礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

溝口健二、チェーホフについて語る(1940)

2014-07-01 03:56:51 | コラムと名言

◎溝口健二、チェーホフについて語る(1940)

 昨日の続きである。大日本映画協会編『映画演出学読本』(大日本映画協会、一九四〇)から、溝口健二の「映画監督の生活と教養」を紹介している。
 本日、紹介するのは、「7」の後半部分である。

 映画にとつて個々のカツトは、やがてその映画全体の価値を決定するものであるからには、演出者は個々のカツトの撮影に当つて彼自身の演出者としてのあらゆる能力と、芸術的智能を傾けつくすのでなければならないと云ふことは、至極当然のことであるにもかかわらず、理論的には知つてゐても扨て〈サテ〉実際の撮影となると、安易な方法で描き流したり、対象を的確に掴む迄に至らないうちに技術だけでいい加減に描き飛ばしてしまひたがる。
 映画を観てゐて、個々のカツトに細心の注意の行きわたつてゐる映画は芸術的にも感銘が深く、注意の行きわたらない映画からは極く少ない感銘しか受取ることが出来ないのも、実に演出家の日常的生活経験や教養の深浅の差によるものだと言ふことをこれから演出家みならう志す人は自覚しておいて欲しい。
 アントン・チエホフ、我国でもその戯曲が度々上演されて非常によく知られたこの作家は「精神と生活に於て冷たく嘲笑的」な作家たちに反対し、エピゴーネンや、社会生活に関心を持たない空虚な人々に反対し、文学の使命は、社会を動かしてゐる問題を、たとへ解決し得ないまでも、それを正しく提出することにあると主張して「芸術家は、観察し、選択し、推測し、結合する――すでにそれだけで、まづ次の問題を予想するのだ。即ち、まづ初めから自分に問題を課さなかつたら、何も推測することができないし、何も選択することができない。」と云つてゐる。この言葉は演出家が一カツトに対する態度に於ても云へる言葉だと思ふ。

 昨日のクイズの解答(参考までに、その言葉の出典と、百家説林におけるページを示す)

1  桔梗  ききょう   南留別志(正編上140)
2  菊合  きくあわせ  仮名世説(正編上934)ほか  
3  象   きさ     南留別志(正編上27)
4  象潟  きさかた   奥の細道(正編上19) 
5  階   きざはし   後松日記(続編中681)
6  王余魚 きすご    庖丁書録(続編上218)
7  煙管  きせる    大海のはし(正編下972)ほか
8  蓋   きぬがさ   後松日記(続編中705)
9  甲乙  きのえきのと 河社(続編上1013)
10 求肥  ぎゅうひ   善庵随筆(正編上664)

恒例 読んでいただきたかったコラム・ベスト10(2014年前半)

1位  3月2日  ナチス国家の指導者は憲法の縛りを受けない
2位  6月16日 ハーグ密使事件(1907)と吉田松陰
3位  6月13日 伊藤博文曰く、日露戦に成算はない(1903)
4位  3月5日  「法は治世の一具」穂積八束の法治主義否定論
5位  4月25日 朝鮮百人乗り改造バスの構造仕様書
6位  4月16日 半殺しにした蛙を「カヘルバ」で生き返らせる
7位  5月20日 内村鑑三「末松男爵と人糞事件」(英文)
8位  2月20日 なぜ薬売りに浄土真宗の門徒が多いのか
9位  3月23日 ツンベルグが驚愕した近世日本の人糞尿肥料
10位 5月23日 乃木将軍と盆踊り

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする