◎私は初めて本当の敵を意識した(中野清見)
中野清見『新しい村つくり』(新評論社、一九五五)の紹介に戻る。本日は、その十九回目で、第二部「農地改革」の5「つるし上げ」を紹介する。この章はかなり長いので、何回かに分けて紹介する。
そうこうしているうちに、秋も過ぎて村には雪が降り出した。十一月の終りころだったと思う。農地改革一周年記念の講演会が、江刈小学校で行なわれることになった。地方事務所の農地課長が来て講演することになっていた。こうした行事は、農地委員会の仕事に属するはずで、村の主催ではない。それでも私はこの機会を利用して、自分の考えている開拓政策を、皆に説明し納得して貰いたいと思っていた。
その前日がやって来た。午後になって九戸〈クノヘ〉地方事務所から電話がかかって来た。雪のためバスが不通となって、農地課長は行けないから、そちらでよろしくやってくれという話である。困ったことになったと思ったが、いかんとも方法はない。日暮れごろに、寺田部落からOという男が訪ねて来た。「明日の講演会には、地主側が全員揃って出て村長をやっつける計画らしい。それの応援に県からも五人の役人たちが来るというので、寺田の旦那様ではいま鶏をつぶして酒宴の支度をしていた」という報告であった。そういう謀議のあることも初耳だったが、それよりも県から応援に来るという話ははなはだ解せない。大体開拓政策は、県がその担当者で、他の町村ではこことは逆に、町村長が地主に味方して農革〔農地改革〕をサボタージュし、県を困らしている現状なのだ。それを県からやって来てこちらの邪魔をするとはどんなわけだろう。何ものが来るか知れないが、一言でも変な口を出したら、こっぴどくやっつけておいて、すぐ県の上層部に行って談判しようと考えた。Oが帰ったあとに、今度は川原〔徳一郎〕の実父、中崎直造がやって来て、やはり同じようなニュースをもたらし、明日は注意した方がよいと話した。川原たちも来合わせて対策を協議したけれども、事実に直面し、相手の出方を見ない限り、何の方策もあるはずはない。独りになっていろいろ想像をめぐらしてみたが、結局出たとこ勝負で行くより手はない。ただ決心だけは固めて明日に臨むことにした。
朝起きてみたら、予期以上に事態が重大であることを知らされた。この日は、午前は江刈小学校、午後には一里ばかり上流の五日市小学校で、講演会を別々に行なう手筈になっていた。したがって、役場より少し上手〈カミテ〉の小苗代〈コナワシロ〉部落から下流の部落民だけが江刈小学校に集まり、その他は午後に五日市に行くはずである。しかるに、早朝から道路の人通りはただ事ではなく、三里も上流の人々がぞろぞろと下の方に向って歩いて行く。どの顔も心がら〔心柄〕か険悪に見えた。私はここで初めて本当の敵を意識した。それまでは、騒いでいることは知っていても、それほどだとは考えず、憎悪を感じるまでにはなっていなかった。【以下、次回】
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