◎平凡社新書『警察庁長官狙撃事件』は傑作だった
橘正一著『方言読本』(厚生閣、一九三七)を紹介している途中だが、昨日、興味深い新刊に接したので、本日は、その本についての感想を述べる。
その新刊は、平凡社新書の『警察庁長官狙撃事件』である。新聞に、二月一八日発売と予告されていたので、昨日、神保町の某大型書店に行ってみた。きっと平積みされているのだろうと思って探したが、何度見ても無い。念のため、平凡社新書の棚を見ると、そこに一冊だけあったので、これを購入した。
非常におもしろい。あまりにおもしろいので、数時間のうちに読み終えてしまった。著者らの取材の結果によれば、國松孝次警察庁長官を狙撃したのは、老スナイパーのNである(本では実名)。本人も、そう認めているし、状況証拠を含め、あらゆる証拠が、そのことを証明している。
しかも驚いたのは、当時の警視庁刑事部の中には、老スナイパーNの犯行であることを、ほぼ、突きとめていた方々がいたというのである。捜査が「オウムの犯行」を疑わない公安部の主導でおこなわれていたため、そうした真実が伏せられ、真犯人が検挙されることなく(真犯人の検挙が露骨に妨害され)、ついに真犯人不明という形で、時効を迎えることになったのだという。
にわかには信じがたいことである。信じたくないことである。しかし、一方、やはりそうだったのかという感想も持つ。なぜか。――それは今日、政治家・官僚・大企業などが、揃いも揃って、平気でウソをつく時代になってしまい、もはや、私たちは、そうした衝撃的事実に接しても、特に驚かなくなってしまっているからである。
國松長官狙撃事件が時効を迎えたのは、二〇一〇年三月だった。このころは、まだ、政治家・官僚・大企業などが、平気でウソをつくという風潮は、目立っていなかったと思う。目立つようになったのは、ここ数年である。その意味で、國松長官狙撃事件における警視庁公安部の対応は、官僚のウソの「嚆矢」である。もしも、警視庁公安部が、時効が来る以前に、事件を「オウムの犯行」としてきた見込み捜査の誤りを認め、「真犯人」を隠蔽せんとしていた事実を、素直に認めていたとすれば、そして、そのことを、マスコミなどが大問題にしていたとすれば、その後、今日までの間、政治家・官僚・大企業などウソが、ここまで蔓延することは防げたのではないだろうか、などと思った。
本書の著者は、テレビ朝日報道局デスクの清田浩司氏と、ジャーナリストの岡部統行氏。その粘り強い取材と、魅力的でわかりやすい文章に敬意を表するが、最後の最後で、やや書き急いだ感があった。「エピローグ」に、「本書は様々な事情から一度は頓挫しかけた」とあるが、この経緯についても聞かせていただきたかったところである。