礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

自分の家のソバが日本一おいしい(三朝庵のオバサン)

2019-02-07 04:03:51 | コラムと名言

◎自分の家のソバが日本一おいしい(三朝庵のオバサン)

 早稲田大学で博士号を取得した韓国の歴史研究者が、著書のなかで、早稲田の「三朝庵」に触れていたことを思い出した。探してみたところ、意外に簡単に見つかった。
 金鉉球(キム・ヒョンク)さんの『金教授の日本談義』(桐書房、一九七七)である。この本は、早稲田大学名誉教授の大槻健(おおつき・たけし)さんらが、ソウル内の書店で見つけ、著者の了解を得て、翻訳したものだという(翻訳にあたったのは、大槻健、石渡延男、尾花清、桐山敏之)。
 その九六~九八ページに次のようにある。

 ソバ屋の使命感
 早稲田大学本校のキャンパスと文学部キャンパスとの間の交差点の角に「三朝庵」という小さな飲食店がある。この家のオバサンは九州出身で、ちょっとおしやベりだが私が行くと、自分の親戚のなかの誰だかが日帝時代に韓国人と結婚したことがあると、親しく話しかけてきたりした。
 そのオバサンは三朝庵がこの場所だけで一〇〇年以上商売をしており、三朝庵という看板で商売してから三〇〇年を超えるといいながら、自分の家のソバが日本一おいしい、といつも自慢をしていた。そのオバサンの舅は七〇歳を超えてもまだ健康に働いておられ、その家の壁にはそのオジイサンの幼いとき大隈重信の家にソバを配達した写真がかかっていた。自分の家のソバがおいしくて、早稲田大学の創立者で、総理もした大隈重信も出前を注文したのである。
 そのオバサンは、二人の息子がいるが、誰もこのソパ屋を受け継ごうとしないと不平をならべ、自分もこの暖簾の重要性を、四〇歳を越えて初めて気づいたので息子たちもいまにわかるだろうし、自分は彼らが暖簾の重要性に気づいて帰ってくるのを待っていると言っていた。そう言いながら自分は誰でもソバ屋を引き継ぐ人に、この家と財産を譲るのだとはっきり宣言したのだった。
 私はその話を聞いて、大学にまで行っている息子たちにソバの商売をさせるのはもったいないと思って、とっさに「子どもたちがほんとにソバ屋が嫌なら他の仕事をさせればいいのではないですか?」というと、そのオバサンが目を丸くして「じゃ、何をさせればいいの?」と聞いたので、「大学教授のようなことをさせればいいのではないですか」と答えると、そのオバサンが再び真顔になって「馬や牛のように働いて何のやりがいもない教授をなぜするの?」というのである。
 あきれて「じゃあ、ソバ屋はどんなやりがいがありますか?」と問い返すと「ソバ屋がなぜやりがいがないのよ。早稲田大学を卒業した人は数万人もいるけど、昔を思い出してこの近所に来ると、昔食べたソバを思い出して私の店に来てくれるのよ。田舎で働いて東京に出てきて、ソバを思い出してこの店に来て、店がなければどんなにか寂しいでしょうよ。それだけじゃありません。早稲田で勉強した外国の人も訪ねて来るのよ。韓国で国務総理までした方で、その方が日本にいらっしゃれば必ずこの家に来て、昔の話をしていらっしゃいますよ。そしてうちの前にある穴八幡神社は商売がうまくいくように祈る神社として一年中参拝客が絶えないが、そのなかには、おじいさんやお父さんから『オレが昔穴八幡神社に参拝に行って、その前にある三朝庵でソバを食べたことがあるが、今度お前が行ったらその家がそのままあるか見て来い』といわれて来る人も多いんですよ。そんな人が来て、わが三朝庵がなければどんなにか寂しいでしょうね。私はその人たちを待っているんです。ところが実際は、今日ではソバよりハンバーグが好きな学生が増えていて、ある人が、私がこの家を壊して洋館三階建てを建て、一、二階は自分が営業をし、三階にわれわれが住むようにして、月二〇〇万円ずつ払おうと提案してきました。この家で私が一カ月に儲ける金は二〇〇万円にはとても及ばないけれど、断りました」と答えたのだった。
 そのオバサンの話を聞いて、まさしくこれこそが職業意識だなあ、と思うと同時に、このオバサンが自分の職業に対する確固たる使命感のようなものをもっていることを感じることができた。【以下、略】

 訳者、編集部の注によれば、翻訳にあたっては、著者の金鉉球さんと相談の上で、削除・変更・加筆した部分があるという。
 上に引用した部分は、金鉉球さんが、三朝庵の「オバサン」から聞いたところを、そのまま述べているようだ。聞きまちがいや、記憶ちがいもあったかもしれない。しかし、訳者あるいは編集部が、「オバサン」に再取材を試みるなどして、削除・変更・加筆をおこなったのかどうかはハッキリしない。

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