◎白蓮事件、報道の是非をめぐって東京朝日新聞社内で激論
昨日の続きである。大阪朝日新聞社整理部編の『新聞記者打明け話』(世界社、一九二八)から、原田譲二「白蓮家出事件」を紹介している。本日は、その後半。
秘密が洩れてはならぬので、社内に一室を締め切つて、そこへ報告を集めた。S君といふ達筆な記者がゐて、片つぱしから報告を書き流して行つた。もちろんコピーにして、出来次第大朝社〈ダイチョウシャ〉〔大阪朝日新聞社〕に送つた、読者の或る方々は記憶してゐられるであらう、『白蓮夫人家出』の文章は、今日からいへばスタイルは古いが、感傷的な、また達意な、女人礼讃〈ニョニンライサン〉風な文章であつた。社内でもあとで問題となつたものだが、あまりに女の肩を持ちすぎるといふ批評であつた。事件がシヨツキングであつただけに、書き方もまた読者に感銘を与へたものらしい。それをS君は数時間で書き上げてしまつて、殆ど一ぺーヂを埋めた。
かういふ種類の一私人の家庭問題のために、貴重なる紙面の大部分を割くといふことは、実にけしからぬことであるといふ議論は、当時社の内にも外にもあつた。それから後、編輯総会議の開かれた時、攻撃の矢叫び〈ヤサケビ〉はまづ政治部方面から放たれた。その議論の眼目は、白蓮家出のごとき、市井の一些事〈イチサジ〉ではないか、これを特筆大書するなどは風紀問題としても面白くないといふのであつた。これに対して、われわれ社会部はニユース・ヴアリユーといふものゝ定義から並べ立てゝ応戦した。なかなかの苦戦であつたが、また愉快でもあつた。しかし、今更こゝに白蓮問題の価値を持出す必要はない。新聞には、この二つの議論はいついつまでも続くであらう。
『東朝〈トウチョウ〉』では、盗まれる心配があるので、あくまで満を持して、この記事をどんづまりの市内版から入れるこにした。ところが『大朝』では、大胆至極にも朝刊の第一版から入れたという内報があつた。『筑紫の女王』といはれた白蓮夫人の一大事を、九州方面に速報するには、どうしてもかうしなければならぬといふ。この放れ業は、当時の社会部長大江素天〈ソテン〉氏がやつた。こちらでは、もう手を束ねて〈ツカネテ〉市内版のからからと刷上るのを待つばかりであるが、それでも若しやどこかの社が嗅ぎつけて活動しはしないかと、要所々々に伏兵を配ることにした。
午前三時でもあつたらうか、当時の赤松君の宅の張つてゐたN君ほか一人が自動車を飛ばして帰つて来た。『いや、実に危いところだつた』とせきこむ。――僕らは自動車を遠方に待たせて、赤松君の留守宅に入り込んでゐると、果たしてX社の記者が自動車で乗りつけて来た。早速N君が赤松家の書生に早変りして応接すると、主人の帰るまでは帰らないといつて、立ち去らない。もう省線電車もなくなつて、帰るにしても五反田から徒歩で帰るだらうから、よほど遅くなるといつても、まだ帰らない。そのうちに、赤松君が案のでう〔案の条〕歩いて帰つて来た。X社の記者は白蓮夫人の情事が伝はつてゐるが、相手は何物か、あなたは知つてゐるはずだが……と質問した。しかし赤松君は、私は今はお話はできない。星島二郎〈ホシジマ・ニロウ〉君なら知つてゐるかも知れぬと答へた。ではと、記者は星島君の宅に走らせたらしい。ひやひやしたが、萬歳だ。
われらもまた萬歳を叫んだ。だが、どこから、どう伝はつたか、X社の機敏なのには驚く。そしてまた、記者の熱心なのにも驚く。一同舌を巻いて感服した。翌朝〈ヨクチョウ〉のX社の新聞には、星島二郎君の談として、否定記事が簡単にのつてゐた。これで、戦ひはをはつた。
最後に、白蓮夫人の行方のわかつたのは、不思議にも、意外にも、大朝社からの内報によつてであつた。当時、中野に居住してゐた宮崎滔天〈トウテン〉翁(龍介君のお父さん)の知人山本安夫氏が大朝社のT氏宛に、
『アキコハオレガヒキトツタアンシンセヨ』
といふ電報を打つたことによつて、謎がとけたのである。
それから六年を経過して、宮崎龍介君も、赤松克麿君も、普選の初陣〈ウイジン〉に臨んだ。新聞で写真を見ると、宮崎君の演説会には、白蓮さんが出て、あいさつしてゐる。その横顔の若々しいこと!この人ぱかりは年は取らないのだらうか。
註 原田氏の得意なものゝ一つに『鎌子』駆落事件がある。
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