◎大スター・中野英治と若手歌手・岡田有希子
作家で宗教学者の柏木隆法〈リュウホウ〉氏が、最近、「隆法窟日乗」という通信を始められた。一部の関係者に、郵便・メール便という形で送付されているようだ。A4版に横書きで印刷され、下部には算用数字で通しナンバーが振られている。
この通信は、日記風になっていて、「隆法窟日乗(8月14日)」というふうに日付けが付されている(年は表記されていない)。
その内容は極めて興味深い。私は、氏の古典的名著『千本組始末記』(初版一九九二:復刊二〇一三)の続編、ないしウラ話編として読ませていただいている。ご本人のお許しをいただけたので、以下に、そのごく一部を紹介させていただく。八月一四日の日乗で、通しナンバーは、88。
【前略】四谷荒木町はよく中野英治に随行してよく行った。柏木由紀は拙の誤解であったが、もう一人「ゆき子」にまつわるこんな話がある。中野氏と荒木町から左門町に向かう途中、すぐ目の前に女の子がビルの屋上から降ってきて道路に叩きつけられた。拙が耳の下の脈を診たが、即死であった。中野氏が吐き捨てるように「こんな若い娘が自殺するなんて……」拙が離れたとき、血の輪が広がっていった。どうすることもできなかった。まもなく救急車と警察のサイレンが鳴った。拙らは警察が来る前にそこを去った。あとからテレビのニュースでそれが岡田有希子の自殺であることを知った。映画界の生を永らえた中野氏と、まだこれからの若い女の子が対照的にそこに並んでいた。「世の中は生と無常のすれ違い、あれも死にいく、これも死にいく」か。【後略】
一九八六年四月八日の出来事である。
文中、「拙」とあるのは、柏木隆法氏の一人称。この日、氏は、中野英治に随行して、往年の名女優・名男優の集まりに赴こうとし、その途中で、この惨劇に遭遇したのである。
この事件は、実は、「中野英治」という大スターのことを知っていて、はじめて、「奇遇」という話になる。中野英治(一九〇四~一九九〇)は、映画界における往年の大スターで、一方の岡田有希子は、人気上昇中のアイドル歌手。この二人が、この日たまたま、四谷四丁目の交差点で出合ったのであった。
中野英治については、次回さらに。
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