◎京都も空襲の被害を受けた
昨日六月一五日の日本経済新聞「文化」欄に、次のような「訂正」が載っていた。
―五月二六日付「占領下の京都」の記事中、「空襲がなかった京都」とあるのは誤りでした。東京のような大空襲はなかたものの、一九四五年に西陣空襲などがありました。―
以前、河上肇の『晩年の生活記録』上下(第一書林、一九五八)を読んだことがあったので、京都にも空襲があったことは知っていた。
同書は、一九三七年から一九四六年までの河上の「日誌」を公刊したもので、その一九四五年一月一六日の項には、次のようにある。
―夜半爆弾と飛行機の音にて眼ざむ。ややありて警戒警報出づ。東山方面に相当の被害ありたるものの如し。新聞紙には出でざるも、死者十七名、負傷者百二十名、家屋倒壊二百と伝ふ。―
やや飛んで、同年六月一五日の項を見ると、次のようにある。
六月十五日 曇。
八年前〔一九三七年〕出獄、帰家の記念日なり。朝来〈チョウライ〉敵機来週、京都市付近にも焼夷弾を投下せし様子。飛行機の音、暫くの間頭上に聞こえて落着かず。
また、同月二六日、二七日の項には、次のようにある。
六月二十六日 曇。
午前中、空襲。主として市の南部に爆弾を落せしものの如し。戸障子〈トショウジ〉の振動を初めて経験す。
六月二十七日 曇。
昨日の空襲にて、千本中立売〈センボンナカダチウリ〉方面に爆弾落下、死者百余名に上りし由〈ヨシ〉。
日経新聞のいう「西陣空襲」とは、この千本中立売(京都市上京区)方面への空襲を指すものと思われる。ちなみに、この当時の河上肇の住所は、京都市左京区吉田上大路九番地で、千本中立売とはそれほど離れていない。
今、京都への空襲について、正確なデータは持ち合わせていないが、京都も空襲の被害を受けていることだけは確かである。
今日の名言 2012・6・16
◎静かなるふるき都の夜の闇にサイレン鳴りて爆音響く
河上肇の短歌。「日誌」一九四五年一月二十日の項に書きとめられている五首のうちの第一首。「夜」は、〈ヨ〉と読むべきところであろう。これに続く第二首は、「よき歌を作り得たりと喜びてめざて見れば早や忘れけり」である。『晩年の生活記録』上、191ページより。