせによる表記体系である。 文字の数は650から700種類があると見積られている。

  文字があっても、非常に複雑なマヤ暦は、ピラミッドの形に残した。 大きな9段の階層からなり、4面に各91段の急な階段が配されていて、最上段には真四角な神殿がある。 ピラミッドの階段は、4面の91段を合計すると364段で、最上段の神殿の1段を足すと、ちょうど365段である。 また1面の階層9段は階段で分断されているので合計18段となり、これらはマヤ歴の1年(18か月5日)を表す。このことから「暦のピラミッド」とも呼ばれる。

  マヤの暦では13というのが、ひとつのサイクルで使われている。 マヤの長期暦は2012年の12月20日ころまでだったので、ここで世界が終わるという終末論もあった。 実際は今もマヤの長期暦が新しい暦に入って、新しい時代に入ったという。 人為災害の、『新型コロナウイルスによるCOVID-19』も、『待ったなしの激甚気象』も、『杞人天憂』であって欲しいと祈るばかりです。

 

 マヤ文明 メキシコ テノチティトランの水上首都

 テノチティトランは、かつてのアステカの首都。 最盛期には人口は約30万人であったと伝えられる。 テスココ湖の島上に建設された。 現在のメキシコシティに相当する。 テノチティトランはナワトル語で「石のように硬いサボテン」を意味する。 16世紀初頭、スペイン人のコンキスタドール(征服者)エルナン・コルテスによってアステカが征服されたのち、1520年代に破壊された。 コルテスは、植民地「ヌエバ・エスパニョーラ(新スペイン」の首都、現在のメキシコシティを、テノチティトランの廃墟の上に立て、その別名メシコをもって新しい都市の名とした。 現在テスココ湖はほとんど埋め立てによって消失している。

 

マヤ文明 メキシコ テオティワカン遺跡

 テオティワカンは、メキシコの首都メキシコシティ北東約50キロの地点にあり、紀元前2世紀から6世紀まで繁栄した、テオティワカン文明の中心となった巨大な宗教都市遺跡。 当時のアメリカ大陸では最大規模を誇り、メソアメリカの中心的都市として機能していた。

 

 テオティワカン人の宇宙観、宗教観を表す極めて計画的に設計された都市で太陽のピラミッド、月のピラミッドとして南北5キロにわたる道(「死者の大通り」)が基点となり各施設が配置されている。 

 

 当時最盛期の人口が、20-30万人と推定されるが、この人口で、これだけの規模の宗教都市の設計(縄張り)と建設工事の監督指揮、そのための行政管理ができたのに驚くと同時に、有能なリーダーとスタッフ陣が揃っていたのでしょうか、今の日本とついつい比較をしてしまいます。

 

 インカ帝国 ペルー オリャンタイタンボ

写真(1)

ウエブ情報より引用

ウエブ情報より引用

ウエブ情報より引用

  この三枚組の中と下からご覧ください。 中央部分の壁に窓のような窪みが作られています。 これが壁龕。10あるので『10の壁龕の神殿』と呼ばれています。 かっては、おそらく黄金の神像などが飾られていたのでしょう。 遠景・俯瞰では見えませんが、壁龕の左手に『L』字型に、ついているのが『オリャンタイタンボ』です。

  世界中の著名な、先生方も、この15世紀に構築されたオリャンタイタンボの遺跡について石の切り出し・運搬・構築方法に関して全く推測さえしていない。 

 

写真(1)、15世紀構築のインカのオリャンタイタンボの6枚屏風岩

6枚中最大のものは、高さ4m、幅2.5m、厚さ平均1m、重さ約80トン。

  日本にもある石舞台(7世紀、時間差は約1,000年)には、77トンと60トンの天井石が載せられていますが、全く加工はされておらず、無垢の自然石です。

   ユーラシアとその諸島、英国・日本等の巨大な石を使った遺跡は、ある程度、切り出し・運搬・構築方法は、推測できるし、一部には痕跡もある。 このオリャンタイタンボの6枚屏風岩遺跡を含む、精緻に加工されたインカの遺跡には、殆どその痕跡がない。  先ずはウエブ情報です。

