礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

高麗神社を訪れた著名人

2017-09-23 05:21:33 | コラムと名言

◎高麗神社を訪れた著名人

 昨日の東京新聞朝刊三面の「視点」欄に、「渡来人系神社訪問/朝鮮半島への深い関心」という署名記事が載った。執筆は吉原康和編集委員である。
 記事の冒頭は、次のようになっている。

 初秋を迎えた今月二十、二十一日、天皇、皇后両陛下は、私的な旅行で埼玉県内を訪問された。その中で印象に残ったのは、朝鮮半島からの渡来人が建立した高麗【こま】神社(日高市)訪問だった。昼食を含めて約三時間にわたって滞在。本殿参拝後、同神社の神職を代々務めてきた高麗家の旧住宅「高麗家住宅」などを熱心に見学した。
 同神社には昨年〔二〇一六〕四月、日韓共催のサッカー・ワールドカップ(W杯)開催時に訪韓したことのある高円宮妃久子さまが立ち寄られているが、歴代天皇では今回が初めてだ。
 上記記事からは読み取れないが、天皇、皇后両陛下が高麗神社を訪問したのは、今月二〇日昼一二時だという。
 記事は、このあと、二〇〇一年の「ゆかり発言」にも触れ、最後、次のように結んでいる。

 今回の訪問は、朝鮮半島からの渡来人と渡来文化に寄せる陛下の長年の関心の一端に触れる貴重な機会と機会となった。

 天皇、皇后両陛下が高麗神社を訪問されというニュースを聞き、一冊の冊子を取り出した。高麗明津編『高麗郷由来』(高麗神社社務所)である。初版は、一九三一年(昭和六)一一月だが、手元にあるのは、一九三五年(昭和一〇)七月に出た「三版」である。
 この冊子は、順に、グラビア写真五枚、序文四ページ、本文三六ページ、グラビア写真一枚という構成になっている。うち本文は、順に、「高麗郷由来」、「諸家文藻」、「高麗氏系図」、「高麗神社参拝諸名士芳名」という構成になっている。
 本日は、このうち、「高麗神社参拝諸名士芳名」を紹介してみよう。

  高麗神社参拝諸名士芳名(参拝年月順)
渡邊洪基  重野成齋〔安繹〕  星野 恒〈ヒサシ〉  趙 重応  尾崎紅葉  柴田常恵  
宮地直一  島田剛太郎  岡本一平  小松 緑  中山久四郎  本山彦一  鳥居龍蔵  
頭本元貞〈ズモト・モトサダ〉  酒井忠一  大塚常三郎
筑波藤麿 侯爵の御参拝は大正九年〔一九二〇〕十月二十四日にして当時は金枝玉葉〔皇族〕の御身にて在しぬ〈アラシヌ〉 
萩原彦三  申 錫麟  高 羲敬  國分象太郞  山中 笑〔共古〕  堀内秀太郎
水野錬太郞  粕谷義三  徳富蘇峰  依々木安五郎  齋藤 實〈マコト〉
藤原喜蔵  若槻禮次郎  齋藤守圀  朝久野勘十郎  茅原華山  山道襄一  
川島浪速  川島芳子  荒川五郎  中島信虎  濱口雄幸  野手 耐〈ノデ・タエル〉 
齋藤阿具  岡倉由三郎  小杉未醒  高松四郎  高島平三郎  西村眞次 
大島又彦  堀内文次郎  小林正盛  太田資業  松田源治  武富 済  関 直彦 
紫安新九郎〈ムラヤス・シンクロウ〉  小泉又次郎  波多野保二  朴 敬元  松平外与麿 
本田静六  鳥山喜一  阿部充家  内田寛一  福島繁三  河田 烈〈イサオ〉  
崔 鱗

 昭和初年までの段階で、かなりの著名人が、高麗神社を訪れていることがわかる。
 皇族も、高麗神社を訪れている。筑波藤麿〈ツクバ・フジマロ〉は、旧名、藤麿王、山階宮菊麿王の第三王子で、皇族だったが、一九二八年(昭和三)七月、臣籍降下が認められ、筑波の家名を賜り、侯爵となった。高麗神社には、皇族の「藤麿王」として、訪れていたことになる。
 なお、明日以降も、『高麗郷由来』の紹介を続け、そのあと、『(昭和十八年二回改正公布)戦時刑事民事特別法裁判所構成法戦時特例解説』(中央社、一九四三)の紹介に戻る。

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コメント (5)
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