◎昭和17年度における「移動演劇」の動員数
ここのところ、日本演劇協会編纂『演劇年鑑 昭和十八年版』(東宝書店、一九四三)の「移動演劇」の項を紹介している。昨日に続く文章である。
脚本は連盟選定の他に、委嘱脚本の製作が、著しく活発になつて来た。連盟結成依頼の委嘱脚本の主なるものは、左の如くであるが、情報局並に連盟委嘱を除くすべては、必要な、国策、運動の線に沿うて、特にその主題を大きく強調したものである。
【脚本の一覧表があるが割愛】
この他に昭和一七年度委嘱分として、法人化直後、翼賛会、軍事保護院、産業報国会、逓信省、文学報国会等に依るものが引きつづき製作中として、二十数篇を残してゐる。選定作品に関しては、別項に示す諸種の調査記録等に纏めるつもりである。
主催者別公演回数及び観客動員数は、次ぎの如く厖大な数字を示してゐる。
主 催 公演回数 観客動員数
産 報 1,059 1,276,639
産 組 403 430,040
翼賛会 613 738,797
その他 171 243,250
計 2,246 2,688,726
移動地域は、朝鮮、沖縄、樺太を除く全国の各県に及び移動演劇の今後の行方は、いよいよ明確に、その使命の益々重大なることが昂揚され、より公的な機関としての法人化の基礎は不動なものとなるに至つたのであつた。昭和十八年二月、法人組織の具体化と共に、専属劇団はくろがね隊の他に、あづさ隊、ほがら隊の結成を見た。
三
臨時参加の劇団はこの例をはなれ、三十名乃至それ以上の人員をもつて編威されるものもあるが、専属並に加盟劇団の各隊は、隊長の指揮下にあつて、十五名乃至十七名をもつて、その一つの劇団を構成する。隊長自らが、俳優である場合も勿論あるけれども、大体に於ては、隊長と照明係を除く他は、すべて俳優であり、それ等は男も女も隊員として、同時に上演に就ての一切の仕事を分担してゐる。それは、大道具、衣裳、かつら、小道具、はきもの、小裂〈コギレ〉等の舞台裏に於ける必要な部門のすべてを受持つて、その公演に従事する。移動中の生活は、規律ある団体生活に依つて保持され、都市に町に農山漁村に工場に鉱山に、さうして工厰〈コウショウ〉に病院に、輸送規格の範囲内で工夫された必要な荷物を携行して、身のまはりの最小限度の備品を、リユツクサツクにをさめ、制服姿の隊列をもつで行進し、会場の準備、開演、終演後の掃除までも、自身の手に依つてなされるのである。荷物の発着に関する実際に当つても、それ等は現地主催者の協力を得て、淀みなく行はれ、移動する。これ等の団体生活に就いては、大日本青少年団教養部に依つて錬成指導をうけてゐる。昭和十六年十二月、東京府下小金井の大日本青少年団浴恩館に於て専属、加盟各劇団の総員を召集して、第一回錬成会が開かれたが、昭和十七年度は、矢張り関係当事者の協賛を得て七月二十五日より二週間、富士士山麓山中湖畔の大日本青少年団清渓寮にその第二回目が開かれた。さうして然もこの事は、錬成会の期間をもつて終ることなく、移動の日々が即ち同時に、錬成の時々である。社団法人の発足に依り、日本移動演劇連盟は観客組織の確立と、傘下劇団の充実と、製作、配給面の一層活発な計画の実施に、まづさしあたつての努力を傾注しながら、おびただしく山積された目前のさしせまつた多くの問題を処理しつゝある。
この稿のはじめ、概況を解説するについて、必要な記録は、おほむね整理中のもの許り〈バカリ〉である為に意を尽すことが出来ないのは遺憾であるが、目下尚ほ急ぎつつある整理の完成を俟つて、後日それらの粗笨を正し、誤りなきを期したい。――と述べたが、取り急ぎ別項所記の、諸種の記録と共に不備ながらその輪郭に就いて、推察諒承していただく事が出来れば甚だ幸ひとするものである。
戦中の移動演劇については、まだ紹介したい情報があるが、明日は話題を変える。
今日のクイズ 2013・5・29
小金井の浴恩館について、正しいのは、次のうちどれでしょう。
1 今日でも、青少年向けの宿泊研修施設として活用されている。
2 すでに取り壊され、跡地は浴恩館公園となっている。
3 小金井市の文化財センターとして、残っている。
【昨日のクイズの正解】 2 舞台美術家 ■「金子」様、正解です。
今日の名言 2013・5・29
◎主役なのに主役芝居をしない
俳優の斎藤晴彦さんが、森光子さんについて語った言葉。「主役なのに主役芝居をしない。普通の人として舞台に存在していた」。本日の日本経済新聞「文化往来」欄より。