◎古畑種基をめぐる謎
一九九〇年代の初めに、松田薫氏の『[血液型と性格]の社会史』(河出書房新社、初版一九九一年五月二四日)が出た。発売からしばらくたって購入し、一気に読了した。一次資料が豊富に引用され、非常に説得力のある本だった(私が購入したのは同年七月二四日発行の再版)。
昭和初年に、古川竹二という心理学者が「血液型と気質」の相関説を唱えたことがある。松田氏のこの本では、古畑種基という法医学者・血液型学者は、初めのうち古川竹二の学説を持ち上げておいて、後になって完膚なきまでに叩いた非情な人物として描かれている。古畑種基のそうした一面については、もちろん、この本を読むまで知らなかった。
古畑種基は、『週刊朝日』一九七一年一月一九日号にある「血液型考現学・『A型人間』がニッポンを支配する!?」という記事の中で、記者に対し、「血液型と性格ねえ。私はB型だけど、家族の他の血液型のものと比べて、なにか違うような気がすることもある。でも、これ、何の科学的根拠もないからね」と答えている。これによって、生前の古畑が「B型」を自称していたことがわかる。
この『週刊朝日』の記事は、七ページにも及ぶ記事で、政治家あるいは芸能人の血液型を多数紹介しているところに特徴があった。ちなみに、この記事から八カ月後、能見正比古の『血液型でわかる相性』(青春出版社、一九七一年九月一五日)という本が出て、ベストセラーになった。
能見本の一九ページには、「血液型にゆかりが深く文化勲章を受章した古畑種基博士もB型である」とある。おそらく週刊朝日記事に依拠したものであろう。さらに、松田氏の『[血液型と性格]の社会史』も、その二一一ページで、古畑種基のことを、「典型的な『B型』」と評していた。
ところがその後、古畑の血液型は、実はB型ではなかったという話が出てきた。『[血液型と性格]の社会史』の刊行から数カ月たった一九九一年九月五日、著者の松田氏は、古畑種基の門下生から手紙をもらい、古畑はAB型だったと指摘された。以下は、松田氏『「血液型と性格」の社会史』の改訂第二版(河出書房新社、一九九四年七月二五日)三五六ページからの引用である。
―手紙の順天堂大松沢茂隆教授は東大で最後の教え子だったとのことで、能見正比古を参考にし古畑をB型にしたとおもうが、古畑はAB型との指摘だった。初版の参考文献にあげていたとおりで、私は即日、改訂のときに訂正するとの返事をかいた。出版社へは初版の絶版をつたえ、以来増刷はしていない。古畑がAB型ということは、古畑がAB型とO型との遺伝に興味をいだいたことへの重要な点であるし、手紙の文面に、血液型と性格の流行現象の参考になる部分があるので、引用する。「古畑先生の次代の東大法医学教室の教授であった上野正吉先生もAB型でしたので、私ども当時の教室員の一部では、『東大教授にはAB型が向いているのではないか』など冗談の種にしていた記憶があります」―
右引用中に、「初版の参考文献にあげていたとおりで」とあるが、これは、古畑B型説は、初版巻末の〈注〉二一七ページで挙げた文献、すなわち能見正比古『血液型でわかる相性』に依拠したという意味であろう。能見本は、すでに指摘した通り「古畑種基博士もB型である」としていたが、これは本人の自称に基づくものであり、一応の信憑性がある。であれば、むしろ、東大法医学教室の中で信じられていた「AB型」が、何かの間違いではなかったのか。
というのは、かつて古畑は、『血液型を考える』(雷鳥社、一九七二)という著書の中で、「母はAB型で父はO型、子ども三人はみなB型であった」と述べているからである。AB型とO型の両親からAB型の子どもが生まれないというのは、まさに古畑が発見した「法則」ではなかったのか。【この話、さらに続く】
今日の名言 2012・6・2
◎学習は近道よりも回り道のほうが後になって効果が出やすい
ジュニアメイト学習室塾長・阿部順子さんの言葉。ひとつの問題で長時間考え込むような子どもは、なかなか学習が進まず、塾の指導者としては歯がゆい思いをするが、後になって飛躍的に学力が向上することがあるという。本日の日本経済新聞より。