  一番近くの花崗岩の石切り場は、直線距離で10キロ、実際の運搬距離では少なくとも15キロ離れたウルバンバ川支流のパタカンチャ川の流れ込む谷間向こうにある。

  6枚屛風岩のある地点は150mほどの高さ。 花崗岩の石切り場のある地点は330mほどの高さ。 つまり、6枚屏風岩の建造者は80トンもの重量のある巨石を330mの高さの山上で切り出し、一度山の麓まで降ろし15キロもの距離を運ぶ途中で川を渡らせ、再び、150mもの丘の上に上げたことになる。

  50トン以上の石6枚を切り出し・運び・並べて建てるのは不可能に近く、機械を使わずに、どのようにしてこれを作ったのかは解明されていない。

 インカ帝国には、巨大な石を使った遺跡が数多く残されており、その加工技術も謎のままで石の表面が非常になめらかに加工されているものが多い。

 

エジプト・メキシコ・ペルーの巨石遺跡の中には、知る喜びの前に、解らないことが多く、課題が残ります。

    20200823纏め、20210316一部訂正、 #208

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『希望と期待より、既にそこにある問題・課題群 3』 ―大震災10年 日本は変われたか―

2021-03-14 11:29:55 | 政治・経済

      『希望と期待より、既にそこにある問題・課題群 3』

                  ―大震災10年 日本は変われたか―

 

東日本大震災の大津波の画像(この大震災を「喉元過ぎれば・・・」とは絶対させないために、せめて、この備忘録を!)

 

20210309-0313に日経新聞の一面に『日本は変われたか 大震災10年』が連載されていました。

 

復興の哲学を変える必要があった(岡本全勝・元復興庁事務次官)

右肩下がりの時代に、哲学も変えずに地域再生バラマキでは限界

定数化・定量化とその傾向・経緯の観測分析、と対策効果の分析必ず実施して実態をいつ  も正確にして把握、国民に公開が必須。 

 

②危機なのに法律の壁を感じた(佐藤仁・宮城県南三陸町長)。 

危機が問う政治の実力・放置される課題・想像力欠く備え 

日本の法制度の歪みと限界、法整備の遅れ、万事が万事先送り

 

 

③デジタル社会の構築に限界を感じた(武藤真祐医師)。 

IT阻む「現状維持」医師の機運低調・国連「電子政府ランキング 14位」

 接触確認アプリ「COCOA」の早急なスムース運用

 

④アクション伴わねば意味なし(斎藤淳・元東京証券取引所グループ社長)

 ゼロリスク思想油断招く

 証券取引の災害対策・ハッキング対策の備え、中央集権から分散型には、当然、万事が 万事!

 

日本では、大勢をリードすることが苦手ですが、人口大国で成長途上にあった、中国やインドが変化・大発展をしています。 大概のことは、変えるには、デジタル化(定数化・定量化)とIT化で傾向・経緯の観察と、結果の検証が、その都度必要。 

 

効率の良い『力仕事』を皆でやれば、いろいろな問題が浮き彫りされ、優先順位も自ずと解る。 『力仕事』には、当然、手作業も、頭脳労働も、『国会の会議』も入ります。 ひねずくれた考えかもしれませんが、これを通じて、老若男女を問わず、『道徳観』『倫理観』にまで影響を与えられると信じています。 『どうしたらできるか?』、勤勉で、負けず嫌いな日本人ですから考え、実現できます!

                      (20210314 纏め、#295)

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『宇宙考古学 1(分り易く言えば「宇宙から探る地上の考古学」)』―著書のタイトルは「宇宙考古学の冒険(原作:ARCHAEOLOGY FROM SPACE)」―

2021-03-13 22:29:20 | 歴史・世界

『宇宙考古学 1(分り易く言えば「宇宙から探る地上の考古学」)』

    ―著書のタイトルは「宇宙考古学の冒険(原作:ARCHAEOLOGY FROM SPACE)」―

 表題の著書を読む前に、航空レーザーによるマヤ文明の遺跡発見の情報を読み、航空レーザー・航空写真に興味を持ちました。 今までも良く見ていた、グーグルの航空写真については、今までの地理・地形への興味から、歴史にも関連付けるようになりました。

 メキシコにあるマヤ文明「アグアダ・フェニックス遺跡」の航空レーザー測量画像。 巨大な長方形の祭祀(さいし)施設は南北1413メートル、東西399メートル(米アリゾナ大の猪俣健教授提供)

