礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

時枝博士の国語学は現象学とさして関係がない(根来司)

2020-11-18 00:58:02 | コラムと名言

◎時枝博士の国語学は現象学とさして関係がない(根来司)

 根来司著『時枝誠記 言語過程説』(明治書院、一九八五)から、「第二十二 時枝誠記博士の国語学」を紹介している。本日は、その八回目(最後)。

     三
 いま時枝誠記博士の卒業論文「日本ニ於ル言語観念ノ発達及言語研究ノ目的ト其ノ方法(明治以前)」を読了し巻をふせ、ついで講座本『国語学史』を読んでみると、編述のし方が違うことを知る。これに対して、単行本『国語学史』は真っ向から独創的な学説を切り開いていくもので、講座本『国語学史』とはその態度が異なる。その意味では単行本『国語学史』は再び卒業論文に返ったともいえる。ここでは日本の古い伝統的な国語研究の中にひそんでいるものを育てて言語過程観と呼んでいるが、この単行本がやがて公刊される『国語学原論』の序説ともなった。その後この言語過程説が『日本文法口語篇』(昭和二十五年)、『日本文法文語篇』(昭和二十九年)に展開されていくことはもはや説くまでもない。
 しかしながら、『国語学原論』、『日本文法口語篇』、『日本文法文語篇』というふうに改めて読み返してみると、時枝博士が本来的に体系家であることがわかる。私はこのように書き進めていくうちに、かつて読んだ三木清氏の「西田幾多郎先生のこと」(「婦人画報」昭和十二年十二月、のちには『三木清全集』第十七巻、昭和四十三年に収める)という文章を思い出した。三木氏はその中で西田博士のことを、「先生において驚かれるのはその執拗な追求力と共にその思索の度胸ともいふべきものである。真の体系家となるには思索の度胸が必要だと私は考へるのであるが、先生のそれにはまことに逞しいものがある。かやうな度胸は決して簡単なものではない。愛の激しさと共に深さを有する者にして初めて得られるものである。」と評しておられる。このことは移して時枝博士にもいいうると考える。時枝博士も実に求心的な学者であると共に驚くべき思索の度胸があって、これが体系家としての博士の何よりの強みになっている。時枝博士はとにかくわが国古来の生々とした言語理論を自分のものとして育ててそれを体系化して押し出していくのであるが、やはり自己の学説に論理性をつけておかないと近代的な理論にならなくなると考えて、少しく現象学的なものを入れていかれるのである。この現象学というのはいわれるように自然科学的な方法に逆らって、自然科学のように外界の対象に目を向ける態度を逆転させて、内を見るのである。これをフッセルは現象学的な見方といったのであるが、こうした見方は国語を研究していくのに最良であったから、博士は自分の学問に取り入れられたのであろう。それで博士はこの現象学をどこまでも辿ろうと考えたのであるが、さきに述べたように山内得立博士について学ぶことができなくなったのである。では時枝博士はその後どのようにしてフッセルの現象学を学ばれたのであろうか。博士が語られるところに従うと、「『時枝文法』の成立とその源流――鈴木朖と伝統的言語観」の中で、京城大学の同僚の宮本和吉〈ワキチ〉博士に指導を受けて山内博士の『現象学叙説』を勉強したといっておられる。宮本博士は明治十六年〔一八八三〕生まれで時枝博士より十七歳年上、カントの哲学を専攻して著書に『哲学概論』(大正五年、哲学叢書)、『カント研究』(昭和十六年)などがある。定年後武蔵大学学長などをつとめ昭和四十七年〔一九七二〕十月二十二日に逝かれた。
 さて別に時枝博士が次のような図【図、略】を思い浮かべてみることを、読者に要求しているわけではないが、しばらくこれを見よう。この図は『国語学原論』に四か所、『日本文法口語篇』に二か所見えるものであるが、時枝博士によるとこれはCDが客体界であり、ABが言語主体の情意であって、これらCDの表現とABの表現とはそれぞれに独立したものでなく、相互に緊密な関係があることを示す。もちろんここで詞が常に客体界を表現するのに対して、辞が客体界に志向する言語主体の感情、情緒、意志、欲求等を表現するこというまでもない。そしてABとCDとの間には志向作用と対象面との関係が存在し、ABCDがすなわち具体的な思想の表現であるという。ところで、この図が博士の論文に見える最初は「文の解釈上より見た助詞助動詞」(「文学」昭和十二年三月)であった。といっても実際はこの図はこの論文の中には見えず、これが時枝誠記博士論文集第一冊『言語本質論』(昭和四十八年)に収められた際、この論文に時枝博士の自筆で次のような書き入れが行われているのである。そういえばこの図【図、略】はずっとのちの「詩歌における音楽性について
【一行アキ】
  対象ト志向トノ表現ノ中間ニ志向ノ概念的表現アルベシ 
  又、志向表現ハ同時ニ対象ノ概念的表現デアルコトモ注意スベシ
【一行アキ】
