◎秋田方言と出雲方言が似通っているのを奇とし
橘正一著『方言読本』(厚生閣、一九三七)から、「昭和方言学者評伝」を紹介している。本日は、その四回目で、〔秋田県〕の項を紹介する。
〔秋 田 県〕
秋田県には大山宏氏がある。同氏は出雲の出身である。方言を研究し始めたのは今から四十年前の日清戦争直後だと言ふから驚く。一体、明治の方言研究は三十年〔一八九七〕以後に興り、三十五六年〔一九〇二、一九〇三〕に至つて最高調に達したものである。その流行に先立って方言に目を着けた同氏は確に先覚者である。恐らく、現存する最古の方言学者であらう。明治三十三年〔一九〇〇〕、職を秋田第一中学校に奉じてより、秋田方言と出雲方言との似通つて居るのを奇とし、比較研究に思をひそめた。明治四十二年〔一九〇二〕には、同僚と共に「秋田県方言音韻及口語法」を著し、四十四年〔一九〇一〕に出版した。大正三年〔一九一四〕には、秋田県史の方言篇として、音韻・語法・語彙を編纂し、かつ秋田方言考を物したが、故あつて、方言篇は印刷に附するに至らなかった。大正十五年〔一九二六〕の夏、招かれて秋田図書館に至れば、会する者は、吉村館長、熊谷県視学、男師の田中主事、女師の丸山主事、及び大山氏の五人であつた。五人が卓を囲んで談じ合つたのは秋田方言編纂の件であつた。かくして、同年九月には委員が選定され、十二月には県下の各学校に向つて、四万五千枚のカードが配布された。期限までにカードの回送されたもの三万有余とあるから、かなりの好成績である。之が整理のため、十数名の委員が嘱託された。大山氏は委員長である。かくして、満三年の後、四六判五四五頁の「秋田方言」が公刊された。時に昭和四年〔一九二九〕である。これは昭和の方言学の起る以前に策手されたものであるが、実によく出来て居る。
「秋田方言」の出来ばえが余りよかつたので、秋田県の人はこれ一冊で満足したと見えて、その後久しく方言書が出なかつたが、昭和十一年〔一九三六〕になつて、内田武志氏の「鹿角方言集」が刀江書院から出た。「秋田の植物方言」の著者水口清氏は植物学者である。今淡路に居る。【以下、次回】