礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

上には上があるもんよ(ゴンタ英雄)

2022-03-26 00:17:50 | コラムと名言

◎上には上があるもんよ(ゴンタ英雄)

 きだ みのるの『気違ひ部落周游紀行』(吾妻書房、一九四八年四月)を紹介している。本日は、その十二回目で、「66 英雄陳列館」の一部を紹介する。
 最初にある「選挙当日」というのは、村会議員選挙当日の意味である。

 遂に選挙当日の朝。
 ゴンタ英雄は育【そだ】ちの悪い麦畑に出てゐる。私の近づくのを見て声をかける。
 ――やあ、先生よ。昨晩は大変だつたぜ。向ふの部落や上〈カミ〉の部落ぢやよ。部落の候補を落しちやなんねえちゆんで、青年まで狩り出して通りの向ふとこつちにかがり火を焚いて切り込みを一歩も部落内には入れめえと一晩中警戒よ。梅屋敷ぢや行くのには橋一つしかなかんベえ、あの橋の袂〈タモト〉でかがり火を焚く始末さ。今になつて折り鶴の百円札が飛んだり、租税が安くなるように掛け合つてやるとか、闇で捕まつても直ぐに出してやるとかで、予定有権者をさらはれて落選しちや敵はねえからよ。
 実にやその光景は壮観血を湧かすものがあつたに違ひない。真田幸村の一党を祖宗に仰 ぐこの辺の英雄たちであつて見れば、選挙勝負にこのくらゐ力を入れても、過ぎたとは云へまい。
 ――ところがなあ。あのリンタ勇士よ。あの勇士はこの厳重な警戒網をかすめて、畑道を通つたり、川を裸足〈ハダシ〉で渡つたりして、一軒一軒雨戸を叩いてリンタです。宜敷く願ひますと云つて夜通し歩いたちゆうからな。上には上があるもんよ。昨日〈キノウ〉は徹夜の三晩目だとよ。これには皆おつ魂消【たまげ】ただ。いや昨日の晩もいろんな爆弾が飛んだんべえ。西部落ぢや候補が最高点だつたら焼酎を二斗振舞ふとよ。

*このブログの人気記事 2022・3・26(9位になぜか平田篤胤)

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山と女房に見置きなし

2022-03-25 02:17:47 | コラムと名言

◎山と女房に見置きなし

 きだ みのるの『気違ひ部落周游紀行』(吾妻書房、一九四八年四月)を紹介している。本日は、その十一回目で、「59 英雄たちにも秘密の利権のあること」を紹介する。これも全文を紹介したい。

    59 英雄たちにも秘密の利権のあること

 部落の英雄たちは各々幾つかの秘密を持つてゐる。そして時々それを思び起しては会心の微笑を浮べ心私かに〈ヒソカニ〉楽しむのだ。
 春になり、椎茸の季節になるとサダニイは枯葉掻きのときのでつかい脊負ひ籠一杯この菌〈キノコ〉を重そうに脊負つて帰る。そしてそれを庭先の柿の木の下に下して云ふ。
 ――やあやあ、おこん、酒を一杯持つてこう。それから先生にもよな。えら骨が折れたわい。どうだ先生。まあ見てくんな。すげえだろ。
 おこん姐さんはこんなときには酒をしぶらない。特別に大きいコッブに並々としかも下の受け皿にこぼれるほどついでもつてくる。そしてこの椎茸の巨大な山を眺め、かかる覇業の出来るその亭主を如何にも惚れ惚れと見守るのだ。
 私は酒杯を手にしながらこの見事な生椎茸を眺める。
 ――何処で取つたのかよ。 
 するとサダニイは、羨望を一身に集めた者の誇らしさを以て云ふ。
 ――そんなこたあ、云へるもんぢやねえ、先生。それを云つたら来年から村の衆が先に行つて取つてしまうだあ。先生もな。去年松茸を取つたべえ。場所を脇の奴等に教へちや駄目だよ。皆に取られちまはあ。
【一行アキ】
 山と女房に見置きなし。これが山村に暮すものの掟である。俺があの枯木、あの茸〈キノコ〉を先に見つけたのだといふ云ひ分ばここでは通用しない。それは丁度俺はあの女を女房にするつもりでゐたのだと云つても役に立たぬと同じである。従つてサダ英雄の椎茸場所はその七人の子にも、また七人の子をなしたその女房にも秘密である。