ウェブ情報から引用

 以前、日経新聞の文化欄に紹介された、パーカック・サラ著、『宇宙考古学の冒険 古代遺跡は人工衛星で探し出せ(原作:ARCHAEOLOGY FROM SPACE・HOW THE FUTURE SHAPES OUR PAST)』がありました。 好奇心からだけですが、宇宙にも、考古学にも少し興味があったもので、タイトルを見た瞬間に考古学も宇宙まで拡がったのかと思い、読み始めました。

ウェブ情報から引用

 

要旨ウェブ情報から抜粋・引用

 現代のインディ・ジョーンズ”は、人工衛星で遺跡を探す!「宇宙考古学」とは、衛星画像データを 分析することで遺跡を発見する学問だ。 現代では、より高解像度でマルチスペクトル画像(*)を安価に扱えるようになったことで、表面の植生の違いからその地下にある物体の差異を見つけたり、踏査の難しい砂漠や密林を探索したりすることができる。 この分野の第一人者であり、気鋭のエジプト学者であるパーカック・サラが、みずからの体験を軸に、宇宙考古学の最先端、大発見、そして秘められた可能性を余すところなく紹介する。また、世界の古代遺跡の保全のために宇宙考古学が必要である理由、そしていま私たちが破滅した世界から学ばなくてはならない理由にもふれる。

 

(*)マルチスペクトル画像には、人の目で見える可視光線の波長帯の電磁波だけでなく、紫外線や赤外線、遠赤外線などが該当する、人の目で見えない不可視光線の波長帯の電磁波も記録されます。

 

著者 パーカック・サラ(Parcak,Sarah) ウェブ情報から抜粋・引用
アラバマ大学考古学教授。エジプト学者。衛星画像から遺跡を探すクラウドソーシングのプラットフォーム「グローバルエクスプローラー」を2016年に創設。 現在までに約10万人のボランティアが参加し、南米などでの遺構の探索に貢献している。 リモートセンシング(**)を考古学研究に応用した活動には世界中のメディアが注目し、英国BBCはエジプト、ローマ、ヴァイキングの古代文明について著者をプレゼンターとして番組を製作した。 2016年TED Prizeを受賞。ナショナルジオグラフィック協会のエクスプローラーでもある。 

 

(**)対象に触れずに計測を実現する技術の総称である。 主に遠隔地にあって規模 の大きい計測対象を調べる際に多く用いられている。 

 

  この著者は冒頭にこう言っています『私はずっと、滅びた世界を相手にしてきた。 比喩ではなく、文字道理の意味で。 私は考古学者だ。 エジプトや中東での発掘作業、中南米の遺跡の探査、ヨーロッパ全域の遺跡のマッピングに明け暮れてきた。 要するに、足下の土と、そこにあるかもしれない不思議なものに夢中なのだ』と。 

 

 このような地上の踏査と発掘からリモートセンシングを考古学研究に応用した活動に入っていっています。 さて、その切掛けですが、祖父のノルマンディー上陸作戦の落下傘部隊作戦のための、当時は最先端技術であった航空写真の分析を、事後、孫娘のパーカック・サラは聞いたことのようです。

 

風景を俯瞰するのは良いものです。

昔、商用出張でロスアンゼルスから中米へのフライトはカルフォルニアの岩石砂漠の上を飛行します。 数時間の間、地上の風景にクギ付けになりました。

 

最近は、ゴーグルマップの航空写真で世界中のどこでも、俯瞰できます。

 

昔、江戸時代の絵師・北斎はこのような鳥観図を描いています。

 

ウェブ情報から引用

 

宇宙考古学が扱う範囲

 人工衛星画像のような新しいテクノロジーによる発見は本当に驚異的。 そうした発見は、私たちの歴史を書き換える手助けをしてくれている。 長期間を費やして、数十カ所の遺跡をマッピングしていたことが、数週間で数百カ所の遺跡で同じことができる。 更にAIの発達が同じことを数時間で処理できるようになる。

 

 遺跡の位置を知ることは最初の一歩にすぎず、その後も、地上で遺跡を調査する『グラウンドトゥルース』という作業が必要になり、その次には『力仕事』の発掘作業になる。

 

 ここで、余談です。 考古学が変わったように、大概のことは、変わるには、デジタル化(定数化・定量化)とIT化で傾向・経緯を観察と結果の検証が必要。 効率の良い『力仕事』を皆がやれば、いろいろな問題が浮き彫りされ、優先順位を自ずと解る。 『力仕事』には、当然、手作業も、頭脳作業も、『国会の会議』も入ります。

