礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

『やまとこころ』は一つの歴史的社会的抽象である(古在由重)

2020-11-23 00:01:25 | コラムと名言

◎『やまとこころ』は一つの歴史的社会的抽象である(古在由重)

 古在由重『現代哲学』(三笠書房、一九四六年五月)から、「四 観念論のドイツ的形態」の章を紹介している。本日は、その三回目(最後)。とあるのは、章末にあった原註である。

 しかるに人々はしばしばこのやうな歴史的見地にたつことなしに民族的特性について議論をたててゐる。たとへばある人々は『日本精神』あるひは『日本的なもの』の特徴を『もののあはれ』を感じうる日本人の風雅な心性のうちに発見する。他の人々はおなじものを雄々しい『やまとこころ』のうちに発見する。(3)しかしこれらのものは、はたして日本人の永遠な本質であるか? 決してさうではない。この種のものは特定の歴史的条件のもとで特定の社会階級に生じた特定の生活感情を民族の名において抽象化したものにすぎない。『もののあはれ』といふやうな感情は、封建日本における一定の余裕ある貴族層の生活飽満感または生活倦怠感から生じた一種の耽美的無常感にすぎない。もとより時代の支配的文化は時代の支配的階級の文化にほかならぬから、ある時代の貴族文化はつねにこのやうな感情をたたへてゐるではあらう。しかしその時代においてもなほ、たとへば社会の圧倒的多数をしめる農民にとつてはそれは縁どほいものであつた。『やまとこころ』についても同様である。これは幕末における封建日本の内部に準備されつつあつた民族的統一の先駆的な要望を表現してゐる。そしておそらくそれはなによりもまづ武士道的精神のうちにその典型を見いだすとされるのであらう。しかし武士とはもともと封建日本の一つの社会階級にすぎず、武士道とはここにつちかはれた特殊な生活感情および生活態度にほかならない。しかも封建的分立および差別のもとにおいては、この特殊なモラルさへ決して統一的な形態をとることができなかつた。現実的には単一な武士道のかはりに薩摩武士・三河武士・会津武士等々の諸形態におけるモラルだけが存在した。また武士道といつても『大名気質』と『足軽根性』とを二つの限界として移動する多様なモラルをふくむにちがひない。かくて我々は日本人の一般的心性として抽象された『やまとこころ』もそれ自体としては日本における統一的民族国家成立の過程において発生した一つの歴史的社会的抽象であることを知る。これらのことは哲学におけるドイツ的なものの規定についても銘記さるべきことがらであらう。
 ただしい見地からいへば、真実の意味における民族性の表現としての『ドイツ的なもの』もまた一定の歴史的時代に成立したのでなければならぬ。勿論このやうな場合いつでも我々は鮮明な区画線をひくことはできない。歴史の流れにおいては限界はつねにぼやけでゐる。しかしもし結論的にいふならば、真にドイツ的な哲学が発展したのはまさにかのドイツ古典哲学の時期であるといはねばならぬ。(4)
 カントからへーゲルまでの時代は、あたかも重圧的なドイツ封建制の内部において徐々に市民社会が抬頭しつつある時代だつた。すなはちまたそれは統一的なドイツ民族国家が多大の封建的障碍を克服しながら徐々に成熟しつつある時代だつた。ドイツ古典哲学はそれゆゑに十八世紀から十九世紀へかけての新興ドイツ・ブルジョアジーのイデオロギーを典型的に反映し、まさにこのゆゑに哲学におけるドイツ的なものを結晶させることができた。【以下、略】


(3) このやうな非歴史的立場から『日本精神』の精髄を構成しようとする日本哲学者たちの代表的な試みを我々は紀平正美〈キヒラ・タダヨシ〉氏(たとへば彼の『日本精神』・岩波発行『世界思潮』所載)鹿子木員信〈カノコギ・カズノブ〉氏(たとへば彼の『やまとこころと独逸精神』昭和六年)の著書および論文のうちに見いだすことができる。
(4) 以下の問題の一層詳細な叙述については拙稿『ドイツ古典哲学の二重性について』(『唯物論研究』一九三七年七月号以下所載)参照。

 古在によれば、この本は、「初版発行と同時にけづりとられた」箇所があるという。まだ、その箇所を確認したわけではないが、第四章について言えば、本日、紹介した部分に、その削られた箇所が含まれているのではなかろうか。
 古在由重『現代哲学』の紹介は、いったん、ここで打ち切り、明日は、話題を変える。

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