アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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北朝鮮からアジアの人権へ

2008年12月30日 00時18分35秒 | 北朝鮮・中国人権問題
 米国ではブッシュからオバマに大統領が変わり、日本でも愈々長年に渡る自民党政治の命脈が尽きつつあります。そんな政治の激動期の中にあって、実はこの12月に、北朝鮮問題に関しても一つの動きがありました。それが下記の「北朝鮮テロ全体主義国家の実状を訴える6団体共同集会」=「アジア人道人権学会設立準備期成会結成」の動きです。

・北朝鮮テロ全体主義国家の実状を訴える6団体共同集会(ネットライブ)
 http://www.netlive.ne.jp/archive/event/081214.html
・アジア人権人道学会設立準備期成会 開催される(同期成会ブログ)
 http://d.hatena.ne.jp/asiajj/

 この動きについては、実は私宛にも関係者の方から事前にメールで情報が送られて来ていて、私としても何らかの形で取り上げたいとは思っていました。ところが、そうこうしている間にも、麻生が次から次へとトンデモ発言を繰り返し、それへの反論に手がとられる中で(あんなモノに一々取り合ってたらキリが無いのですが、さりとて黙認するのも癪に障るので)、それに加えて仕事先での年末繁忙期の多忙もあって、ブログにアップするのが今になってしまいました。

 当該集会は、今月12月の14日に、東京の明治大学において、北朝鮮関連NGO6団体(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会、北朝鮮難民救援基金、特定失踪者問題調査会、RENK、NO FENCE、北朝鮮による拉致・人権問題にとりくむ法律家の会)の共催によって開かれたものでした。
 集会は3部に分かれ、第1部では、川島高峰・明治大学准教授による開会挨拶や、「鳥の歌」などのチェロ演奏、飯塚繁雄・北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表による挨拶、映画「めぐみ 引き裂かれた家族の30年」の上映などが行われました。そして第2部では2名の脱北者の方による北朝鮮強制収容所生活の証言、第3部では6団体による大発言会(パネル・ディスカッション)、という流れで行われました。当日の詳細については、下記の関連記事なども参照してみて下さい。

・鳥の歌と「恥ずべき平和」(守る会)
 http://hrnk.trycomp.net/news.php?eid=00065
・アムネスティが拉致問題に消極的なわけ(高世仁の「諸悪莫作」日記)
 http://d.hatena.ne.jp/takase22/20081227
・拉致問題と北朝鮮人権問題(荒木和博BLOG)
 http://araki.way-nifty.com/araki/

 斯く言う私ですが、偉そうな事を書いておきながら、実はまだ全部視聴出来ていません。視聴出来たのは、第1部の川島さんの挨拶及び「鳥の歌」の演奏と、第3部の各NGOによる大発言会のみです。大発言会の視聴だけでも優に1時間以上かかります故、なかなかまとまった時間が取れなくて。しかし、ボチボチでも時間を見つけて、一応全部視聴するつもりではいます。
 そういう状態なので、とりあえずここでは、視聴した範囲で印象に残った次の三点について、簡単にですが、書き記しておこうと思います。

 第一は、この北朝鮮問題を、ようやく国際人権問題として捉える流れが出てきたなあ、という点です。

 今までは、とかく北朝鮮問題といえば、「お涙頂戴」で与党サイドに都合よく纏められた日本人拉致の話がメーンで、それに加えて強制収容所や脱北者、北朝鮮難民の話題が続くものの、あとはもうテポドンと核と「喜び組」と金正男がどうたらとか、まるで恰も「狂人の国」と、その中で彷徨い続ける「哀れな洗脳された民」しかいないかの様な、そういう興味本位の話ばかりがメディアに流れていたので、私はもう聊か食傷気味でした。
 勿論、そんな番組ばかりではなく、石丸次郎さんの北朝鮮国内レポートなどの、貴重な情報もメディアに取り上げられてきましたが、どちらかというと、そういう番組については、まだまだ地味な扱われ方しかされていない様に感じていました。

 それがこの14日の集会では、川島准教授が、「グローバル時代の人権問題」という問題意識の下、「国内人権の国際化、国際人権の国内化」という提起をされ、「北朝鮮・金正日体制を国際刑事裁判所に提訴し、ローマ規約に基づいて裁くべし」と主張されていました。その他にも、韓国のNGOが取り組んでいる北朝鮮への風船ビラとか、拉致問題や北朝鮮の実状を彼の国の人民に直接語りかける民間放送「しおかぜ」の取り組みなどが紹介され、正に拙ブログが当初から唱えてきた「北朝鮮平和解放」論を地で行く内容で、従来の「靖国参拝派の議員しか来ない、いつもの拉致集会とは全然雰囲気が違う」(高世仁さんの日記より)という事が、視聴していてもよく分かりました。

 その中でも取り分け目を引いたのが、スペイン内戦をモチーフに取り、反フランコ・反ファシズムのメッセージが込められた、カタロニア民謡「鳥の歌」のチェロ演奏です。「北朝鮮問題」と「スペイン内戦」、一体どう関係があるのと、私でも一瞬思いましたから。
 しかし、よくよく考えて見ると、スペインの旧フランコ政権も、北朝鮮の金正日政権も、共に民衆を抑圧してきた独裁政権でした。なるほど、「反独裁・反ファシズム」という点では同じだなと、妙に納得した次第です(社会主義を僭称する金正日政権も、実態は一種の国家社会主義でファシズムに近い)。こういう企画も、「日の丸・君が代」だけの集会では絶対に在り得なかったでしょう。

 第二は、それでもまだ「ここは少し違うのではないか」という点も、私から見たらありました。

 それは例えば、第3部の大発言会で、守る会(北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会)事務局長の宋允復(ソン・インボク)さんが、「アムネスティが拉致問題に消極的な理由」について、以下の様に述べていた点についても言えます。

>今国際社会では、日本人拉致問題でのイメージが大きくなっていて、しかも日本が過去の慰安婦ですとかその他諸々の強制問題に対して、そうしたことはなかったという否定するような動きを取り、そして北朝鮮内の人道支援に消極的である。
>そういうあり方に対して、アムネスティの各国ヨーロッパを含めた各支部において疑問を持つ一定の認識があって、それを収斂した結果、アムネスティとしては北朝鮮の人権問題間に関しては慎重にアプローチすべきであるという判断が立ち、それを日本のアムネスティも支持したんだ、と。
 http://d.hatena.ne.jp/takase22/20081227

 私も、日本アムネスティの上記の対応は、誤りであると思います。人権問題として対処しなければならない事案であるにも関わらず、他の問題との兼ね合いで及び腰になってしまうのは、確かに間違っています。しかし、その一方で、その対応を単に「無知に因るもの」だと切って捨てる宋允復さんの対応も、私は疑問に思います。それは例えば、安倍政権時代の、米国下院での従軍慰安婦非難決議に対する、日本の自民党政府の対応や、政府御用の産経新聞の論調を一つ取って見ても、「過去の問題に対するもみ消し・頬かむり・矮小化」は、抗う事の出来ない事実ではないですか。
 
 また宋允復さんは、同じ流れの中で、「北朝鮮関係NGOが米国ばかりを重視するのも、キューバのグアンタナモ米軍基地内でイラク人捕虜への虐待を続ける米国に、免罪符を与える事になるのではないか」という批判に対しても、同様に切って捨てていました。しかし、私は「この米国批判も確かに一理ある」と思います。
 従軍慰安婦問題もグアンタナモの問題も、それを理由にして、「北朝鮮問題に対して及び腰になってはいけない」とは、私も思います。しかし、それはまた同時に、「北朝鮮・拉致問題があるからと言って、従軍慰安婦やグアンタナモの問題や、イラク戦争に関して、米国や日本の政府に対しても、手心を加えて良いという理由にはならない」という事では、互いに等価でなければ、所詮は米国や日本に対する「身びいき」でしかないと思います。

