原左都子エッセイ集

時事等の社会問題から何気ない日常の出来事まで幅広くテーマを取り上げ、自己のオピニオンを綴り公開します。

安倍政権よ、真摯に“新型コロナウィルス騒動”と向き合うべきだ!

2020年02月25日 | 時事論評
 先程見聞したニュース報道によれば。

 加藤勝信厚生労働相は25日の衆院予算委員会分科会で、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」から下船した人のうち、発熱などの症状がある人が28人いると明らかにした。 厚労省が実施している健康状態のフォローアップ調査で判明した。


 私が危惧した通りの事態だが。

 どうやら、今回のクルーズ船より下船させた何百人もの日本人に関しては、下船直前にウィルス検査が一切成されていなかったとの情報だった。
 
 メディア報道に答える下船者曰く、「ウィルス検査を受けたのが14日前の事で、その後一切検査を受けずして、今回全員が船内から“自由解散”の措置となった。」
 ある人はその状況を懸念しつつ、「こんなことでは本気で喜べない。 自分はタクシーで自宅まで帰るとの手段をとった。」

 実際、下船者の中で陽性者が出ている。 お気の毒にその方は、高熱を発症して現在医療機関で治療中との報道だ。

 では果たして、その他の発熱者28名の対応に関して政府は如何なる方策をとっているのであろうか??

 ここは、新型コロナウィルス肺炎発症者が数百人規模で発生している韓国の対応を学ぶべきではあるまいか?

 韓国ムン大統領がこの感染拡大に際して、即刻実施した対策とは。
 とにかく、早急にそれらの患者氏達全員にウィルス検査を施すことだったらしい。

 片や日本政府は。 
 どういう訳か、未だに感染可能性のある国民のウィルス検査を拒み続けているとのことだ!
 要するにウィルス検査を施すことにより国内患者数の実態が膨大な数値となり、それをメディアに発表される事態を恐れているとしか考えられない。

 ここは日本政府も韓国に学び、とりあえず日本国民のウィルス感染状態を正確に把握するためにも、疑わしき国民皆のウィルス検査を早急に実施しては如何なのか?

 医学素人の安部首相や厚労省大臣が、例えばクルーズ船対策に大失敗した事実に鑑み、それらの感染者数を隠蔽しようと志そうが。

 今や世界規模で拡大を遂げている新型コロナウィルス感染状況だ。
 
 安部さんが国内で森友・加計学園問題や桜問題を、あくまでもしつこくも隠蔽せんとする事態と比較して。 
 今回のコロナウィルス感染問題は大幅にその趣旨や内容が異なり、国民1億2千万人の命がかかっているのが大きな特徴だ。 

 ここは是が非でも優秀な側近に相談するなりして、今回の新型コロナウィルス感染問題に関する素人考えの「隠蔽工作」を即刻取りやめ、首相である安部さんこそが真摯に対応してはいかがか?!? 

終わりゆく夏の夜に過(よぎ)る夢 ー vol.2 ー

2020年02月25日 | 恋愛・男女関係
 前回のエッセイ「恋の結実と別離の狭間 ーvol.2ー」が、どうやら好評を博した様子だ。
 
 ここで、またもや「新型コロナウィルス騒動」関連論評エッセイにテーマを戻すのも私自身に“興ざめ”感があるため、本日も恋愛ものバックナンバーの引用を続けよう。


 本日紹介するのは、2009.08.25公開の「終わりゆく夏の夜に過ぎる夢」である。
 早速以下に要約引用させていただこう。

 今朝方の東京地方の最低気温は、21℃程だったのだろうか。
 夜中の3時頃、夢を見ている途中だった私は、東側の窓から忍び込んでくる“肌寒い”とさえ感じられる冷気を含んだ風がさわさわと窓のカーテンを揺らす音で目覚めた。
 おそらく今夏一番の涼しい朝を迎えた夏の終わりの夜に、私は不思議な夢を見た。

 その夢の登場人物は私の過去の恋愛相手である。 当該恋愛相手が私の夢に登場したのはおそらく30年ぶり程のことと思われるほど、私の潜在意識の中にさえ存在するはずはないと自分では認識している人物の夢だった。
 すっかり忘れ去ったはずの恋愛なのに、何故にこの夏の終わりの涼しい夜に私の脳裏に突然その恋愛が蘇ったのか、私自身が実に不思議だ。

 夢の内容といえば例外なく夢特有に曖昧模糊としているのみで、摑みどころがない展開である。
 少し端折ってその内容を振り返ると、どういう訳か私がその人物と国際航空便で海外旅行に向かっていて、その機内の風景が夢の舞台である。 そしてまたどういう訳か、小中学校時代の幼馴染の男の子達も数人出演してくれている。 そんな中、これまたどういう訳か機内放送で私達カップルが紹介される場面になるのだが、乗客の皆が我々を祝福してくれるのだ。 (さらに詳細部分もあるが、これを公開するとその人物が特定されてしまうため以下は略すことにしよう。)
 いずれにしても“いい夢”だったことは確かだ。 きっと、涼しい夜に心地よく眠りに付いていた私の脳裏に、一時の安らぎがもたらされたのであろう。

