◎「木畑壽信氏を偲ぶ会」開かる(2017・9・8)
昨八日夕、中野の中野区産業振興センターの一階にあるレストラン「けやき」で、「木畑壽信氏を偲ぶ会」が開かれた。主催は、『流砂』編集委員会・変革のアソシエ・社会理論学会の三者であった。
木畑壽信〈キバタ・トシノブ〉さんは、多年、「変革のアソシエ」の運営の中心になってこられ、また、社会理論学会の機関誌『社会理論研究』の前編集長でもあった。
木畑壽信さんは、『ことがら』という雑誌の編集委員だったことがあり、同じく同誌の編集委員であった青木茂雄さんから、何度も、お名前をお聞きする機会があった。お目にかかったことは、一度しかないが、畏敬する青木茂雄さんに誘われるまま、「偲ぶ会」に参加した。
五十人前後が参加した盛会で、堅苦しくなく、それでいてシミジミとした集まりであった。司会は、社会理論学会の伊藤述史〈ノブフミ〉氏、献杯の発声は、社会評論社代表の松田健二氏、そのあと、評論家の三上治氏、経済学者の伊藤誠氏らによって、故人を追憶するスピーチが続いた。
最後のほうで、青木茂雄さんがマイクを握った。青木さんは、一九七〇年代に「寺小屋」で木畑さんに出会い、一九八〇年代には、小阪修平氏を中心とする雑誌『ことがら』で、ともに編集委員をつとめた。その後、「変革のアソシエ」や「社会理論学会」でも交流があったという。青木さんは、用意した原稿に従って、たんたんと故人を追憶されていたが、この日の多くのスピーチの中で、最も深く心に残るものであった。
木畑壽信さんの絶筆は、雑誌『流砂』13号(発売・批評社、二〇一七年五月)に載った論文〝敗戦後革命論Ⅱ――「大日本帝国憲法」体制と「日本国憲法第一章天皇」の創設〟だったという。会場で売られていた同誌同号を買い求めて、帰路に着いた。