礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

従来、日本では神社を宗教としていなかった(岸本英夫)

2021-01-05 02:59:10 | コラムと名言

◎従来、日本では神社を宗教としていなかった(岸本英夫)

『日本教育』(The Nippon Kyoiku)の第五巻第六号(一九四六年三月)から、「国家神道と教育」と題された座談会記録を紹介している。本日は、その二回目。

 湯田 国家神道、神社神道、宗教神道といふやうなことを、チヨイチヨイ耳にしたり、新聞に見たりします。その間に区別があるだらうと思ひますが、まづそれを伺つて置けませんでせうか。
 岸本 一寸その前に一言申しますと、日本では政府としては、神社は行政的には宗教として取扱はないと云ふ建前を採つて来たのです。政府としては、神社神道が宗教であるか、ないかといふ本質的な問題については全く意志表示をしないけれども、行政としては 宗教として取扱はない。是が公の建前であつたのであります。併し、これは相当に苦しい態度であつて、実際問題としては、今迄は宗教でないとして取扱はれて来たのです。所が今度は、日本の側も承知して、神社神道もやはり宗敎なのだといふ考へ方になつたのです。
 さて、一般に神道といふものに就いては、大きく四つの類型に分けて考へて見ることが出来るかと思ひます。それは民俗神道、宗派神道、国家神道、神社神道の四つであります。民俗神道といふのは、民衆の社会の中に溶け込んでゐる種類の神道です。神道は元来日本の民族的な宗教なのですから、年中行事や、日常生活の中に多分に入つて居ります。宗派神道といふのは、はつきりした教祖と教団とを持つて活動してゐるものです。御承知の通り金光教〈コンコウキョウ〉、天理教、黒住教〈クロズミキョウ〉といふやうなものです。国家神道といふのは、思想的なる傾向の強い神道の行き方であつて、神道思想の流れとでも云へませうか。最後が、全国に十一万の神社を擁してゐる神社神道です。
 成程、神社に対する民衆の態度や信仰の中には、キリスト教や仏教の場合とは余程違つたものがあることは事実です。殊に、従来日本で神社を宗教として取扱つてゐなかつた結果、この点に関しては相当慎重な検討が試みられたのです。然し、これは誰が見ても、客観的な立場からすれば、現実に営まれて来た神社神道の行き方が六分七分まで宗教的であつたと云ふことに就いては、異論のない処でありました。従つて、神社神道も宗教であり、あらゆる神道が宗教であると云ふことになつたのであります。只今もあらゆる神道を宗教として見ると云ふ根本的立場に立つて、このお話しをしてゐる次第です。
 近藤 国家神道は禁止されたけれど、今仰有つた〈オッシャッタ〉宗派神道といふのは、信教の自由といふことで、信じても宜い〈ヨイ〉訳なのですね。
 岸本 信教の自由が保証されてゐるのですから、神社神道であらうと、宗派神道であらうと、日本国民が個人として信ずる自由は何処〈ドコ〉迄も確保されてゐます。併し、義務的な教育、官公立の学校で教へるといふことになると、問題は全く別になるのです。神道を信じていけないといふことを司令部は言つてゐないのです。国民学校で教育することがいけないと言つてゐるのです。
 近藤 アメリカの公立の学校あたりでは、宗教々育と云ふのはやつてゐますか。
 岸本 アメリカでは、私立の学校では仲々盛んです。併し、公立の学校では原則として禁止されてゐます。唯、校外に於ける基督教の教会の存在を閑却してはなりません。教会は成る意味で因習化してゐる面もありますが、国民の宗教教育といふ点では、良い活動をしてゐます。日本では、遺憾ながらさういふものは見当らない様です。仏教も眠つて居りますし、基督教も日本ではまだ其処〈ソコ〉まで活動して居りません。
 近藤 宗教教育と、宗教的な情操を養ふといふことゝは違ふのでせうか。或る特定の宗派の誦文〈ズモン〉を唱へたりすることは、宗教であるでせうが、宗敎的な情操を陶冶〈トウヤ〉し、或は子供達に説き込むことは、差支えないのですね。
 岸本 その問題は後程考へて見たいと思つて居りましたが、それは差支えないばかりでなく確かに望ましいことと思ひます。今日までの現状に於ては神道といふ方法を通して宗教々育が行はれて来たと見てよいでせう。宗教情操の教育が悪かつたのではなく、それが神道教育だつたからいけないのです。
 海後 基督教主義の学校で基督教を、仏教の学校で仏教を教へるといふことは許されるのですか。
 岸本 当然差し支えない筈〈ハズ〉です。
 海後 さうすると、神道主義の学校で神道を教へることは如何が〈イカガ〉なものですか。
 岸本 偏狭な国家主義と結び付かない限り宜しいのだと思ひます。【以下、次回】

 この座談会記録は、「国家神道と教育」と題されている。それにしては、岸本英夫の「国家神道」の説明は、あまり明確でない。また、国家神道と「神社神道」の関係についての言及がないのは、いかがなものか。

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