礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

本庄栄治郎の「序」(坂上信夫『土地争奪史論』)

2014-07-26 05:42:18 | コラムと名言

◎本庄栄治郎の「序」(坂上信夫『土地争奪史論』)

 坂上信夫の『土地争奪史論』(大同館書店、一九一一)について紹介をしている。本日は、本庄栄治郎の「序」を引用してみる。

 
 人間生活の過程としての歴史は、其生活の内容が政治法制芸文経済等あらゆる事相の関係と作用とを包摂すると云ふ事から考へて、又それ等凡ての作用と事相との発展的過程でなければならぬ。されば国民生活の史的発展を考究する為めには、其何れに偏する事も許されない有機的相互関係を有する。寧ろ史的発展は、相互作用の推移其ものであると謂ひ得る。従来の史的研究が歴史は英雄の伝記であるといふカーライルの信条と主張の如くに、只其人類生活の一側面に偏した事について、漸く目醒めて来た事は怡ぶ〈ヨロコブ〉べき学界の傾向と謂はねばならぬ。
 かくして、経済史的研究も、今や正に熾烈なる学界の熱望を喚び起さうとして居る。凡そ経済的事実が過去の生活に対して、如何に重要にして、且つ親密な作用を有して居たか。現在と未来について、亦如何に重要な関係と作用を有するか。それは、茲に敢て贅説を要しない。従つて夫れに対する研究の目的と価値と効果に付いても、徒冗の言説を要せずして自づから明〈アキラカ〉であらう。
 坂上氏の此述作は、蓋し此意味に於て正に一読に値すべき事を信ずるものである。本書は、土地所有権の変遷を基調とする見方から書かれたものであつて、著者は其志向として経済的事実に即き〈ツキ〉ながら、それを離れた態度に於て、人間の生活を反省しやうとしたものらしい。即ち人間生活の基調をなす経済的事実を中心として、其発展の迹を辿りながら広く生活の分野に亘るHuman natureの本来の姿を掴まうとしたのであらう。著者が何等特別なる教養をも受けて居ないと云ふ事が、却つてかくの如く自由にして特異な見方を能くする事を得た所以であつて、其処に著者独特の立場と、この述作の異彩があらうと思はれる。敢えて一文を序して江湖に薦める所以である。
大正十年三月 菁莪書屋に於て 本庄栄治郎識

 本庄栄治郎(一八八八~一九七三)は、のちに日本経済史の権威となるが、この「序」を書いた時点では、まだ京都帝国大学経済学部の助教授であった。

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