――文章研究の|課題として」(「国語学」第三十一集、昭和三十二年十二月)という論文にもはいっており、これはそのまま『文章研究序説』(昭和三十五年)の中に入れられている。時枝博士は昭和十二、三年〔一九三七、一九三八〕以降このような図を出されるようになるのであるが、このような図が博士の中でどうしてできたのかは審かでない。これはもと博士 が場面を説くための図であったらしく、時枝博士が場面という時ただ話手を包む外的な環境をさすのではなく、そうした客体界に志向する言語主体の情意などをもこめてそのすべてをいうのであるが、このことは博士の「言語に於ける場面の制約について」という論文〔一九三八〕の中に、「場面は、主観を囲繞する世界と主観の志向関係によつて結ばれた自我の一の意識状態である。」と述べられているのでわかるのである。
 しかし、ここでもう一度この図が何のためにできたかを考えてみるのに、体系家としての時枝博士にとってこの図はわが国の中世以来の国語研究の底に流れる伝統的な言語理論を自分のものとして体系化する際、現象学的なものと結びつけるための図ではなかったか。いまは『国語学原論』の四か所に見えるこの図を一々調べて、博士が自分の理論をすべてこの図で説き明かそうとしていることを証するいとまはないが、これは博士が伝統的な言語理論を体系としてまとめる時に現象学的な香りをつける図であったと私は考える。そう考えないとこの図が何のためにできたか、どうしてできたか納得できないのである。だが、時枝博士はこのように伝統的な言語理論と現象学的なものとを結びつけようとしたが、それは現象学を自分自身のほうに引きつけられただけであって、博士のそれがわが国の古い国語 研究とよく結びついたように密接につながっていないのであった。私は時枝博士がこうして現象学的なものを多少入れたからといって、その国語学が別に光ったとは思わない。やはり時枝博士の国語学は現象学とさして関係がないといってよいのではなかろうか。
 おわりに時枝門下の水谷静夫氏がその著書『国語学五つの発見再発見』(昭和四十九年)の中で時枝博士と現象学とのことについて一言しておられるので述べておきたい。水谷氏はその第四章入子構文と右回帰性のはじめに、「時枝の言語観が江戸国学の流れを汲む事は確かであるが、一方またその学説の形成期に我が国の思想界をにぎははせた現象学の影響がある事も指摘されてゐる。この点に関し、終戦後間も無い頃、著者の先輩の一人が研究室での雑談の折に質したが、その際の時枝の答は(著者の記憶によれば)、結論的にさう見えても『私はそれ程勉強界ぢやありませんよ』といふ事であつた。」と記されている。水谷氏は時枝博士の哲学的背景に立ち入らないとしておられるが、ここで博士が東京大学国語研究室で門下生たちを前にしていわれたことばの意味を考えてみる。思うにこれは時枝博士の一種のてれかくしではないか。博士は「私の現象学研究は若き日に蹉跌したのでそんなに勉強していません。」といっておられるので、そこにほのぼのとした寂しさが感じられるのである。
【一行アキ】
(1) 現象学の主唱者エドムンド・フッセルをフッセルと記すか、それともフッサールと記すか。私は高橋里美博士、務台理作〈ムタイ・リサク〉博士、下村寅太郎博士らに従ってフッセルと記すことにした。なおこのことに関しては歴史哲学の由良哲次〈ユラ・テツジ〉博士が「フッセルとフッサール」(朝日新聞、昭和四十八年九月十一日付夕刊、「研究ノート」)という文章で、フッセルに従うべきであると述べられているのが大変参考になる。
(2) 私はここで山内得立博士の「『意味の意味」(朝日新聞、昭和四十一年五月十九日付夕刊、「研究ノート」)という文章を思い起こすことができる。この中で山内博士が数年来意味の意味を研究テーマにし、その解明に没頭していると述べていられることに注意しておこう。
(3) もっともこの書には早く、西田門下で山内得立博士以来の秀才とうたわれた三木清氏の「現象学叙説――山内氏の著作の読後に――」(「思想」昭和四年九月、のち『三木清全集』第十巻、昭和四十二年に収める)というきびしい書評がある。
(4) 時枝誠記博士はこの伝統的な言語理論の始原を、仏教哲学における人間分析(境と根)に基礎を置くものではないかと見ておられる。これについては時枝博士の『文章研究序説』(昭和三十五年)第二篇各論第一章文章表現の機構五文章の表現性などをひもとかれたい。

 注は、その箇所を含む部分を紹介したおり、その都度、掲げるべきであったかもしれない。
 さて、この間、根来司の著書『時枝誠記 言語過程説』の紹介を長々と続けてきたが、同書の紹介は、いったん、ここで終わり、明日は、話題を変える。
 ただし、根来司には『時枝誠記 国語教育』(明治書院、一九八八)という著書もある。しばらくしてから、そちらも紹介することになるだろう。

*このブログの人気記事 2020・11・18(9位の通訳養成所は久しぶり)

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