礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

那須補足意見、原告固有の思想・良心のあり様に言及――桃井論文の紹介・その8

2018-07-25 05:22:31 | コラムと名言

◎那須補足意見、原告固有の思想・良心のあり様に言及――桃井論文の紹介・その8

 桃井銀平さんの論文「日の丸・君が代裁判の現在によせて(2)」を紹介している。本日は、その八回目。なお、桃井論文の紹介は、次回が最終となります。

② 那須弘平補足意見     
 那須弘平裁判官は、「本件職務命令が憲法19条に違反しないとする多数意見にくみする」立場から、その理由について補足している。
「しかし,本件の核心問題は,「一般的」あるいは「客観的」には上記のとおりであるとしても,上告人の場合はこれが当てはまらないと上告人自身が考える点にある。上告人の立場からすると,職務命令により入学式における「君が代」のピアノ伴奏を強制されることは,上告人の前記歴史観や世界観を否定されることであり,さらに特定の思想を有することを外部に表明する行為と評価され得ることにもなるものではないかと思われる。」
「本件職務命令は,上告人に対し(中略)心理的な矛盾・葛藤を生じさせる点で,同人が有する思想及び良心の自由との間に一定の緊張関係を惹起させ,ひいては思想及び良心の自由に対する制約の問題を生じさせる可能性がある。したがって,本件職務命令と「思想及び良心」との関係を論じるについては,上告人が上記のような心理的矛盾・葛藤や精神的苦痛にさいなまれる事態が生じる可能性があることを前提として,これをなぜ甘受しなければならないのかということについて敷えんして述べる必要があると考える。」
 というように、多数意見が十分には触れなかった原告固有の思想・良心のあり様を検討の対象とする。しかし、原告の受け止め方の主観的深刻さを評価するだけで<歴史観や世界観>と不伴奏との結び付きを緊密なものと評価するわけではない。一方で、「行事の目的を達成するために必要な範囲内では,学校単位での統一性を重視し,校長の裁量による統一的な意思決定に服させることも「思想及び良心の自由」との関係で許されると解する。」そして、校長によって発せられた音楽専科教師を指定した伴奏命令を具体的検討なしに「合理的な選択」と評価している。
 また、「人権侵害に荷担することができない」という信条を含む思想・良心については、法廷意見とは異なり焦点を当てて検討を加えている。しかし、この原告の主張については敢えて「思想・良心」と括弧書きをしており、職務上の問題として、他の内容に比べて19条による保護の必要性を低く見た上で、学校単位の統一性・秩序を一層重視する立場から、学校の意思決定の前では受忍すべきものとされた。以下に引用する部分である。
「4 上告人は,子どもに「君が代」がアジア侵略で果たしてきた役割等の正確な歴史的事実を教えず,子どもの思想及び良心の自由を実質的に保障する措置を執らないまま,「君が代」を歌わせることは,教師としての職業的「思想・良心」に反するとも主張する。上告人の主張にかかる上記職業的な思想・良心も,それが内面における信念にとどまる限りは十二分に尊重されるべきであるが,学校教育の実践の場における問題としては,各教師には教育の専門家として一定の裁量権が認められるにしても,すべてが各教師の選択にゆだねられるものではなく,それぞれの学校という教育組織の中で法令に基づき採択された意思決定に従い,総合的統一的に整然と実施されなければ,教育効果の面で深刻な弊害が生じることも見やすい理である。殊に,入学式や卒業式等の行事は,通常教員が単独で担当する各クラス単位での授業と異なり,学校全体で実施するもので,その実施方法についても全校的に統一性をもって整然と実施される必要があり,本件職務命令もこの観点から事前にしかも複数回にわたって校長から上告人に発出されたものであった。〔39〕」

注〔39〕この点は、2011年6月14日の最高裁判決(「戒告処分取消等、裁決取消請求事件」)における同じ那須裁判官の補足意見では一層明瞭に語られることになる。そこでは「思想良心の自由についての間接的な誓約となるとなる面」を認定した起立斉唱行為についてさえ以下のように言明している。
「入学式ないし卒業式等における国歌斉唱に際し、生徒らに対し模範を示し指導することに関する点は、個人としての思想及び良心の自由というよりも,教師ないし教育者の在り方に関わる,いわば教師という専門的職業における思想・良心の問題とも考えられる。自らは国歌斉唱の際に起立して斉唱することに特に抵抗感はないが,多様な考え方を現に持ち,あるいはこれから持つに至るであろう生徒らに対し,一律に起立させ斉唱させることについては教師という専門的職業に携わる者として賛同できないという思想ないし教育上の意見がその典型例である。しかし,この職業上の思想・良心は,教育の在り方や教育の方法に関するものである点で,教員という職業と密接な関係を有し,これに随伴するものであることから,公共の利益等により外部的な制約を受けざるを得ない点においては,個人としての思想及び良心の自由よりも一層その度合いが強いと考えられる。したがって,生徒らに対して模範を示して指導するという点からも,制約の必要性と合理性は是認できるというべきである。」

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