◎東学党の吊民文(1894年5月8日)
昨日の続きである。『内乱実記 朝鮮事件』(文真堂、一八九四)の二四~二五ページに、「東学党の吊民文」というものが紹介されている。いわば、決起趣意書といった性格のものであろう。本日は、これを紹介してみる。改行は、原文のまま、句読点を、適宜、追加している。
○書 翰 (六月二日釜山発通信)
東学党の吊民文
五月八日を以て東学党が法聖邑の吏に致したる通文、左の如し
聖明〔天子〕上〈カミ〉に在ませ共〈マシマセドモ〉生民塗炭の苦に沈む。其故は如何、民
弊の本〈モト〉は吏逋〈リホ〉に由り、吏逋の根は貪官〈ドンカン〉に由り、貪官の犯
す所は則ち執権の貪婪〈ドンラン〉に由ればなり。噫〈アア〉乱極れば則ち
治となり、晦変すれば則ち明となる、是理の常なり。今、我
儕〈ワレラ〉民国の為めにする精神、豈に〈アニ〉眼中、吏民の別をなすこ
とあらんや。其本を究むれば、則ち吏も亦民なり。各公文
簿の吏逋、及び民疾の条件あらば、凡て之を我儕に報じ
来れ〈キタレ〉。当に〈マサニ〉相当処置の方ある可し。希くは、至急に持し〈ジシ〉
来つて、敢て或は其時刻に違ふ〈タガウ〉こと勿らんことを。(其
紙上にある押図を見るに守令の印信の如し)
通文、尚一通あり。
吾儕今日の挙は、上宗社を保ち、下〈シモ〉黎民を安んじ、而して
之れが為めに一同死を指し誓〈チカイ〉をなす者なれば、敢て恐
動を生ずること勿れ。茲に〈ココニ〉先途に於て、釐正〈リセイ〉せんと欲す
る者を列記すれば、第一、転運営が弊を吏民になすこと。
第二、均田官が弊を去り、又弊を生ずること。第三、各市井
の分銭収税のこと。第四、各浦口〈ホコウ〉の船主勒奪〈ロクダツ〉のこと。第五、
他国潛商が竣価(前貸のこと)貿来〈ボウライ〉のこと。第六、塩分の
市税のこと。第七、各項物件都売利を取ること。第八、白地(未墾地)
に徴税し、松田〈ショウデン〉に起陣すること等。臥還〈ガカン〉の抜本
条々の弊疾、尽く記すべからず。此際に当り、吾〈ワガ〉士農工賈
四業の民が、同心協力して上は国家を輔け〈タスケ〉、下は死に瀕
せる民生を安んずること、豈に幸事にあらずや。
いくつか、珍しい漢語が出てくるが、これらについて解説する力量はない。そもそも、「吊民文」の意味がわからない。あるいは、「人民に同情する文」といった意味か(吊は弔に通ずるので)。なお、インターネット上にも、上記とほぼ同じ文章が見出せる。それによれば、これは、同年同月七日付の万朝報〈ヨロズチョウホウ〉の記事「朝鮮戦記 五月廿六日仁川発通信の続き」であったものと推測される。