 その拠って立つべき基準は、あくまで人権です。その対象が北朝鮮であろうとイラクであろうと、本来そんな事は無関係の筈です。それを、かつての左翼は履き違えた為に、支持を減退させてきたのでしょう。ところが、それを指摘する左翼批判者の側も、これを見る限りでは、「身びいき」という点では、かつての左翼と何ら変わらないではないですか。
 だから、この場合は、他方の立場で一方の意見を切って捨てるのではなく、北朝鮮に対するアムネスティーの対応も、慰安婦・歴史問題やグアンタナモ・イラク戦争に対する日米両政府の対応や、そのブッシュのイラク侵略に今も加担しながら、「歴史問題で裏切られたから”反米”に宗旨替えした」とか言って恥じないご都合主義の某空幕長の態度も、共に人権の観点から批判しなければ、筋が通りません。

 第三は、「アジア人権人道学会」という括り方に対する疑問です。

 一口にアジアと言っても、これでは漠然としています。最初からアジア地域全般を守備範囲としていたのなら、これで良いかもしれませんが、最初は北朝鮮問題が出発点だったのに、やがて北朝鮮との関係で中国・チベットの人権問題も取り上げざるを得なくなった。
 ここまでなら、まだ何となく分かりますが、どうやらそれだけではなく、ミャンマーの問題も取り上げると言う。確かに「人権はグローバルなものであり、国家や民族による身びいきがあってはいけない」という点では、その通りなのですが、そうすると、「アジア人権人道学会」というからには、スエズ運河以東のアジアの人権問題全てを、網羅しなければならなくなります。
 そうすると当然、イラクの問題も、数日前から始まったイスラエルによるパレスチナ自治区・ガザへの空爆問題も、取り上げなければならなくなる。日本国内の「派遣切り」やネットカフェ難民の問題も、当然アジアの人権問題の中に含まれます。
 それら全てについて、本当に訳隔てなく公平に取り上げてくれるのなら大歓迎なのですが、正直言って、今の「アジア人権人道学会」設立準備会に、いきなりそれを要求しても、収拾がつかなくなるだけではないかと思うのですが。

 また敢えて穿った見方をするならば、本当は麻生が外相時代に唱えた「自由と繁栄の弧」とかいう中国包囲網を構想しているのだが、それでは余りにも露骨なので、「アジア人権」という様に言い換えているだけではないか、と。
 仮にそういう意図であるならば、正直に「北朝鮮・中国・チベット人権」とでもしてくれた方が、私としてはすっきりするのですが。今の中国も、北朝鮮ほど酷くはないでしょうが、問題大有りなのは事実ですから。反共や資本主義美化の、ネオコン流の中国包囲網の立場には、私は組みしませんが、それでも反グローバリズム、反・新自由主義の立場から、中国におけるスウェット・ショップ(外資と共産党官僚が結託した搾取工場)の問題を取り上げる中で、「別個に進んで共に撃つ」という事もあるかも知れません。
 一番適わないのは、表向きは「アジア人権」と言いながら、実際は「中国人権」の名の下に、「あんな麻生内閣」でも、かつて「自由と繁栄の弧」を唱えたのだから、一切批判まかりならぬ、なんて理屈を押し付けられる事です。(そもそも、これだけ日本の経済・社会をメチャクチャにして、8万5千人以上の派遣労働者を寒空に放り出しておいて恥じないアホ首相が、何が自由か繁栄か、石ぶつけたろか、ホンマに!!)

 以上、最後はまた批判めいてしまいましたが、「アジア人道人権学会」については、私は大いに注目し期待もしていますので、くれぐれも、その期待を裏切る事だけは無いように願います。
コメント (1)
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