 

日経新聞の一面に『日本は変われたか 大震災10年』が連載されていました。

復興の哲学を変える必要があった(岡本全勝・元復興庁事務次官)。 

②危機なのに法律の壁を感じた(佐藤仁・宮城県南三陸町長)。

③デジタル社会の構築に限界を感じた(武藤真祐医師)。 

④アクション伴わねば意味なし(斎藤淳・元東京証券取引所グループ社長)

 

 表題に戻ります。

20数年前にはなかった、人工衛星画像による宇宙考古学と地上探査によって、最初に見付かったのは、当然ですが広大なブラジルのアマゾン流域で見つかった『先コロンビア期の遺跡・サンタレン文化』でした。

 

 宇宙から遺跡をマッピングするのは楽しい作業のようですが、その遺跡を実際に調査する力仕事は大変なようです。 数千年もの時間を溯ることになり、当時の人々が、様々な神を信じ、今では失われた言語を話し、人の住んだことのないと思われる場所に住んでいた時代だ。

 

歴史は「積み重なる」

 パーカック・サラ氏がエジプト考古学に余生を過ごすようになった切掛けを、この著書の中で、このように語っています。

 

1999年のある午後、カイロに向かう飛行機に乗っていた。 偶然か、それとも天の配剤か、左側の窓側の席に座っていた。 飛行機がギザのピラミッドの上を低く飛んだ。 ずっと心の中にあった夢のすべてが、『太陽の光を浴びて金色(建造当時のキャップストーンは、ただし表面は白石灰岩の化粧石で平斜面に化粧されて)光る4500年前の、(が今は)、風化した石灰岩の、階段状の四角錐として、目の前に、横たわっている。 

 ギザの地を何度も踏んだ今でも、ピラミッドを訪れると心が揺さぶられる。古代エジプト人が推定2万人の作業者を使って、第四王朝の偉大の王たちの墓(神殿も兼ねた)を立てた理由や、建設の時期や方法について、理解しているが、その知識で驚きが色あせることはない』と。

  また、余談です。 四半世紀も昔のことですが、欧州商用出張に北回り(アンカレッジ経由)パリ行きをよく利用しました。 数杯のナイトキャップとアンカレッジで夜食、後は映画というパターンでした。 ある日のフライトの時ですが、夢中になって『座頭市…』を見ていたら、突然CAに起こされました。 『機窓からオーロラが見えています』と。 

 

 良き貴重な経験が出来ました。 『地上から見るように、きれいな色のついたカーテン状のものではなく、白色の雲がたなびいて、かすかに色がつぃいている』みたいな感じでした。 仰観ではなくほぼ水平視でした。

 

 表題に戻ります。

遺跡は「写真」ではなく「フィルム」

 かって存在したものから教えられることの一つは、私たち自身が間違いなく、やがて消え去るということだ。 英語では遺跡のことを『ruins』(*)という。 この単語は破壊を暗示しており、普通のものや当たり前のものより、否定的なものを意味している。

(*)〈…を〉破滅させる、荒廃させる、台無しにする、めちゃくちゃにする 

 

 パルミラ遺跡で起こった事件は、パルミラは、古代世界で東洋と西洋の境界線上にあり、さまざまの文化が行き交ったシリアの大都市だ。 このパルミラ遺跡のベル神殿の一部が、ISIL(イスラム国)に爆破された。 考古学者のコミュニティーはベル神殿の再建を巡って大議論が続いている。 

 

 ゼノビア女王の下で、隆盛を極めるまでに何度も文化が入れ替わっていた。 そして272年ローマ皇帝アウレアヌスは兵士たちに、パルミラの略奪を許した。 その後、ティムール朝によって破壊された。 つまり、現在のパルミラ遺跡にあるのは、幾重にも複雑に重なり合った破壊の跡であり、 世界規模の権力闘争と変化する政治同盟の遺物だと言える。

 

 一方、ISILによる破壊も占領も、その歴史の流れの一部であり、ISILの残虐さの認識と、無残な破壊の瞬間を永久にとどめて、忘れないようにすべきだろうという意見もある。

 

 まさに『歴史は「積み重なる」』です。 現状維持も再建も難しい判断になるものです。

                 (20210313 纏め、#294)

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