◎中村雄二郎さんの『日本文化の焦点と盲点』
先月二六日、哲学者の中村雄二郎さんが亡くなった。以前、中村雄二郎さんの対談集を買い求めたことを思い出した。書棚を探ってみると、すぐに見つかった。中村雄二郎著『日本文化の焦点と盲点――対話とエッセエ』〔河出ペーパーバックス81〕(河出書房新社、一九六四)である。オビに「各界代表八人の発言 日高六郎/埴谷雄高/大河内一男/福田恆存/石田英一郎/桑原武夫/神島二郎/宮城音弥」とある。「中村雄二郎著」とあるが、「各界代表八人」と中村雄二郎さんとの対談記録と、中村雄二郎さんとの「エッセエ」を組み合わせた本である。
いま改めて開いてみると、なかなか興味深い本である。本日は、同書のうちから、〝疑似家族の崩壊と安吾の「日本文化私観」〟というエッセエの一部を紹介してみたい。
このエッセエは、政治思想史家の神島二郎氏との対談「神島二郎氏と敗戦論」のあとに置かれているものである。
《エッセエ》Ⅰ
疑似家族の崩壊と安吾の「日本文化私観」
一【略】
二【略】
三
「すべては、実質の問題だ。美しさのための美しさは素直ではなく、結局、本当の物ではないのである。要するに空虚なのだ。そうして、空虚なものは、その真実のものによって人を打つことは決してなく、詮ずるところ、有ってもなくても構わない代物である。法隆寺も平等院も焼けてしまって一向困らぬ。必要ならば法降寺をとり壊して停車場をつくるがいい。我が民族の光輝ある文化や伝統は、そのことによって決して亡びはしないのである。武蔵野の静かな落日はなくなったが、累々たるバラックの屋根に夕陽が落ち、埃のために晴れた日も曇り、月夜の景観に代ってネオン・サインが光っている。ここにわれわれの実際の生活が魂を下している限り、これが美しくなくて、何であろうか」(坂口安吾「日本文化私観」)
桂離宮によって象徴されるような伝統的な菜食主義者たちの生き方や美学をはげしく拒否して、現代生活の必要に則した実質的なもののうちに美と存在意義をみとめて、徹底的な価値の転換をせまったこの文章「法隆寺も平等院も焼けてしまって一向困らぬ」という言葉で有名になったこの文章は、わたし自身何度も錯覚におちいるのだが、敗戦後に書かれたものではなくて、なんと太平洋戦争初期の昭和十七年〔一九四二〕に書かれたものである。いいかえれば、敗戦後主体的にではなく、むしろ成り行きから一般化した全面的な価値の転換は、坂口安吾によってこのときすでになされていたのである。そして、ここで企てられていることは美学的見地からの痛烈な時代批判であり、そこに気ままにも見えるかたちでのべられていることは、日本文化「私観」どころか、立派な日本文化論だが、われわれの見地から当面ここで問題にしたいのは、ここに神島〔二郎〕氏のいう近代日本の疑似大家族崩壊後にあらわになるべきアインザムカイト〔孤独〕が、リアリスト安吾によって的確にとらえられていることである。
すでに実質を失い空虚になった文化形態の支配の虚偽性を断罪しその底にある空虚を凝視するとき坂口安吾は孤独にならざるをえない。かれは、「日本文化私観」のなかで、「家に就て」という項を設けて、こう書いている。「僕はもう、この十年来、たいがい一人で住んでいる。……ところが、家というものはたった一人で住んでいても、いつも悔いがつきまとう。暫く家をあけ、外で酒を飲んだり、女に戯れたり、時には、ただ何もない旅行から帰って来たりする。すると、必ず悔いがある。叱る母もいないし怒る女房も子供もない。隣の人に挨拶することすらいらない生活なのである。それでいて、家へ帰る、という時には、いつも変な悲しさと、うしろめたさから逃げることが出来ない……『帰る』ということは、不思議な魔物だ。『帰ら』なければ、悔いも悲しさもないのである。」ここに、プライベートな個人を支え、保証する自立的なユニットへの要求とその現実での不在の表出をみることはできないだろうか。現実に多くの家族が寄り集まっている家はあっても、それが自立的なユニットたりえない、虚偽の、疑似的なものでしかなければ、少なくとも安吾にとっては、そこに「帰り」ついたところで、悔いや悲しさからは逃れられない。
では、どうしたらいいのか。安吾は言う。「要するに、帰らなければいいのである。そうして、いつも前進すればいい。ナポレオンは常に前進し、ロシヤまで退却したことがなかった。けれども、彼程の大大才でも、家を逃げることが出来ない筈だ。そうして、家がある以上は必ず帰らなければならぬ。そうして、家がある以上は、やっぱり僕と同じような不思議な悔いと悲しさから逃げることが出来ない筈だ、と僕は考えているのである」そこの明らかにジレンマがあり、それからのがれるためのパラドックスがある。それを承知の上で、かれは「帰らなければいい」、「いつも前進すればいい」と言うのであり、このことのつながりにおいて、敗戦直後の混乱期に中途半端なきりかえによって事態をのりきろうとする風潮や、ごまかしによる旧秩序の保存や、安易な方向転換の態度に対して、「堕落論」の「生きよ、堕ちよ、その正当な手順の外に人間を救い得る便利な近道がありうるだろうか」という叫びがなされるのである。このような安吾の叫びは、言葉本来の意味におけるデカダンスではある。しかし、状況論に左右される安易なオプティミズムの横行するわが国の精神風土にあっては、なんという健康なデカダンスであろう。
もちろん、戦後十七年の経過は、破壊あるいは崩壊の時代から再建の時代へ移行したことで、事態をはるかに複雑なものにしている。しかし、安吾が提出した問題が十分にのりこえられていない以上、またきわめて徹底した、単純化されたかたちで、提出されている以上、いまだにその問題性の鮮明さは失われていないと思われるのである。
今日の名言 2017・9・2
◎要するに、帰らなければいいのである
坂口安吾が『日本文化私観』(1942)の中で述べている言葉。上記コラム参照。