◎内村鑑三、矢内原忠雄の悩みに答える
昨日の続きである。深刻な悩みを抱いた矢内原忠雄は、意を決して、内村鑑三の自宅を訪問する。矢内原の問いに対する内村の答えは意外なものだった。
当時の先生は門戸閉鎖主義で、容易に人を近づけなかつた。先生の名を慕うて来る崇拝者の群に門前払ひをくわし、研究の妨げになるといふ理由で、訪問者や執筆・講演の依頼をことわる旨を再三『聖書之研究』誌上に記され、又門扉〈モンピ〉に貼られた。私は心から先生を敬慕し、先生の言に従順であることが先生を愛する者の道であることを信じ、個人的な問題で先生をわずらはすことを絶対に避た〈サケタ〉。聖書の教についても、直接に先生に質問することを敢てしなかつた。いはば私は先生と私との間に、三尺の距離を常に置いた。それ故、先生の聖書講義に入門を許されてから満二年たつたが、私はそれまで一度も先生の家を訪ねたこともなく、個人的に先生と話しあつたこともなかつたのである。この遠慮ぶかい弟子が、思ひ切つて先生を訪ねたのであるから、それが私にとつていかに重大な危機であつたかが、わかるであらう。
先生は在宅してゐられて、すぐに会つて下さつた。私が来意を告げると、だまつて聞いてゐた先生は唯一語、「おれにも、わからんよ」と強く言ひ切られ、頬をふくらせ、鷲のやうな眼を窓の方に向けられた。そのまま沈黙の中〈ウチ〉に数秒が過ぎた。致し方なく私は立ち上り、うやうやしく先生の前にお辞儀をして、辞去しようとした。その時先生が呼び止めて、言葉をやわらげ、そのやうな問題は、私自身が長く信仰生活をつづげて居れば、いつのまにか、わかるともなく自然に解決のつくものであること。わからない問題が起つても、私自身の信仰の歩みをすててはいけないことを、さとされた。
戸外に出た私の心に、大きな驚きと落胆があつた。「先生にでも、わからない事がある!」之は私にとりて、驚くべき発見であつた。かうして先生は私の眼を、直接神にひき向けて下さつたのである。この時先生が、いろいろの方面から言葉をつくして説明を試みて下さつたとしても、私の心を満足させるような明快な解答は得られなかつたに違ひない。「おれにも。わからんよ」との一言は、数百言の説明にまさつて、私に、善き解決の道を示されたものであつた。
内村鑑三という人物の人柄を髣髴とさせるエピソードである。それにしても、矢内原忠雄の巧みな語り口には感服させられる。
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