私が入学した高校とは、出身県内一の歴史がある名門高校だったのだが。
この高校へ進学せんとした一番の理由は、(自分で言うのもなんだが)中学の学業成績が優勝だったことがきっかけだ。
ただこの高校は元女学校だったがために、当時は女子生徒が多数との特異性があった。 それも“良家の令嬢”が多数との噂もあった。
(その後高校総合選抜制度が開始し、その特徴は消え去ったようだ。)
我が希望としては、男女がまんべんなく学ぶ場を選択したかった。
そこで、私は1ランク低い高校を第一希望としたいと親どもに申し出たところ。 「そんなバカはいないよ。 学業成績を十分に満たしているのにあえてランク下の高校を選択するなどありえない。」と取り付く島もない。
そうこうして無事受験に合格し、入学前の“学校説明会”に出席した時のことだ。
体育館内に集合しているのは、まさに“良家の子女”っぽいおりこうさん風の女子がほとんど。 一応共学のため男子もちらほらいるにはいるが、言っちゃ悪いが(何で男子の身にしてあえてこんな女ばかりの高校を選んだんだよ。 気持ち悪いなあ~~)と落胆しつつ…
早くも“後悔先に立たず”の心境に陥ってしまい、入学式を迎えるのが憂鬱だったものだ。😩
その入学前の予感が的中したまま、我が高校生活が開始した。
ただまあ1年次などは私自身が未だ幼いこともあり、仲良くなった学友とキャピキャピしたりもした。
何分生徒の100%が進学するバリバリの受験校のため、勉強にも精を出すのだが。
高2の半ば頃から、どうも精神的不安定感に襲われ始めた。 入学当初は成績優秀だった私の成績がどんどんと落ち始める…
それに輪をかけるように我が阿保親どもが、「姉が県外の大学へ入学したから、妹のあなたは家に残りなさい。 理系・文系は好きにしてよいから地元の国立〇〇大学を目指して受験勉強を頑張りなさい。」とホザき始め…
その時の心境を思い起すに、何の未来もなくなったかの感覚に陥ったものだ…
我が精神不安定感がどんどん増強していく。(時代背景的に精神医学が未だ発達していなかったこともあるが。) 特に我が阿保親どもが我が異常に気付くはずもなく、過食症気味になった私をむしろ喜んで、(今好意的に思えば、あれは阿呆親なりの私への応援の仕方だったのだろうが)沢山の食べ物を私に与え続ける。 我が体重が一気に10㎏程増えたりもしたが、その増え方が“病的”であることにも愚かな親どもは気付かない。
正直言って、高3以降はまったく勉強に手が付かなかったと言って過言でない。
ただ高2半ば頃まで勉強を頑張った“貯金”がものを言って、私は親の期待通りに地元国立大学への入学が決定したのは幸いだった。
しかも後で思えば、元々理系志望だった私が「医学部(臨床検査技師コース)」を選択したのが大正解だ!
単身上京後はその医学の道で我が身を立てつつ自分なりの資産も増強しながら、面白おかしい人生を主体的に存分エンジョイして現在に至っている。
我が過去の記述が長引いたが。
本日の朝日新聞「悩みのるつぼ」は、20代男性による「高校の苦い思い出で自己嫌悪に」と題する相談だった。
いやはや上記人生を歩んだ我が身と重なるため、一体どうしたのかと興味深く相談内容を読ませていただいた。
その内容を手っ取り早く紹介すると。
元高校野球児だった相談者が、高2の冬に大けがをしたらしい。 ちょうど受験勉強が本格する時期で焦りはじめ。 結果として「野球」にも「勉強」にも身が入らなくなり… 挙句の果てには、第一志望大学合格は叶わず…
との内容のようだ。
さて、今回の‘悩みのるつぼ”回答者は 歌手・俳優の美輪明宏氏なのだが。
その「あなたは『青春時代の真ん中』にいます」と題する回答内容の一部を、以下に引用しよう。
相談者が置かれている今は‘袋小路”のようですが、青春時代とはみんなそういうものです。
小学生の頃から一直線で何でもうまくいく人は、ほんの一握り。(中略)
どこの大学が上などと、誰が決めるのでしょう?
今一度冷静に考えればわかると思うが。
「青春時代は道に迷っているばかり…」という森田公一氏の歌を聞けば、相談者の貴方はまさにまだまだ 「青春時代の真ん中」にいることがわかるでしょう。
(以上、美輪明宏氏の相談に対する回答の一部を要約引用したもの。)
最後に、原左都子の私見に入ろう。
まさに今回の相談者男子学生は、途中怪我に苦しんだとは言えども、野球の歴史とかかわったとの大いなる経験値をお持ちだ。
更には第一志望ではなかったとはいえ、現在大学にて学業にも励まれている。
なんの不服があるというのだろう。
今現在、成しているそのあなたの努力を今後も続行するならば。
貴方の未来は明るいことを美輪明宏氏同様に、この原左都子も保証申し上げたい。