私は、最初に中山暴言関連記事をアップした9月27日の時点では、暴言の内容が余りにも支離滅裂だった事もあり、正直言って「もうこんなアホには付き合っていられない」という思いでいました。今もその思いは変わらないものの、しかし中山当人が国交相辞任後も相変わらず無反省に暴言を垂れ流すだけでなく、あろう事か橋下・大阪府知事まで中山に加勢するに至った今となっては、既に「もうそんな生半可な事は言っていられない」という気持ちに切り替わっています。
但し、現実的には他に書きたい事・書くべき事もあるので、そうそうこの事ばかり書いてはいられませんが、今後もこの中山・橋下両人については、聊かも監視の手を緩めず、徹底的にその反動性を暴露していくつもりです。
まず改めて、国土交通大臣の中山成彬が、「成田空港反対派はゴネ得」「日本は単一民族国家」「日教組をぶっ潰す」と3つも暴言を垂れ流し、言いたい放題ヘイトスピーチを垂れ流した挙句に、自らの職責を投げ出していった事件について。この3つの暴言は決して等価ではない事が、その後の彼らの発言でほぼ明白になりました。
中山が本当に言いたかったのは、三番目の「日教組攻撃」だけだったのです。一番目の「空港反対ゴネ得」発言はあくまでその次で、二番目の「日本は単一民族国家」云々については、どちらかと言えば只のモノの弾みに過ぎなかったのではないでしょうか。それは、中山が一番目・二番目の当事者である空港反対派(地元千葉県の知事・自治体関係者も含めて)や北海道ウタリ協会関係者には一応謝罪したのに引き換え、三番目の日教組については、発言撤回や謝罪を今も頑なに拒んでいる事からも明らかです。
一番目・二番目の暴言のトンデモさについては、もうここでは簡単に触れるに止めておきます。
すなわち一番目の成田については、当事者農民の主体は戦前世代で戦後教育云々とは無関係であり、戦後の国による食糧増産の要請に応えて苦労の末に開拓したにも関わらず、国から通り一遍の通告で強制収用された事がその後の混乱の最大の原因であり、国も自らその過ちを認めて既に謝罪しています。
二番目の単一民族性についても、国内にはアイヌなどの少数民族が現に居住し、国も彼の人たちの民族としての固有の権利を認めるに至っている事や、そもそも日本人自らもルーツを辿れば、それぞれ南方系・北方系アジアからの移民である事が既に学問的にも証明されていて、この「論争」についても、とっくに勝負はついています。
問題の、三番目の「日教組強いと学力低い」云々についても、実は事実無根の言いがかりにしか過ぎない事が、既に下記の記述からもとっくに明らかになっています。
・「日教組強いと学力低い」中山説、調べてみれば相関なし(朝日新聞)
>(注:学力テストの成績が)小6の全科目でトップ、中3もすべて上位3位に入った秋田の(同:日教組)組織率は5割以上。組織率が9割近くと全国トップを誇る福井は、中3の3科目で1位だった。
>「中山説」では、成績の低いところは日教組が強いはずだが、小6、中3の全科目で最下位だった沖縄の組織率は4割弱にとどまる。中3の全科目でワースト2位だった高知に至っては1割に満たず、何ともバラバラだ。
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200809260383.html
この様に、少し事実を調べれば、中山の言う事がデマ以外の何物でもない事が誰でも直ぐ分かるのに、何故あそこまで当人が居直って無反省にデマを垂れ流し続け、橋下がそれに加勢をかって出てきたのか。それが今でも解せません。
まあ単純に「ウヨが発狂した」と捉えてしまえばそれまでなのですが、ただでさえ「自民党政権危うし」の今回の解散総選挙で、何故わざわざ、こんな自ら墓穴を掘る様な暴言をしでかしたのか?