今日の名言 2022・3・25

◎山と女房に見置きなし

 山村に暮すものの掟。山で枯れ木やキノコなどを見つけた場合、その場で確保する必要がある。あとから、あれは自分が先に見つけたという言い分は、山村では通用しない。女房にしようとする女を見つけた場合と同様である。『気違ひ部落周游紀行』より。

*このブログの人気記事 2022・3・25(9位に極めて珍しいものが入っています)

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恥しくつて足がすくむやうだつたあ(ピカサン)

2022-03-24 00:31:25 | コラムと名言

◎恥しくつて足がすくむやうだつたあ(ピカサン)

 きだ みのるの『気違ひ部落周游紀行』(吾妻書房、一九四八年四月)を紹介している。本日は、その十回目で、「50 英雄ピカサンは如何にしで自己の畑を荒す男を小さくなつて見てゐたかについて」を紹介する。この節は、全文を紹介したい。
 文中、傍点が施されている箇所は、下線で代用した。

    50 英雄ピカサンは如何にしで自己の畑を荒す男を
      小さくなつて見てゐたかについて

 五月、この辺でせえだと呼はれるじやがいもがそろそろ肥りはじめる頃になると、部落では心配が一つふえる。それは畑泥棒だ。
 ――今年はひどからうよ。とピカサンが心配さうに云ふ。
 ――南の部落ぢやあ、もう照さんの畑がやられたよ。とサダニイがねころびながら応ずる。昨日通りがかりに見たがよ。先づ五貫目は持つて行かれたな。盜んだのは町場の者に違えねえ。せいだを抜いてな、それについた奴だけ持つて行ったんだから。照さんかんかんに怒つてな。見つけたらひでえ目に会はすと云つてゐたあ。
 ――だがよ。村の衆ぢやさうも行かねえしよな。とビカサンがしみじみと云ふ。おらあ去年困つたよ。夕方畑を通り掛つたらよ、おらがかぼちや畑に人がゐるのよ。見ると知らねえ衆ぢやなし、歴〈レッキ〉とした人ぢやねえか。おらあ恥しくつて足がすくむやうだつたあ。気づかれちや気の毒だんべえ。茶の蔭で小さくなつてゐただよ。何んでも好い形の奴を二つばかり持つて行かれたが、あんな困つたこたあ、なかつたぞや。
【一行アキ】 
 盜まれる方が恥しくて小さくなり、泥棒が立ち去るまで隠れてゐるといふこの態度は論理と権利の世界ではなささうであるが、この態度は残つてくれる方が世の中は楽しさうである。だがこんな考へは単なるセンチメンタリズムで日本社会に常にもやもやを残し、整然たる論理の浸透を妨げるといふ人もあらう。

 この文章は、私にとって思い出深いものである。最初に『気違ひ部落周游紀行』を読んだとき(そのときは、冨山房百科文庫版で読んだ)、この文章が妙に印象に残った。泥棒を発見して恥しくなるというピカサンの心意が、よく理解できたからである。

*このブログの人気記事 2022・3・24(なぜか1位に東京市水道鉄管問題)

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火じろは保温にも調理にも使える便利なもの

2022-03-23 00:19:22 | コラムと名言

◎火じろは保温にも調理にも使える便利なもの

 きだ みのるの『気違ひ部落周游紀行』(吾妻書房、一九四八年四月)を紹介している。本日は、その九回目で、「45 部落にも他と変りなく虚栄の市のあるといふこと」の一部を引いてみることにする。文中、傍点が施されている箇所は、下線で代用した。

