アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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奢るネオコンは久しからず

2006年11月10日 00時17分58秒 | その他の国際問題
・米民主党、下院で過半数奪還へ 主要メディア報道(朝日新聞)
 http://www.asahi.com/international/update/1108/012.html
・米国防長官更迭:イラク政策の誤り認める ブッシュ大統領(毎日新聞)
 http://www.mainichi-msn.co.jp/kokusai/america/news/20061109k0000e030034000c.html
・ニカラグア大統領選、オルテガ氏が16年ぶり返り咲き(読売新聞)
 http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20061108i511.htm

 米州大陸の二つの選挙が米国のブッシュ政権を更に追い詰めています。その一つは自国の中間選挙で、もう一つはニカラグアの大統領選挙です。

 米国中間選挙で与党の共和党が大敗し、議会の過半数を失いました。イラク戦争の泥沼化や与党スキャンダルに対する米国内世論の批判をモロに受けた格好になりました。これを機にブッシュ大統領はラムズフェルド国防長官を解任し、後任には比較的穏健派と目される人物を任命しました。
 この選挙は名前こそ「中間選挙」と地味ですが、下院の全議席と上院の1/3の議席が改選され、併せて州知事選挙や各種の地方住民投票も同時に行われる、米国の一大選挙イベントなのです。大統領選と次の大統領選の間に施行されるからこういう名称がついているのであって、日本で言えば衆参同日選挙と統一地方選挙が合わさったものに相当します。
 http://allabout.co.jp/career/politicsabc/closeup/CU20061002A/index.htm

 この選挙結果については日本のマスコミもそれなりに詳しく報じていますので此処では逐一引用はしませんが、それを単に表層的に「民主党の勝利、共和党の敗北」とだけ捉えるのではなく、「イラク反戦の意思が選挙結果に示された」事こそが重要なのであって、それが前述の形となって現われたと見るべきでしょう。
 何故ならば、今更言うまでも無い事ですが、共和・民主両党も大資本擁護の保守二大政党である事には変わりなく、それぞれの中にイラク戦争支持派も反戦派も同居しているからです。例えば、コネチカット州選出民主党大物上院議員のリーバーマン候補などは典型的なイラク戦争支持の隠れブッシュ派で、それが民主党予備選挙で反戦派のラモント候補に敗れて党の公認を得られずに無所属で出馬して、大物議員でありながら反戦候補に追い上げられた挙句に、どうにか逃げ切る事が出来ました。
 それに、米国には戦争や新自由主義を巡る対立軸の他に、同性愛や避妊や銃の自由所持といったキリスト教倫理観とも関わる別の対立軸があり、それが政治対立にも微妙に影を落しており、イラク反戦の意思がそのままストレートに現われるとは限らないからです。
 そして、第三政党の進出を阻む小選挙区制や有権者登録制の介在、電子投票機メーカーと政権との癒着も噂され、貧民層やマイノリティの声が簡単には政治に反映されにくくなっている構造の中で、選挙が小市民・中産階級中心の単なるイベント・お祭りと化している現状もあります。

 その様な政治状況の中でも、イラク反戦の世論の意思が明確に反映された(中産階級にとってもイラクで無駄死にはしたくはないだろうし戦費増大は増税となって跳ね返ってくる)―これが2006年米国中間選挙に現われた結果です。

 もう一つのニカラグアの大統領選挙は、米国による露骨な選挙干渉をはねつけて、ニカラグア国民が自らの意思で新自由主義政治に終止符を打つ事が出来た―という事に最大の意義があります。
 ニカラグアでは1979年にソモサ独裁政権が打倒されFSLN(サンディニスタ民族解放戦線)による自主的・民主的な国作りが開始されましたが、その後は米国の反革命干渉によって90年代以降は右派政権が復活し、国民の間に貧富の格差が広がっていました。それが、この間の南米左派躍進の波を受けて、FSNLによる政権奪回の可能性が生まれていました。

 こちらも内実はそう単純なものではなく、今まで米国の後ろ盾を得て反FSLNでまとまっていた右派が、革命以前の保守二大政党対立を引きずる形でPLC(立憲自由党)とALN(国民自由同盟)に分裂し、その漁夫の利にも助けられて、FSLNのオルテガ候補(元大統領)が、決選投票を経ることも無く第1回投票で見事政権復帰を果たしました。
 得票分布を見ると、FSLNが北部、PLC・ALNが南東部・南西部の地盤でそれぞれ地歩を確保し、首都マナグアでは三党鼎立の様相を示しています。選挙戦では、右派二党が反共攻撃やネガティブキャンペーンに終始したのに対して、FSLN側は元コントラ(反革命干渉軍)幹部も取り込んで国民和解政府の実現を訴えたのが功を奏し、地盤の北部で右派を圧倒したのが最後の勝利の決め手になった様です。また、この20年来の右派政権の下で、FSLC自身も社民化して行政ポストを保守と分け合うなど利権構造に取り込まれつつあったという側面もあり、それに対する批判票が左派分派MRS(サンディニスタ刷新運動)の得票として現われています。
 http://www.elecciones2006.net.ni/escrutinio/general_p.html

 そういう諸々の要素にも関わらず、この20年来のIMF構造調整政策・新自由主義経済モデルの押し付けで貧窮化の淵に追いやられてきた中南米諸国人民による「こんな政治はもう沢山だ」の声にも励まされ、ニカラグア人民がアメリカ帝国主義の干渉をはねつけて「新自由主義NO!」の候補に一票を投じた―ここにこそ、この選挙結果の政治的意義があるのです。
 今までは、これらの中南米における社会変革の動きは、20世紀初期のメキシコ革命と1959年のキューバ革命の例外を除いて、後は全てアメリカ帝国主義によって潰されてきました。グアテマラ・ドミニカ・ボリビアの革命、チリのアジェンデ政権、パナマの革命、等々。しかし、ベネズエラのボリバル革命を皮切りに、その後はブラジル・アルゼンチン・チリ・ウルグアイ・パラグアイ・パナマ・ボリビアで相次いで革新政権が誕生し、その他の国々でも革新勢力の前進が従来の保守寡頭支配体制を脅かすまでになっています。今までの様な横暴勝手な反革命干渉は通用しなくなっているのです。
 
 この二つの選挙から共通して言えるのは、「奢るネオコンは久しからず」という事です。2001年9月11日のNY同時多発テロで折角世界から同情と共感を集めながら(その時に多国間協調路線に舵を切っておればまた違った展開になっていたかも知れないものを)、その同情・共感に悪乗りする形で「目には目を、テロには国家テロを」の論理で逆上・暴走し、イスラム原理主義とは何の関係も無いイラクのアラブ社会主義政権を一方的に打倒し、彼の国を内戦の淵に追いやった。そういう嘘で、いつまでも世界を欺き続ける事は出来ません。
コメント (2)
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