これには私も3つほどその理由を考えているのですが、その第1が麻生への意趣返し。バカはバカなりに、もう麻生自民党が国民から嫌われている事には気付いていて、自分だけ抜け駆けして平沼新党に合流する事で、その後に予想される保守政界再編茶番劇の中でキャスティングボードを握ろうとしているのか、と。
第2は、逆に麻生サイドからの、小沢民主党に対する起死回生の観測気球。つまり、中山をわざと暴走させて、それで今後の世論状況を押し計っているのでは。今回は中山発言が概ね国民から相手にされなかったのを見て、麻生はイケシャアシャアと火消し役に回っているものの、これがかつての小泉郵政解散の様に、自分に有利に左右する様な展開になっていたなら、麻生も今の橋下と同様に、右傾化扇動の加勢役をかって出ていたのではないか、という事です。とりあえず形だけは憂慮してみせるものの、その後も中山の名誉毀損暴言を事実上放置し続けているのが、その何よりの証拠ではないでしょうか。
この「麻生のヤラセ」説については、確かに私自身も聊か穿ち過ぎかなとも思う部分もあります。しかし、国交相辞任以降の中山自身や橋下の一連の言動が、「結社の自由」や「労組弾圧」を巡る是非という本質論から巧妙に焦点を逸らして、公務員や教員に対する庶民のヤッカミをうまく煽る形に流れているのが、非常に気に掛かるのです。今回は、その様な「劇場政治」の手法に対して国民の中にようやく生まれつつある免疫作用もあって、それはどうやら不発に終わりそうですが、その一方で橋下・小泉人気もまだまだ根強いので、決して油断は出来ません。
第3は、もっと単純に考えて、中山の単なる鬱憤晴らし。聞く所によると、当初麻生首相は中山の閣僚起用なぞ考えていなかったのだが、町村派からの更なる閣僚ポスト配分要求に抗しきれず、やむなく中山を登用した。しかし、中山に宛がわれたポストは当人の希望しない国交相だったので、中山が逆切れして八つ当たりに及んだ、という情報まであります(「中山国交相辞任 自負と慢心、袋小路」産経新聞・他)。この事の真偽は定かでないものの、若しこれが本当で、それで僅か5日そこらで乱暴狼藉の末に辞めたというのなら、もう森やアキバ事件容疑者の加藤と同類ではないか(呆・怒)。
以上が、中山が凶行に及んだ動機についての推測ですが、それとは別に「何故ことさら日教組だけを目の敵にするのか?」という問題があります。これは先に挙げた伊達さんのブログの中でも少し触れられている事ですが、他にも左派系の教職員組合があるのに(全教や教育合同労組など)、何故それらの自民党・保守反動勢力の文教政策に今も対峙している共産党系・新左翼系労組ではなく、連合加盟以降は文科省との協調路線に転じ、教育基本法改悪も事実上容認し、体制内化しつつある今の日教組に、わざわざ矛先を向けてきたのか?
これも2つほど理由を考えているのですが、その一つは、ただ単に「何も知らないバカウヨだから」。もう一つは、誰でも知っている「かつての雄」の日教組を叩く事で、教育労働界全体を沈黙に追い込もうとしているのかも。若し後段の理由が正しいとすると、これはもう、かつての関東大震災直後の朝鮮人・社会主義者に対する虐殺や、クリスタル・ナハト(水晶の夜:ナチ政権下で引き起こされた最初のユダヤ人大量虐殺事件)、イラク日本人人質あるいは拉致家族会バッシングの再現劇に他なりません。
しかし、如何に現実の日教組が堕落・腐敗していようと、だからと言って憲法に定められた結社の自由を踏みにじり、特定の労組を名指しして不当労働行為に及んでよいという事には、絶対になりません。況してや、これを全然次元の違う「公務員・教員の働き方」のレベルに落し込めて、それで来る解散総選挙での自民惨敗をかわす政争の具に利用するとは、もう卑怯千万という他ありません。