 あなたは、火じろとこの辺で呼ばれてゐるゐろりで火を燃やしたことがありますか。これは便利なものだ。何でも、枯木でも枯葉でも、煙さへ我慢したら生木でも生葉でも何でも燃して、保温用なり調理用に使へる。それに自在釣〈ジザイカギ〉といふ便利至極なものがあつて、調理の温度を高くも低くも加減出来る。
 しかしこれには一つの不便がある。ギリシャの女嫌ひの詩人は天下に軽きものは灰よりなく、灰以上に軽いのは女だけであると云つてゐる。いや実際のところ、火じろで一度火を焚いてごらんなさい。女のことはいざ知らず、灰の軽さは身に泌みて体験出来る。そこいら中灰だらけになつて、一日のうち何度掃き出したり雑巾がけをしなくてはならないか解らない。これは私のやうに独居してゐる者にとつて厄介でなくはない。
 私は里に降りて、何とか灰の立たない方策を訊ねるつもりで、火じろをいつもきれいにしてゐるヒロインおさと姐のところに行つた。彼女は私にかう云ふのである。
 ――さうだんべえな。灰が立つのは仕方はねえや。杉つ葉〈スギッパ〉や枯つこ(枝のこと)を燃したんぢやな。
 それから彼女は眼をつぶつて如何にも会心的に語をつづける。そのとき彼女のポーズは斜〈シャ〉に構え、ひんとひぞつたると元禄の時代の作者が表現したものに類する。
 ――さう云つちや何だがよ。おらがぢやよ、口幅【はば】つてえが、杉の葉や枯つこなんざや燃したこたあねえのよ。年中日蔭に積んだまきもやを燃してら。だもんで灰も立ちはしねえわな。
 哀れなおさと姐! 彼女は何にも誇るものはないのだ。亭主のクロニイ勇士の芸術的資性は彼女の理解の外にあるし、家は部落で一番小さいものの一つだし、誇示の本能を満すものは灰の立たない薪ともやしかないのだ。

「もや」は、薪にする小枝や葉のこと。「ひんとひぞつたる」は不詳だが、「ひんと」は「ピンと」、「ひぞつたる」は「乾反ったる」か。

*このブログの人気記事 2022・3・23

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これぢや家で食ふのがありやしねえ(ジンザ老雄)

2022-03-22 01:45:08 | コラムと名言

◎これぢや家で食ふのがありやしねえ(ジンザ老雄)

 きだ みのるの『気違ひ部落周游紀行』(吾妻書房、一九四八年四月)を紹介している。本日は、その八回目で、「43 自慢百姓は収穫の多い百姓でないこと/自慢百姓は思想界にも少なからざること」の一部を引いてみることにする。

 ある日ジンザ老雄は山に上つて来る。自分の万鍬が破損したので、借りに来たのだ。
 ――先生、一緒に下りて来なさいよ。さつまを掘つて進ぜべえ。好う育つとるでずぜ。
 で私は鍬を担いだ爺さんの後について行く。畑につくと彼は鍬を下し、ほれぼれと畑を眺め、それから私を振り返る。
 ――よう出来とるでせうが。こんなに出来ようとは思はなんだな。
 さう云つて彼は一番繁つた個所に私を案内する。
 ――一つ掘つてお眼にかけるかな。どうだこのさつまは、よう出来たわい。
 鍬の先からは肥つた藷が茎にぶら下つて掘り出される。
 爺さんは相好〈ソウゴウ〉を崩してその一つ一つを愛撫する。彼はいま正に至福の境に遊んでゐる。
 ――一つ計つて見るべえな。
 そして爺さんは腰に差した天秤〈テンビン〉を抜き出す。葉を切り去り、土を振ひ落した一株の藷がはかりの先にぶら下り、紐を持つ爺さんの手は歓びに震へてゐる。
 ――八百五十匁〈モンメ〉ぢや。
 爺さんはやや不服さうだ。この数字に満足してゐないのだ。
 いま一つ、掘つて見るべえな。
 第二の分は七百三十匁、爺さんは少しく周章てる〈アワテル〉。こんな筈ではなかつたがと云ひたげである。そしてまた一つと掘つてみる。此度こそは! それは七百五〇匁。ジンザ老は憂欝さうである。
 私は爺さんを慰める――この石塊畑〈イシクレバタケ〉でようもかう出来たものよ。
 だが気質としては空想的で、傾向としては進歩的なこの爺さんは慰まない。失望がありと彼を引き摑んでゐる。
 反〈タン〉四百五十貫の供出の差し紙が来たとき、一番不平を鳴らしたのは爺さんであつた。
 ――これぢや家〈ウチ〉で食ふのがいくらもありやしねえ。

 文中、「万鍬」とあるのは、「万能鍬」(まんのうぐわ)の略称である。一般に、四本の爪があるものを指す(これは、備中鍬ともいう)。読みは、たぶん「まんが」(まんぐわ→まんが)。

*このブログの人気記事 2022・3・22(9位になぜか「森永ミルクキヤラメル」)

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