◎「てにをは」の機能は詞に対する総括機能(時枝誠記)
根来司著『時枝誠記 言語過程説』(明治書院、一九八五)から、「第二十二 時枝誠記博士の国語学」を紹介している。本日は、その六回目。
そこで時枝博士は現象学的方法に蹉跌〈サテツ〉を来たし単行本『国語学史』を刊行して、鎌倉時代以来の伝統ある言語理論を復活させ自分の学説に生かしていかれるのであるが、次にそれと講座本『国語学史』との異同を調べて、単行本『国語学史』がどのように書きなおされているかを見たいと思う。まず単行本『国語学史』の第一部序説は、
一 「国語」の名義
二 国語学の対象
三 国語学と国語学史との関係
四 国語学史編述の態度
五 明治以前の国語研究の特質と言語過程観
六 国語学史の時代区画と各期の概観
というふうになって、時枝博士の国語、国語学、国語学史等についての態度が述べられている。講座本『国語学史』の第一部序説がただ一国語研究一般と国語学史との関係、二国語学史編述の態度とその方法、三注釈語学より見た明治以前国語研究の一特異性であったのに比べると大きく違うが、これはしばらくおくとして第二部研究史のほうをくわしく見ていこう。
時枝博士は第二部研究史も多く書き加えられていて、まこと単行本『国語学史』が『国語学原論』の序説たるにふさわしくなっているが、最初に第一期元禄期以前(ハ)歌学並に連歌の作法の項を見よう。ここのいわゆる藤原定家の手爾葉大概抄〈テニハタイガイショウ〉について述べたところで、同じこのてには秘伝書を説きながら、単行本『国語学史』では叙述が一変している。手爾葉大概抄が「詞如寺社手爾葉如荘厳」というふうに、てにをはと他の詞とを比較して比喩でもって説明しているのを、ここではてにをはは詞と対立して考えられ、しかもそれには次元上の相違があることが認められているとし、「この思想は江戸時代に及んで、本居宣長が、てにをはを以て玉を貫く緒〈オ〉にたとへ、衣を縫ふ技に比し、又鈴木朖〈アキラ〉が、てにをはを以て心の声であるとして、物をさしあらはす他の語と対比して居ることにも現れて居るのであつて、国語学史上極めて重要な又顕著な思想である。私はこれらの思想に基きてにをはと他の語との関係を、包むものと包まれるものとの関係と考へ、志向作用と志向対象の関係を以て説明し、猶〈ナオ〉その語の構造上の相違を明かにして語法研究の基礎理論とした。」と述べられている。こういうことは講座本『国語学史』では一切叙されていないのである。
続いて単行本『国語学史』の第三期明和安永期より江戸末期へ(ニ)語法研究の二大学派の項で、本居宣長のてにをは研究について叙したところを見る。宣長が詞の玉緒〈コトバノタマノオ〉で説いた有名なてにをは観を、詞〈コトバ〉は衣の布でありてにをははそれを縫う技術であって、したがって、てにをはは即ちてにをはの整えを意味することになるとして、ここでは「宣長の考を更に別の言葉を以ていへば、宣長は、てにをはとその他の詞との間に次元の相違を見出したといふことが出来る。一の衣服に於いて、衣服の各部分はお互に同一次元のものであるが、衣服を衣服たらしめる裁縫の技術は、衣服の各部分を統一するものとして、別の次元に属するものといふべきである。玉と緒との関係も同様である。てにをはがたとへ法則を具現する品詞的なものを意味する場合に於いてもやはりそこに次元の相違を認めなければならない。」と述べられ、さらに宣長門下の鈴木朖が言語四種論〈ゲンギョシシュロン〉で他の詞とてにをはとの別を考えて、「物事ヲサシアラハシテ詞トナリ、テニハハ其詞ニツケル心ノ声也」「詞ハテ二ヲハナラデハ働カズ、テ二ヲハハ詞ナラデハツク所ナシ」というように説くのを、宣長がいうところがより具体化されると同時に、そこには次元的相違の認識がよく比喩をもって示されているのを見ることができるとして、「私は右の如き次元的相違の考を更に発展せしめて、詞とてにをはとの本質的相違を明かにし、一般に語の本質を検討すると同時に、てにをはを以て、詞を包むものと考へ、てにをはの機能を詞に対する総括機能と考へ、そこに国語に於ける文即ち思想表現の統一性を明かにする足場を求めようとした。」と述べられている。講座本『国語学史』にはこのような明治以前の学者がてにをはとその他の詞との類別を説くのに心を砕いていることなど何もしるされていないのである。【以下、次回】