◎福沢諭吉寓言『かたわ娘』全文
福沢諭吉の『かたわ娘』を、なるべく原文の雰囲気を生かしながら再現してみたい。
まず、表紙は、以下の通り。
福沢諭吉寓言
かたわ娘
明治五年
壬申九月
表題にある「た」と「わ」は、今日でいう「変体がな」である。表題の下には、和服姿の娘の絵。顔に眉毛なし。以下は本文。なお、原文には句読点なし。ほとんどの漢字にルビが施されているが、あえて省略した形で紹介する。「変体がな」は、一般的なひらがなに直した。
かたわむすめ
福沢諭吉 寓言
或る富家に女子誕生しかほかたち申分なく玉の如き子なれども生れつき眉毛なし初生のことなればかくべつ人の目にもつかずおひおひ月日をおくりはや八九ケ月もたち前歯一二枚づつはへけるにその色黒し尚又半年を過ぎ一年を暮す内に上下の歯もはへ揃ひしにいづれも墨にてぬりたるやうなれども近処世間の人は尚これにこころづかずたまたま目にとまることあるも珍しからぬむしばにもあらんなどとて噂するものもあらず唯両親はとくよりこれを患ひ世に不具なるもの多き中に眉毛のなきものとては古来人の話に聞しことなくあまつさへはじめてはへし歯の黒きとはいかなる因縁なるやと人しらずひとり心を悩ませしかどもなほ親の欲目にて眉毛は兎もあれ歯ははへ替るときかならず人なみになることならんと七八才のころまでそだてあげ初生歯ものこらずぬけかはりしに両親の案に相違し二度目の歯はますます黒くして墨の如くうるしの如し
光陰矢よりもはやくはや十四才の春に至り初花のつぼみもほつるる時節たちゐふるまひいとやさしくあいきやうもこぼるるばかりの娘盛りなれどもただいかにせん歯と眉毛となり近処の人々も今はこれを見のがしにせず竊に指さし噂して文盲連の口々に彼の娘の眉毛はいづれにも癩病の筋に相違もあるまじ憐むべし玉の顔色も近き内に形を失はん其癩病は兎も角も彼の歯の色も怪むべきなりあの家にはいかなる前世の宿業ありて斯る稀代のかたわものを生みしや親は代々たどん商売くろいたどんを高く売りしろい飯を食ひし報かさなくばここに又説ありあの親達はかねもちなれども近処の人が借金の断りに行きしときいつもふくれつらして白い歯を見せたることなき其因果にて黒い歯の娘を生みしならんなどとてではうだいに嘲り笑ふもあり又洋学先生の説に眉毛の麗はしくして歯の白きは婦人のく面色を飾るため造物主の特に意を用ひしものなり殊に眉毛は面の飾のみならず光線の過劇を防ぐための要具なり人に眉毛なきときは大陽光線を上より直に目に受け眼病の源因となること多し故に世界中に熱帯諸国日光の劇しき土地の人は眉毛濃く寒帯に近き地の住人は眉毛薄しかくまで造物主の深き趣意ある眉毛なるに生れながら其痕跡もなきとは天に見放されたる罪人といふべしと親達はこの説を聞くにつけても一段のかなしみを増し玉とも花ともたとへん方なき唯ひとりの娘はや年頃にも及びたるにこの風情にてはとても縁談の出来べきにもあらず医師を頼み神仏を祈りこの娘の歯を白くし眉毛をはやす法もあらば我身代をつぶすはおろか両親の命に替へても憚ることなしとて手を尽し術を極れども更に其甲斐あることなし
かくて年月を経るに従ひ不思議なるかな世上にて此かたわ娘の評判次第にうすらぎ二十才ばかりの年に至りしかば近処にても全く忘れたるが如く一人として噂するものもなきゆゑ両親も心の中に悦び然るべき聟を求てこれに家を譲り其身は隠居しけるに彼のかたわ娘なる者今は申分なき一家の細君となり年来の心配も消て跡なかりしとぞ鳴呼このむすめは不幸にして幸を得たるものといふべし外国にて斯る不具に生れつきなば生涯身の片付も出来ぬ筈なるに幸にして日本国に生れ同類のかたわ多ければこそ人なみに一家の細君ともなりしことなれ此婦人不具なりといへども既に人の妻となる上はその娘の時の由来を知るものこそこれを不具なりといはん知らずしてこれを見れば隣の細君が眉をはらひおはぐろをつけたる風に少しも異なるなし唯となりの細君は剃刀を以て眉の毛をそりふしの粉を用ておはぐろをつけ銭を費し手間をかけまんぞくなる顔に疵を付て漸くかたわになりたると此娘は生れつきあつらへのかたわづらにて剃刀を用ひずおはぐろを求めずやすやすと世間のかたわに仲間入して銭も手間も費さざりしとの相違あるのみ実に不思議なるは世間の婦人なり髪を飾り衣裳を装ひ甚だしきは借着までしてみゑを作りながら天然に具はりたる飾をばをしげもなく打捨てかたわ者の真似をするとはあまり勘弁なきことならずやまして身体髪膚は天に受けたるものなり慢にこれに疵付るは天の罪人ともいふべきなり
終
今日の名言 2012・6・10
◎みんなが何か腹を立てる相手を探している
SF小説家のレイ・ブラッドベリの言葉。『ブラッドベリ、自作を語る』の中に出てくるというが、昨日の日本経済新聞朝刊「春秋」からの受け売り。この日の同欄は、今、明治大学リバティホールで開催されている「出版検閲と発禁本」展の紹介から始まり、「多様な本が多様な目をはぐくんでいるだろうか」という問いかけで結んでいる。