礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

人びとの眼には私への憎悪が光っていた(中野清見)

2022-04-22 01:19:34 | コラムと名言

◎人びとの眼には私への憎悪が光っていた(中野清見)

 中野清見『新しい村つくり』(新評論社、一九五五)を紹介している。本日は、その二十一回目で、第二部「農地改革」の5「つるし上げ」を紹介している。この章の紹介としては三回目。

 この前、役場の集まりで文句をついた女が、このときも何かヒステリックに悪口を並べてくってかかったが、答えを必要とすることではなく、黙っていた。質問は次々と出たが、どれも帰するところ、買収を止めてほしいというにあり、私は自分にはその権限がないとつっぱねた。次第に発言が少なくなり、敵の意気込みも初めのようではなく、行詰りに来たような感じになった。そこで私は、「皆さんの気持は判るが、本当に買収されて困る人は別として、土地をもたない人人のために出来るだけの協力をして貰いたい。それに近く牧野法〈ボクヤホウ〉というものも出来ることになっており、採草地であっても耕地同様に一定以上の面積は所有出来なくなるのだから」といって結末をつけようと思った。このとき、それまでは黙っていた総参謀の〔岩泉〕龍氏が立ち上った。頽勢を挽回せんとして、自ら起ったのである。そして、私の今いった言葉尻を摑まえ、「まだ決まってもいないもので、問題を決定するというのはおかしいではないか。なあ、そうじゃないか」と味方の方を見まわした。私の敵意は再燃した。「私がいつ未決定の法令をもって、どんな問題を処理したというのだ」といい返したら、彼は返事に窮して黙っているので、「大体あなたは村長までした人間で、他の人々よりは物の判る人のはずだ。いま、村民が重大問題にぶつかっているのだから、いたずらに人々を騒がせるような言動をしないで、彼らをよい方向に導いてくれるべきではないか」と重ねていったが、これにも彼は答えなかった。私は言葉も荒くなっていたし、感情も昂ぶって来ていたので、このとき彼の方でそれに応じた言葉を返せば、ただでは済まなかったに違いない。彼の味方の人びとの眼には、私への憎悪が光っていた。飛びかかりたいような顔も二、三ならずあったのだ。しかし参謀は機を逸した。
 私は椅子に坐ったまま、まう一つの椅子を引きよせ、腕をかけてそり返っていた。かかって来る者があれば、椅子を持って応酬せねばならないと考えていたのである。しかしこんなことで敵の計画は頓挫してしまった。質問もなくなったので、私は職員室に引き揚げた。盛岡からの来客たちはその間一言も発しなかった。私が職員室に来てストーブの側に坐ったら、彼らもその廻りに来た。関羽ひげは私を無視したような顔をして、鉈豆煙管〈ナタマメギセル〉で煙を吸っていた。ところが、鈴木という人が、「村長さんもお一人で大へんな御苦労なさいますな」と親しみをこめていうので、私は戸惑った。この人たちは敵方のはずなのだ。それから、「江刈村では独立して乳業工場をやる御計画なそうですね」という。どんなつもりで訊いているのか判らないので、「そんな計画は今のところありません」と答えたら、「ぜひ農民自らの手でやるべきものだと私たちも考えています」というのだ。
 そんな話をしているうちに、午後の五日市小学校の会場へ向う時間が来たので、立とうと思った。そこへ一人の男がはいって来た。漆真下〈ウルシマッカ〉という村会議員で、敵方の闘将であった。大分興奮している。「もう一度村長さんに会場へ戻っていただきたいと全部のものがいっていますから、来て下さい」という。「質問がないから引き揚げたのだ。多勢でがやがやしゃべるのでは判らんから、代表二、三人で来たらどうだ」といったら、「きいて来ます」といって帰った。すぐまた引き返して来て、「代表では駄目だから、ぜひ来ていただきたい。村民一同からの要望です」という。私には判った。代表よこせとは生意気だ、行って引っぱって来いと言われて来ているのだ。「それなら行こう」とすぐ席を立って、彼について元の会場へ戾って行った。このときは大分人数が減ってはいた。小作人たちや中立の人々は帰ってしまい、純粋に私の敵ばかりが残っていた。私がはいって行ったが、皆でがやがや何か言い合っていて、まとまらない。それで、「私は忙しいから*いうことが無ければ帰る」といったら、ちょっと待ってくれという。代表がやっと決まって、その男が立ち上り、「村民一同から村長さんへお願いがあります。採草地は、買収しないでそのまま使わしていただきたい」という。そこで「さっきから何べんもくり返えしていったように、私にはそんな権限はないので、何とも出来ない」と答えた。ところが、「そこを何とか努力してくれるのが、村長の職務ではないか」と来た。「よろしい。その努力はしましょう。しかし買収されれば、本当に生活が出来なくなるような人々だけに限る。そんな人があったら、申し出てもらいたい。それをもって地方事務所に行って頼むから」といったら、「困るのは皆だ」という。「それでは、困る事情を書いて農地委員会の事務局に申し出てくれ。明後日私は地方事務所に行くから、明日までにしてもらいたい」「明日まででは出来ない」「何もむづかしいことではないはずだ。おくれてよいなら、急がなくても私は一向差支えない」「それでは明日までに出します」【以下、次回】

*このブログの人気記事 2022・4・22(8位に極めて珍しいものが入っています)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 農地改革は占領軍の政策のひ... | トップ | 木下重助「何ものだ、出て来... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

コラムと名言」カテゴリの最新記事