礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

農地改革は占領軍の政策のひとつだ(中野清見)

2022-04-21 01:36:13 | コラムと名言

◎農地改革は占領軍の政策のひとつだ(中野清見)

 中野清見『新しい村つくり』(新評論社、一九五五)を紹介している。本日は、その二十回目で、第二部「農地改革」の5「つるし上げ」を紹介している。この章の紹介としては二回目。

 定刻に間に合うように家を出た。農地委員長を連れて行って説明に当らせようと思い、彼を誘った。岩泉儀信、小学校時代の同級生である。彼と連れだって、いろいろ話しながら、七、八町の道を歩いて行った。彼はもともと無口な男だが、このときは一層言葉少なで、話しかけても乗気のない返事しかしなかった。会場に着いたらもう満員であった。教室一ぱいに人が集まり、開会を待っていた。すぐに始めようとしたら、地主の一人が立ち上って、「この部屋は狭すぎるから、向うの大きい方に会場を替えて貰いたい」という。前につめれば十分はいれるではないかといったら「いやまだ後から沢山来るから是非移してくれ」と強硬な主張である。それは単なる頼みでも、提案でもなく、語気には別なものが含まれていた。それでは移ろうといって、そちらへ変ったが、すでに椅子や机は取りかたづけられ、準備は出来ていた。動員された全員がまだ来ていないのだなと思ったが、なるほど逐次つめかけて、やがて人は会場からあふれ、廊下も一ぱいになった。
 農地委員長は頼んでも何もいうことがないという。彼も謀議に参加した主要人物の一人だったに違いない。そこで私が起って挨拶をした、「農地改革は占領軍の政策の一つであり、政府が国策として進めている仕事だ。私はその命令に基づいてやっているに過ぎない。われわれは無条件降伏をした以上、この政策に逆らうことが出来ないのだ。ただし未墾地解放によって、本当に農業経営が困難になる人々もあるはずで、これについては私も日夜心配しており、その救済方法を考えている。」といった意味のことを話し、「個々の問題については、ここに農地委員長もおられるし、私も知っている範囲で答えるから、遠慮なく質問してほしい」といって席についた。この少し前に、岩泉龍氏が、見知らぬ男を四人つれてはいって来た。
 何用あって村民以外のものがここにはいるかと訊こうと思ったが、龍氏は彼らを紹介し、この村の酪農事情を視察に来られた方々で、ついでに傍聴させて貰いたいということなので、どうぞというより他はなかった。一人が名剌を出した。県農業会の畜産部長で鈴木という名であった。他の三人については、龍氏は曖昧に、酪農関係の何とかいう人だといい、よく名前もききとれなかった。関羽ひげを生やした中年の男は、私には挨拶もしなかった。県の役人ならばと身構えていたのに、そうではない様子なので,何かいったら反撃するまでと、会を進めた。彼ら五人は講壇の側に椅子を並べて傍聴することになった。質問を求めたら、ふだんは公けの席で殆んど物をいえない人々なのに、この日は実に活潑な発言であった。
 ここに集まった人々の中には、事情をよく知りたいと思って来ている中立のものも、心の中で私に味方している者もいるはずだった。しかし敵の計略は、綿密で積極的であり、彼らの盛んな、敵意に満ちた発言に押されて、みな沈黙を守って眺めていた。人々の顔を見渡したら、酒気を帯びているものもあり、一家から三名も揃って来ているものもあった。一つ一つの質問を記憶してないのが残念である。
「未墾地の買収を、村に農地委員会があるにかかわらず、県農地会にかけるのはどういうわけか」という質問があった。顔を見たら村の農地委員の一人である。
「十町歩以上の買収は、村農地委員会では買収出来ない規定になっていると思う。その点、あなたは委員なのだから私より御存じのはずだ」と答えた。
「村長は採草地を畑にして使った方がよいというけれども、われわれはそのまま使った方がよい。そんなことは止めて貰いたい」という。
「挨拶のとき申上げたように、開拓の仕事は私個人の意思でやってるのではない。したがって、やるとか止めるとか、私が決めるわけにはいきません」と答えた。【以下、次回】

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