◎今度の事変は当然日支全面戦争になる(本多熊太郎)
本多熊太郎講述『世界新秩序と日本』(東亜連盟、一九四〇年一〇月)から、「現前の世界情勢と日本の立場」を紹介している。本日は、その二回目。
次は、今回の欧洲戦争に対する国民の態度である。つひ最近までたゞなんとなく見物気分であつたが、フランスの降参する模様が見えて来てからは、その見物的の興味は非常に高潮して来た。ニウースヴアリユーとしての評価が大となるにつれ、扨て〈サテ〉斯うなれば支那事変に如何なる影響が来るだらうかといふことを識者の一部がそろそろ考へ出した。政府及国民の支配層に居る連中が、お極り文句で欧洲戦争の極東波及を防ぐのだと言ふ。抑も〈ソモソモ〉こんな言葉の出るのは支那事変と欧洲戦争を絶縁状態に置いて支那事変を処理できる、或は絶縁状態にあるもの、さうでないにしても、何んとか絶縁状態に置けるものといふ誤れる妄想に捉はれてをるのである。欧洲戦争始つてより十ケ月、此の間政府殊に外交当局が、欧洲戦争の極東波及を防ぐべく、それに付て自主的に何かするのだといふやうなことを真面目に考へてゐたとすれば、之は実に文明大国としての日本の恥辱である。
ロシヤのリトヴイノフが曽て国際連盟で演説し「戦争と平和は不可分性のものである」と言つた。平和の裏は戦争である。だから、之は戦争と平和は世界的事象であるといふの意だ。之と同じ意味を昨年来繰返しいつてゐるのは米国のハル国務長官である、彼は「戦争が世界の如何なる地域に於て行はれるを問はず米合衆国の安全及び重要利益に影響せざるものはない」といつてゐる。之は言葉は違ふがリトヴイノフの言つた所と同じ意味である。世界七大国の中、最も世界的利害関係をもち全世界に領土をもつ英帝国と、欧洲大陸制覇の実力を数年来最も完備し来つたドイツ、此の英独戦争の世界的影響が、日本に及ばないといふ筈はない。支那事変と欧洲戦争とを全然別個の状態に於て外交を考へるといふことは即ちさう考へる人の無識を表明するものである。支那事変は何んであるか支那事変の戦場は支那であり、相手は支那人である。而して既に満三年を経てゐるが、皇軍は連戦連勝支那の凡ゆる〈アラユル〉港、凡ゆる鉄道、税関、塩務行政等即ち国家としての生命線は殆んど全部を日本が押へてをるが、尚且つ彼等は長期抗戦を叫んで降伏の色のないのは何故か、それは英、米、ソ連の援助に依つて抗戦を続けてゐるのである。英国の対蒋援助は事変の始まる前からであつて、英国は蒋介石を中心に近代国家としての統一国家を作らせ以て支那大陸に対する日本の進出を防がうとするのが英国の政策であつて一九三六年〔昭和一一〕夏頃から英国政府は屡々其の方針を声明して日本の不利を図つて来たのである。国際連盟では支那援助の義務を負はせる決議を為し、九国会議に於ても同様の決議を為し彼等は国家の政策として公々然と援蒋を実行して来たのである。最近新聞で御覧の通り日本は英国政府に援蒋ルートの封鎖を交渉したが、英国は客易に譲歩の色を見せないばかりか、英国は国際連盟の決議に依つて支那を援助する義務をもつのでそれを履行して居るのだといふ理由を以て日本の要求を拒絶しようとして居るといふ。此の連盟の決議は昭和十年〔一九三五〕秋以来屡々繰返されてゐる。私は、事変の始つた時、懇意な政治家を通じて当局の注意を喚起した。即ち『今度の事変は局地解決、不拡大では済まない。当然日支全面戦争になる。併し世界第一の陸軍、空軍を持つてをるロシヤでさへ武力を以て干渉して来ることはない。唯夫れ〈ソレ〉日本の弱点は、作戦遂行に絶体必要なる軍需関係資材を、此の戦争で支那を勝たせたい、少くとも日本を勝たせたくないあの英、米、仏、ソ若くは英米の勢力下にある蘭領印度から取つて居る点にあるのだ。日本は軍需資材の配給統制を直ぐやらなければいかぬ。』といふことを注意したのである。要するに日支事変は支那人を相手とし支那を戦場としてをるが、之は日本対ソ連、日本対英国の事変であり、援蒋ルートは昭和十二年〔一九三七〕八月から始つてをるのである。この援助に依つて蒋介石は長期抗戦を叫んでゐるのである。この状態において欧洲戦争と没交渉に支那事変を処理できると思つてゐるのは大きな間違である。然るに欧洲戦争では英国は既に敗けてゐる。米国も手が出せない、そうした其の状勢は明瞭である。卑屈なる軟弱外交の政府たりと雖も此際宜しく態度を一変してしつかりやるべきである。蒋介石を操つてゐる国をその侭にして置いては支那事変は何時までやつても際限がない。一番の早道は援蒋行為を不可能化するにある。支那事変は、初から欧米二、三の大国と日本間の事変なのであり、其の国々が日本の不利を図り日本と対立状態にある。而して英国は実に其の親玉である。其の英国は今や大国の地位から顚落する危機にあるのだ。其の事を考へあわせて我が国が当然のコースを取つて進むならば支那事変の解決は掌〈タナゴコロ〉を返すよりも易いのであるといふことを申上げて皆さんの御諒解を得たいと思ふ。【以下、次回】