 ところが実際のその恋愛自体は、決してハッピーエンドの道を辿ってはいないのだ。
 当時、片田舎の学生同志だった若かりしカップルは、若気の至り故に羽目を外しては無茶をしたりもしつつ、若き日の青春の日々を二人で綴っていた。
 悲しい事に、若き日の恋愛とは必ずや別れが訪れるものである。 その“別れ”の想い出が美しいならば、もしかしたらすばらしい過去の恋愛の歴史として、顕在的にその歴史を自らの脳裏に刻み続けることが可能だったのかもしれない。
 ところが私のこの恋愛はそうではなかった。 私の認識では、なぜ二人が別れたのか捉えどころがないまま自然消滅したとも言えるのだ。
 当時の私は、相手の男性の方が“悪い”からそういういきさつになったと信じて疑っていなかった。 私はその恋愛を続行したいと思っていたのに、相手が自分勝手だったから故に訳がわからないまま恋愛が終焉せざるを得なかったのだと、ずっと認識していた。
 その時の私の相手に対する“恨み”にも似た心情すら、時間の流れと共に潜在意識の中で既に消滅しているはずだった。

 そんな時、昨夜の窓のカーテンを揺さぶる冷気を含んだ風が、眠る私に事の真意を再考するように促したとも思えるのだ。
 その登場人物と綴った様々な恋愛風景が、長い年月を経た今になって、涼しい夏の終わりの真夜中にフラッシュバックしたのだ。 私の方こそが自分勝手な行動を散々取ったその頃の日々の奔放な風景が、私の脳裏に走馬灯のように駆け巡ったのだ。
 一例を挙げると、当時学生だったダンス好きな私は学生主催の“ダンパ”(ディスコ系ダンスパーティ)を好んでいたのだが、それに私が参加するのを嫌う恋愛相手が「出来ればダンパには行かないで欲しい」と言うのを軽く蹴散らし、ダンパに参加し続けていた。 そこで知り合った別の男子学生と軽いノリでドライブを楽しんだりもした。 そんな若気の至りの軽薄過ぎる私の行動を、表面上は「いいよ」と許してくれた相手の心中に、私に対する不信感が徐々に募っていたことは今振り返ると明白である。

 そんなこと、30年以上も経った今となってはもうどうでもよさそうなものなのに。 何故か今年の夏の終わりの冷気を含んだ風が私に“みそぎ”を迫るかのごとくに、私のかすかな潜在意識に吹き込んだとも受け止めることができる、何とも不思議な今朝方の夢である。
 
 (以上、2009.8月公開のバックナンバーを要約引用したもの。)


 このエッセイにも複数のコメントを頂戴した。
 その中から“アラ還”とご自身がおっしゃる当時の我がエッセイ集ご常連コメンテイター K氏よりのコメントと、それに対する私からの返信を以下に紹介しよう。

 アラ還も夢を見る (K氏) 2009-08-26 03:53:28 
 いいエッセイだなあ、鉄路を歩く少年達の背を見ている様な感覚で読ませていただきました。 長い長い青春の恋愛小説を読んだ気持ちです。 自己中のギラギラした酒とバラと女の夢しか見なかったのが、還暦を過ぎる頃から、妙に醒めた、しかして平穏な心持で自分を頭の上から見ている様な夢を見る様になりました。 きっと窓から爽やかな風が入ってきていたのかもしれませんね。 ダンス・パーティの梯子の女に乾杯!
 
 Kさん、素敵なコメントをありがとうございます。 (原左都子) 2009-08-26 10:38:55 
 今回の記事は久々に綴った我が“過去恋”がらみのエッセイでした。
 選挙が近く周辺の雑音が鬱陶しいのに加えて、我が子の夏休みが終わりに近づき宿題の手伝いもまだ山と抱え、雑念の多い落ち着かない不本意な日々を送っている私にとって、昨夜の夢は一時の心の余裕をもたらしてくれたような潤いのひとときでした。 
 真夜中の涼しい風が運んでくれた思わぬ贈り物に感謝です。
 ダンパ(ダンスパーティ)って、趣味が大きく分かれる分野のため、付き合ってくれる人と絶対に行きたくない人が極端に別れてしまいます。 特に若かりし恋人達にとってのこの趣味の相違は、恋愛継続の岐路であったようです。
 もっとも学生主催のダンパとは、所詮は“ナンパ”のために存在するパーティだったものですが…。
 Kさんも還暦を過ぎられて尚、さわやかな夜風の下で素敵な夢を見られますように。


 この夢内の恋愛も今現在振り返るに、まさに「恋の結実と別離の狭間」を彷徨った恋愛だったことを、今更ながらに思い知らされる。
 
 何故、私は恋愛に於いてその“失敗”を何度も繰り返したのだろうか?
 その回答とは。  私の恋愛とはいつも“真面目さに欠けている”と言うのか、相手に対して“無責任”であることに端を発していたような気もしてきた。
 その頃既に20代前半期、「結婚」を意識しても不思議ではない年代であるにもかかわらず。  そもそも“結婚願望”に欠落していた私は、当時上京して就職することこそを揺るぎない第一目標に掲げていた。 それを必ずや実行に移すであろうとの思いは相手の心理内にもあったことだろう。 
 要するに上京後も長く続いた独身時代を通して、「恋の結実と別離の狭間」を彷徨い続ける我が恋愛に於ける変癖とは、私の内面に確固と存在していた“結婚願望欠落意識”に源を発していたと分析出来そうに思えて来た。

 ところであの頃いつも「原左都子エッセイ集」に粋で“こなれた”コメントを頂戴していたK氏だが。 当時未だ“アラ還”であられたとのことは、現在まだ70歳そこそこのご年齢ではなかろうか?? 物理学研究者であられたと記憶させて頂いているが。 
 私自身が既に60代半ばに達しようとしている身にして、意外と若い方だったのか? と再認識させていただいた。  もしお元気でしたら、是非また「原左都子エッセイ集」をお訪ね下さいますように。