当人はやれ「言葉狩り」だの何だのと言って、今でも居直りを決め込んでいますが、「思想弾圧」を公然としておいて、そんな事を平気でよくも言えたものです。「被害者面すんのも大概にせいよ」と言いたい。
国民もそうそうバカではありませんので、今回は「劇場政治」に対する自浄作用が働いて、大勢では必ずしも反動側の思い通りには行きませんでしたが、今後もこの様な「マッチポンプ」や「下見て暮らせ傘の下」で、徒に国民各層の対立と分断を煽るファシスト的な手口が横行する可能性が大いにあります。この様な動きについては引き続き警戒が必要です。
但し、現実的には他に書きたい事・書くべき事もあるので、そうそうこの事ばかり書いてはいられませんが、今後もこの中山・橋下両人については、聊かも監視の手を緩めず、徹底的にその反動性を暴露していくつもりです。
まず改めて、国土交通大臣の中山成彬が、「成田空港反対派はゴネ得」「日本は単一民族国家」「日教組をぶっ潰す」と3つも暴言を垂れ流し、言いたい放題ヘイトスピーチを垂れ流した挙句に、自らの職責を投げ出していった事件について。この3つの暴言は決して等価ではない事が、その後の彼らの発言でほぼ明白になりました。
中山が本当に言いたかったのは、三番目の「日教組攻撃」だけだったのです。一番目の「空港反対ゴネ得」発言はあくまでその次で、二番目の「日本は単一民族国家」云々については、どちらかと言えば只のモノの弾みに過ぎなかったのではないでしょうか。それは、中山が一番目・二番目の当事者である空港反対派(地元千葉県の知事・自治体関係者も含めて)や北海道ウタリ協会関係者には一応謝罪したのに引き換え、三番目の日教組については、発言撤回や謝罪を今も頑なに拒んでいる事からも明らかです。
一番目・二番目の暴言のトンデモさについては、もうここでは簡単に触れるに止めておきます。
すなわち一番目の成田については、当事者農民の主体は戦前世代で戦後教育云々とは無関係であり、戦後の国による食糧増産の要請に応えて苦労の末に開拓したにも関わらず、国から通り一遍の通告で強制収用された事がその後の混乱の最大の原因であり、国も自らその過ちを認めて既に謝罪しています。
二番目の単一民族性についても、国内にはアイヌなどの少数民族が現に居住し、国も彼の人たちの民族としての固有の権利を認めるに至っている事や、そもそも日本人自らもルーツを辿れば、それぞれ南方系・北方系アジアからの移民である事が既に学問的にも証明されていて、この「論争」についても、とっくに勝負はついています。
問題の、三番目の「日教組強いと学力低い」云々についても、実は事実無根の言いがかりにしか過ぎない事が、既に下記の記述からもとっくに明らかになっています。
・「日教組強いと学力低い」中山説、調べてみれば相関なし(朝日新聞)
>(注:学力テストの成績が)小6の全科目でトップ、中3もすべて上位3位に入った秋田の(同:日教組)組織率は5割以上。組織率が9割近くと全国トップを誇る福井は、中3の3科目で1位だった。
>「中山説」では、成績の低いところは日教組が強いはずだが、小6、中3の全科目で最下位だった沖縄の組織率は4割弱にとどまる。中3の全科目でワースト2位だった高知に至っては1割に満たず、何ともバラバラだ。
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200809260383.html
この様に、少し事実を調べれば、中山の言う事がデマ以外の何物でもない事が誰でも直ぐ分かるのに、何故あそこまで当人が居直って無反省にデマを垂れ流し続け、橋下がそれに加勢をかって出てきたのか。それが今でも解せません。
まあ単純に「ウヨが発狂した」と捉えてしまえばそれまでなのですが、ただでさえ「自民党政権危うし」の今回の解散総選挙で、何故わざわざ、こんな自ら墓穴を掘る様な暴言をしでかしたのか?
