礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

時枝博士の国語学には希求の情熱が底にある(根来司)

2020-11-17 00:15:24 | コラムと名言

◎時枝博士の国語学には希求の情熱が底にある(根来司)

 根来司著『時枝誠記 言語過程説』(明治書院、一九八五)から、「第二十二 時枝誠記博士の国語学」を紹介している。本日は、その七回目。

 さらに単行本『国語学史』の第四期江戸末期(イ)語の分類の研究の項を見ておこう。この項は講座本『国語学史』では第四期江戸末期(イ)語学研究独立の傾向となっていて、専ら江戸時代末期の語学研究の主たる目的が注釈作法にあったとしても、言語それ自体が研究対象として独立する傾きにあったことを説かれている。それが全く書き変えられて、語の分類の研究を総括していかれるのであるが、その後半の叙述が興味深いので、次に引いてみたいと思う。
《富樫広蔭〈トガシ・ヒロカゲ〉は言詞辞の三分法をとり、特に辞に於いて一層詳細な分類を行つて居る。これら品詞分類法の歴史に就いては既に諸家の論評がある故今詳しくは述べない。只注意すべきことは、広蔭が品詞的分類を表現過程の段階に結付けて語の成立に従つて説明して居ることである。
 これと類似した考は平田篤胤〈アツタネ〉の説にも見えて居つて、
 物あれば必ず象あり。象あれば必ず目に映る。目に映れば必ず情に思ふ。情に思へば必ず声に出す。其声や必ず其の見るものの形象【アリカタ】に因りて其の形象なる声あり。此を音象【ネイロ】といふ。(古史本辞経)
 以上の如き心の作用としての言語、及びそれの段階として語の類別を考へるといふ態度は、既に述べた手爾波大概抄の詞辞の分類或は鈴木朖〈アキラ〉のてにをはとその他の詞との類別の根底をなす処の表現性の相違による語の分類法と相通ずるものである。語の性質上の相違は、活用の有無或は文章上に於ける論理的職能の相違ではなくして、 実に右の如き表現性の相違といふことがより本質的であるといふことが考へられる。私は右の様な考方を発展せしめて、言語の本質は心的過程であり、語の類別は、その過程的構造の相違によらねばならないと考へ、概念語、観念語の名目を以て従来の詞及び辞の分類を理論付けようとした。》
 ここには平田篤胤の古史本辞経〈コシホンジキョウ〉が見えるが、時枝博士は単行本『国語学史』の第一部序説の五明治以前の国語研究の特質と言語過程観の中で、篤胤の古史本辞経のこの章句につき、「やはり思想の音声的移行として言語を見て居るのであつて、事としての言語の考方である。国語学史上に現れて居る言語観は実に右に述べた様な『事としての言語観』であつて、これは明かに欧洲言語学に於ける『物としての言語』観に対立する処の思想である。」と明言されたことがあった。博士はこのように江戸時代の学者の思想をも手爾葉大概抄以来の国語研究の流れの中でとらえ、すぐれた言語理論として自分の学説へと発展させられたのであるが、さきに見たように、「私は右の様な考方を発展せしめて、言語の本質は心的過程であり、語の類別は、その過程的構造の相違によらねばならないと考へ、云々」のところまで来ると、『国語学原論』はもう指呼の間にあるといってよい。ただここで注意すべきことは山内〔得立〕博士のさきの『意味の形而上学』第九表現と文述の章を開くと、冒頭にこの篤胤の古史本辞経の「物あれば必ず象あり。云々」の章句を言語の成立に関する至言として引用し、中近世のてにをは秘伝書をはじめ国語学者の所説を次々に紹介して、彼らがてにをはと他の詞とは異なる次元のものであると見定めようとしたとか、てにをはによって詞を表現しようとする文の成立を明確にしようとしたとか説明されるので、そこには時枝博士の氏名は見えないけれども、まるで時枝博士の単行本『国語学史』を読んでいるような錯覚に陥る。逆に山内博士が時枝博士から多くを得ているのである。
 とにかく講座本『国語学史』と単行本『国語学史』とにはこのように時枝博士の重大な考え方の相違があって、ここに博士の言語過程説成立の最高潮期の思想をうかがうことができる。時枝博士の国語学には博士の希求の情熱が常に底にあって私はそれにうたれるが、現象学的方法からだけではあの国語を愛する情熱は生まれないと思う。それにしても時枝国語学ヨーロッパ哲学によって武装しないで、このようにわが国の学問の伝統を利用したのは博士の学問としてはすこぶる賢明であったと私は考える。日本人はこういう利口さをヨーロッパ人ほど持たないようであるが、学問もこうした日本の伝統的なものの助けを借りないと強靱なものにはならないのであった。【以下、次回】

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