◎戦時刑事特別法(1942)が出された理由
書棚を整理していたところ、深谷善三郎編『(昭和十八年二回改正公布)戦時刑事民事特別法裁判所構成法戦時特例解説』(中央社、一九四三年一一月一四日)という、長いタイトルの本が出てきた。この本は、一九四二年(昭和一七)三月二二日に上梓された初版の「新訂増修」版だという。すなわち、一九四二年(昭和一七)三月に、戦時刑事特別法、戦時民事特別法、および裁判所構成法戦時特例が施行されたが、一九四三年(昭和一八)一一月に、これらの改正公布があった(戦時刑事特別法については、二回目の改正公布)。それに伴う「新版」というわけである。
読んでみると、戦争という事態が、いかなる犯罪を惹起せしむるのか、それらの犯罪に対し国家が、いかなる対策を取らんとするのか、などのことがわかって参考になる。「平時」であれば、こんな本を手にとる必要もないし、紹介する必要もない。しかし、昨今の情勢を考えると、こういった本も読んでおくのも、決して無駄にはなるまい。
本日は、同書のうち、「戦時刑事特別法解説」の第一編「総説」の「一」と「二」、そして「三」の前半部分を紹介してみたい。
戦 時 刑 事 特 別 法 解 説
第一編 総 説
一、戦時刑事特別法理由書(司法省編)
戦時に際し灯火管制中又は人心に動揺を生ぜしむべき状態ある場合其の他戦時下に於ける特に公共の安寧を阻害する等の犯罪の予防及び鎮圧の為め応急措置として刑罰を加重整備し以て治安の確保に資すると共に此等の犯罪に関する事件の迅速なる処理を期する為め裁判所構成法戦時特例と相俟ちて〈アイマチテ〉刑事手続に応急臨時の設くるの必要あり是れ本法案を提出する所以なり。
二、戦時刑事特別法要綱(政府解説、帝国議会調査部編)
第一 戦時に際し灯火管制又は敵襲の危険其の他人心に動揺を生ぜしむべき状態ある場合に於て犯したる放火・恐喝等の諸犯罪に対する刑罰を加重すること。
第二 戦時に際し犯したる騒擾〈ソウジョウ〉、往来妨害、飲料水に関する罪、住居侵入、公共通信妨害、生活必要物資の売惜〈ウリオシミ〉買占〈カイシメ〉、重要産業の運営阻害等の諸犯罪に対する刑罰を加重整備すること。
第三 其の他判決書の証拠説明の省略を始めとし、刑事手続の簡易迅速を期すべき二、三の付随的規定を設くること。
三、戦時刑事特別法理由(司法大臣岩村通世〈ミチヨ〉氏説明)
戦時刑事特別法の制定理由を補充説明する。
国家の総力を挙げて大東亜戦争の完遂〈カンスイ〉に邁進して居る際国内の治安を確保して、国民に安じて〈ヤスンジテ〉職域奉公の誠を尽さしめると同時に、国防上有害なる影響を与ふる犯罪を芟除〈サンジョ〉する為、有効適切なる方策を樹立することは最も緊要なることと考へられるのである、灯火管制中又は人心に不安動揺を生ぜしむるが如き事態の生じた場合、其の他戦時下一般に於いて、特に社会生活の安全を害し又は国防上有害なる犯罪が頻発するやうなことがあるとすれば、治安上誠に由々しき問題であるのみならず、総力戦の遂行に影響する所も亦尠からざるものあるのである、而して現行の刑法は、主として平時を対象としたる法規であるのみならず、其の制定は内外の情勢が今日と格段の差ある三十有余年前に係り、総力戦下に於ける刑罰法規としては、其の定むる刑罰の程度に於て、将又〈ハタマタ〉其の規定する犯罪の種類に於て、到底不十分なるを免れないのであつて、此の際速かに刑法の定むる犯罪の中、戦時下特に之が予防鎮圧を必要とするものに付いて、其の刑罰を加重すると共に、他面、総力戦の遂行に有害なる影響を及すベき犯罪に関する規定を整備することは、最も緊要にして欠くべからざる措置なりと確信する次第である、併しながら刑罰に関する実体規定と之が実現を任務とする刑事手続とは、恰も〈アタカモ〉車の両輪の如きものであつて、両者相俟つにあらざれば犯罪の予防並に〈ナラビニ〉鎮圧の目的達成を期する上に於て十二分の効果を発揮し得ざるものなることは敢て説明する迄もないのである、如何に刑罰を加重整備しても、犯罪事件の処理が的確且迅速に行はれないとするならば、刑罰は到底其の威力を発揮するに由なく、犯罪の予防鎮圧の目的達成は得て望むべからざる所と考へるのである、従つて刑罰に関する実体法規に於て戦時に相応はしき〈フサワシキ〉応急の措置を講ずる以上、刑事手続法に於ても亦之に照応する応急の措置を講ずることに依りて審判の的確且迅速を図ることは蓋し〈ケダシ〉必要欠くべからざる要務とする所である、即ち本法は、裁判所構成法戦時特例と相俟つて、刑事に関する実体法並に手続法に付き戦時下緊急已む〈ヤム〉べからざる措置を定め、以て総力戦下に適応する刑政の実を挙げむとするものである。【以下、次回】