これには私も3つほどその理由を考えているのですが、その第1が麻生への意趣返し。バカはバカなりに、もう麻生自民党が国民から嫌われている事には気付いていて、自分だけ抜け駆けして平沼新党に合流する事で、その後に予想される保守政界再編茶番劇の中でキャスティングボードを握ろうとしているのか、と。
第2は、逆に麻生サイドからの、小沢民主党に対する起死回生の観測気球。つまり、中山をわざと暴走させて、それで今後の世論状況を押し計っているのでは。今回は中山発言が概ね国民から相手にされなかったのを見て、麻生はイケシャアシャアと火消し役に回っているものの、これがかつての小泉郵政解散の様に、自分に有利に左右する様な展開になっていたなら、麻生も今の橋下と同様に、右傾化扇動の加勢役をかって出ていたのではないか、という事です。とりあえず形だけは憂慮してみせるものの、その後も中山の名誉毀損暴言を事実上放置し続けているのが、その何よりの証拠ではないでしょうか。
この「麻生のヤラセ」説については、確かに私自身も聊か穿ち過ぎかなとも思う部分もあります。しかし、国交相辞任以降の中山自身や橋下の一連の言動が、「結社の自由」や「労組弾圧」を巡る是非という本質論から巧妙に焦点を逸らして、公務員や教員に対する庶民のヤッカミをうまく煽る形に流れているのが、非常に気に掛かるのです。今回は、その様な「劇場政治」の手法に対して国民の中にようやく生まれつつある免疫作用もあって、それはどうやら不発に終わりそうですが、その一方で橋下・小泉人気もまだまだ根強いので、決して油断は出来ません。
第3は、もっと単純に考えて、中山の単なる鬱憤晴らし。聞く所によると、当初麻生首相は中山の閣僚起用なぞ考えていなかったのだが、町村派からの更なる閣僚ポスト配分要求に抗しきれず、やむなく中山を登用した。しかし、中山に宛がわれたポストは当人の希望しない国交相だったので、中山が逆切れして八つ当たりに及んだ、という情報まであります(「中山国交相辞任 自負と慢心、袋小路」産経新聞・他)。この事の真偽は定かでないものの、若しこれが本当で、それで僅か5日そこらで乱暴狼藉の末に辞めたというのなら、もう森やアキバ事件容疑者の加藤と同類ではないか(呆・怒)。
以上が、中山が凶行に及んだ動機についての推測ですが、それとは別に「何故ことさら日教組だけを目の敵にするのか?」という問題があります。これは先に挙げた伊達さんのブログの中でも少し触れられている事ですが、他にも左派系の教職員組合があるのに(全教や教育合同労組など)、何故それらの自民党・保守反動勢力の文教政策に今も対峙している共産党系・新左翼系労組ではなく、連合加盟以降は文科省との協調路線に転じ、教育基本法改悪も事実上容認し、体制内化しつつある今の日教組に、わざわざ矛先を向けてきたのか?
これも2つほど理由を考えているのですが、その一つは、ただ単に「何も知らないバカウヨだから」。もう一つは、誰でも知っている「かつての雄」の日教組を叩く事で、教育労働界全体を沈黙に追い込もうとしているのかも。若し後段の理由が正しいとすると、これはもう、かつての関東大震災直後の朝鮮人・社会主義者に対する虐殺や、クリスタル・ナハト(水晶の夜:ナチ政権下で引き起こされた最初のユダヤ人大量虐殺事件)、イラク日本人人質あるいは拉致家族会バッシングの再現劇に他なりません。
しかし、如何に現実の日教組が堕落・腐敗していようと、だからと言って憲法に定められた結社の自由を踏みにじり、特定の労組を名指しして不当労働行為に及んでよいという事には、絶対になりません。況してや、これを全然次元の違う「公務員・教員の働き方」のレベルに落し込めて、それで来る解散総選挙での自民惨敗をかわす政争の具に利用するとは、もう卑怯千万という他ありません。
当人はやれ「言葉狩り」だの何だのと言って、今でも居直りを決め込んでいますが、「思想弾圧」を公然としておいて、そんな事を平気でよくも言えたものです。「被害者面すんのも大概にせいよ」と言いたい。
国民もそうそうバカではありませんので、今回は「劇場政治」に対する自浄作用が働いて、大勢では必ずしも反動側の思い通りには行きませんでしたが、今後もこの様な「マッチポンプ」や「下見て暮らせ傘の下」で、徒に国民各層の対立と分断を煽るファシスト的な手口が横行する可能性が大いにあります。この様な動きについては引き続き警戒が必要です。