◎林銑十郎陸相の「辞任茶番劇」(1934)
石橋恒喜著『昭和の反乱』(高木書房、一九七九年二月)の紹介に戻る。本日以降、同書の上巻から、「十三 皇道派への反発強まる」の章を、何回かに分けて紹介してみたい。
十三 皇道派への反発強まる
林陸相の辞任劇
昭和九年四月十一日、陸軍省へ顔を出してみると、首脳部の動きがあわただしい。〝何かあったのか〟と新聞班長の根本〔博〕にたずねると、陸軍大臣が突然、辞表を出したのだという。理由は東京市の疑獄事件に関係して、かねてから裁判中であった市助役の白上佑吉〈シラカミ・ユウキチ〉にこの日有罪の求刑があったためだとのこと。白上は林〔銑十郎〕の実弟である。林の言い分によると、肉身の弟が有罪の求刑を受けたとあっては、陸相のイスにとどまるわけにはいかないというのだ。そして後任には、前陸相の荒木貞夫を推しているとのことだった。これがいわゆる林の〝辞任茶番劇〟だ。私たちは、すぐ幡ケ谷〈ハタガヤ〉の荒木の私宅へ車を飛ばした。荒木はちょうど外出しようとするところだった。
「なに! 林君が辞表を出したって? ほんとかね。だが、林君は辞めるはずはないよ。かけをしてもいい…」
荒木は、われわれの質問を軽く受け流して、車に乗った。
さあ、これからというものは、三宅坂はひっくり返るような騒ぎだ。次官の柳川〔平助〕は、林が辞表提出に当たって、一言の相談もなかったというのでふくれっつらをしている。憲兵司令官の秦〔真次〕、整備局長の山岡〔重厚〕、人事局長の松浦〔淳六郎〕、軍事課長の山下〔奉文〕ら皇道派の面々は、冷ややかな目でこの辞任劇を眺めてい る。片や軍事参議官の南次郎、同・渡辺錠太郎、同・阿部信行ら反皇道派もてんやわんやの騒ぎ。せっかく〝永田軍政〟がスタートを切ろうとする矢先である。というのに、林に辞められたのでは一大事だ。何とかして翻意させなければならない。ここで林の説得役をかって出たのは、渡辺錠太郎だ。
渡辺は荻窪に住んでいて、林の私邸がある天沼とは近い。暮夜〈ボヤ〉ひそかに林を訪れて、皇道派に天下を渡してはならないとかきくどいた。それと同時に渡辺は、参謀次長の植田謙吉と連絡をとった。参謀総長・閑院宮〔載仁親王〕のお声がかりで林を留任させようという魂胆である。折りから閑院宮は関西方面をご旅行中で、十四日夜ご帰京の予定であるという。植田は静岡まで殿下を出迎えて、この話を持ち込んだ。真崎や皇道派が大嫌いの殿下が、〝ノー〟というはずはない。翌十五日、林を御殿に呼んだ。ここで〝留任せよ〟との鶴の一声がかかったわけだ。もともと林には、辞職する考えはなかった。そこで〝閑院宮の懇請もだしがたく〟という口実で、天沼の私邸から官邸へ帰って来た。辞表を出してから五日目である。反荒木・真崎派の幕僚陣が〝してやったり〟と快哉を叫んだ。
では、一体、林は、何でこんな田舎芝居を演じたのだろう? それは林でなければ分からない。白上の有罪は、彼が大臣に就任の前から分かっていたはずである。〝何をいまさら〟という気がする。 ただ当時、彼が腐り切っていたことは確かだ。というのは、意気揚々と三宅坂へ乗り込んではみたものの、何かというと真崎に頭をおさえつけられる。しかも、側近を見渡すと、どれもこれも〝土匪〟(土肥)の群である。頼りとするは軍務局長の永田〔鉄山〕ただ一人だ。これでは手も足も出ない。そこで、参謀総長宮〈サンボウソウチョウノミヤ〉のお声がかりをねらって、乾坤一擲【けんこんいつてき】の茶番劇を演出したのである。
真崎追放をねらう閑院宮
いずれにしても彼は、この辞任劇を機として、強力なうしろだてが控えていることを知った。それは閑院元帥宮と渡辺錠太郎である。渡辺は温厚篤実。武将というよりは学究肌。月給の大半を丸善へ支払っているといわれていた将軍だ。航空記者だった私は、よく航空本部長室に押しかけては、彼の該博な欧米の航空事情の講義を問いた。徒然草の研究も、国文学者はだしだった。それだけに、彼のどこを押してみても、今度のような寝業師【ねわざし】であるとは、想像もつかなかったものである。皇道派もまた、油断し切っていた。渡辺を単なる〝学者軍人〟と小ばかにしていて、〝台風の目〟であることに気づかなかったのはうかつであった。二・二六事件で渡辺が、悲惨な最期をとげた要因は、実にこの茶番劇にはじまったのである。
参謀総長・閑院元帥宮〈カンインゲンスイノミヤ〉の存在も皇道派の命取りとなった。閑院宮を参謀総長にかつぎ上げたのは荒木だが、殿下は真崎〔甚三郎〕の参謀次長就任には、最初から反対であった。従って、殿下をロボット扱いする真崎次長の行動には、ハラにすえかねるものがあったらしい。もともと荒木が閑院宮を擁立したわけ は小畑敏四郎の入れ知恵であった。つまり、田中義一‐山梨半造‐白川義則‐宇垣一成‐南次郎と、陸軍大将の陸相が続いたあとでは、若い中将の荒木では貫禄が不足である。そこで、皇族であり陸軍の最高長老でもある殿下の権威を利用して、こうるさい軍事参議官や宮中側近ににらみをきかそうという作戦であった。むろん床の間の飾り物とするつもりだった。ところが、殿下はロボットであることには満足しない。ことごとに自分を無視する真崎に対して憎悪の目を向け始めた。かくて皇道派幹部は、自らの立てた作戦計画が裏目に出て、寝首をかかれることになったのだ。真崎が宮中方面からも毛嫌いされた原因の一つは、閑院宮との確執にあったことは確かだ。【以下、次回】
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