アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

当ブログへようこそ

 アフガン・イラク戦争も金正日もNO!!搾取・抑圧のない世界を目指して、万国のプレカリアート団結せよ!

 これが、当ブログの主張です。
 詳しくは→こちらを参照の事。
 「プレカリアート」という言葉の意味は→こちらを参照。
 コメント・TB(トラックバック)については→こちらを参照。
 読んだ記事の中で気に入ったものがあれば→こちらをクリック。

戦前日本と現代北朝鮮の類似性

2009年05月27日 23時44分18秒 | 北朝鮮・中国人権問題
 下記(A)が、今回の北朝鮮核実験に際しての、朝鮮中央通信の報道文です。読売新聞からの転載です。

(A)わが方の科学者、技術者らの要求に従い、共和国の自衛的核抑止力を各方面から強化するための措置の一環として、主体98(2009)年5月25日、いま一度の地下核実験を成功裏に行った。
 今回の核実験は、爆発力と操縦技術において新たな高い段階で安全に実施され、実験の結果、核兵器の威力をさらに高め、核技術を絶えず発展させる上での科学技術的問題を円満に解決することになった。
 今回の核実験の成功は、強盛大国の大きな扉を開くための新たな革命的大高潮の炎を力強く燃え上がらせ、150日戦闘に一丸となって立ち上がったわが軍隊と人民を大きく鼓舞している。
 核実験は、軍事優先の威力で国と民族の自主権と社会主義を守護し、朝鮮半島と周辺地域の平和と安全を保障する上に寄与するであろう。
 http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20090525-OYT1T00533.htm?from=rss&ref=newsrss

 そして下記(B)が、1933年国際連盟脱退時の、日本政府の通告文です。その2年前に起こった満州事変のキッカケとなった鉄道爆破事件(柳条湖事件)を、日本軍の仕業と結論付けたリットン調査団の報告に抗議して、当時の外相・松岡洋右が、「連盟よさらば」の捨て台詞を残して、連盟脱退に踏み切った時のものです。往時の原文は余りにも長文の上に、読みにくい文語体なので、下記の口語訳の方を転載しておきます。

(B)1933年2月24日,国際連盟臨時総会が採択したリットン報告書は,日本帝国が東洋平和を確保する以外はなんら他意ないという考えを顧慮しないだけでなく,事実認定と結論づけでも大きな誤りをしている。なかでも9月18日の柳条湖事件当時およびその後の日本軍の軍事行動を自衛権の発動でないと誤った判断をし,また柳条湖事件前の緊張状態や事後の事態の悪化が支那側に全責任があることを見過ごし,その結果東洋の政情に新しい紛争の原因を作り出している。他方では満州国成立の真相を無視し,同国を承認した日本の立場を否定し,東洋の政情安定の基礎を破壊しようとするものである。
 http://www2.ocn.ne.jp/~hiroseki/shiryou/dattai.html

 ちなみに、当時の原文、ならびに松岡洋右・外相による連盟脱退演説の全文は、下記を参照の事。特に外相演説の方は、日本の置かれた立場を殉教者イエス・キリストに準えての「名演説」だったそうです。

・国際連盟脱退通告文(大正・昭和・平成事件簿)
 http://homepage1.nifty.com/zpe60314/jikenbo16.htm
・松岡洋右演説「十字架上の日本」(日本近代史勉強メモ)
 http://seagull07.blog51.fc2.com/blog-entry-55.html
・軍歌になっていた松岡洋右「連盟よさらば」(きまぐれな日々)
 http://caprice.blog63.fc2.com/?mode=m&no=110

 実は、私が前記(A)の報を聞いて、真っ先に頭に思い浮かんだのが、この(B)の史実でした。そして、実際に上記(A)(B)2つの文章を読み比べてみて、論理構成が余りにも似通っている事に、改めて気付かされました。

 まず第一に、どちらも「旧秩序打破」の立場に立っている点が、非常に似通っています。(A)では米・露・中・英・仏5カ国による核兵器の独占を、(B)では欧米諸国によるアジアの植民地統治を、それぞれ論い、そこからの「解放」を主張している点について。
 そして第二に、それら旧秩序に対抗する為に、それぞれ自衛権を主張している点が、目を引きます。曰く「自衛的核抑止力の強化」(A)や「自衛権の発動」(B)という様に。
 しかし第三に、「旧秩序打破」と言いながら、そこからまた別の、より進んだ段階に移行するのでは決してなく、只管「自分たちにも旧秩序の分け前をよこせ」と言っているに過ぎない点についても、非常に似通っています。それは、「核独占打破」と言いながら、肝心の「核廃絶」には一切触れずに、単に「自国の核武装」のみに汲々としている(A)の立場にも、「欧米のアジア支配」を非難しながら、「帝国主義・植民地主義の廃絶」には一切触れずに、単に「自国の勢力圏拡大」のみに汲々としていた(B)の立場にも、両方共に言える事です。
 その結果として、第四に、その様なエゴイスティックな姿勢が、とうに国際世論からも見透かされ、次第に孤立状態に陥っている(いった)という点についても。

 つまり、(A)も(B)も、「旧秩序の非」を盛んに詰り、そしてその言い分にも一理あるが、しかし所詮は「奴隷が主人に取って代わろうとする復讐心」から出たものにしか過ぎない。「奴隷制度そのものの廃絶」を目指したものではなかったので、第三者から「そういうお前は一体どうやねん?」と突っ込まれたら、もうそこで終わり。そういう立場でしかない、という事です。
  
 この際敢えて言いますが、北朝鮮の主張にも「一分の理」があります。それは、米・露・中・英・仏の5大核保有国が、自国の膨大な核兵器や、インド・パキスタン・イスラエルの核保有には、頬かむりしたままで、何故、北朝鮮やイランの核保有ばかりが、槍玉に挙げられなければならないのか、という事です。
 それに対して、「米・露・インドなどは民主主義国だが、北朝鮮は独裁国だから」というのは、理由になりません。国家の本質においては、前者も後者も、そう変わるものではありません。イラク戦争やパレスチナ・ガザの虐殺を行ったのも、一応「民主国家」と認知されている国々です。

 北朝鮮の核実験を非難する以上は、どんな国に対しても核廃絶を主張しなければ、凡そ説得力ある議論にはなりません。「米国の核は汚いがソ連の核は清い」なんて事は、実際は在り得ませんでした。勿論、その逆も在り得なかった事は、広島・長崎の例からも明らかです。「米ソどちらの核も汚かった」というのが、唯一の真実です。
 それを弁えずに、しかも、色々限界はあっても、今や当の米国大統領すら核廃絶を口にする様になった時代に、徒に「日本核武装」や「敵基地攻撃論」を主張した所で、逆に今度は日本が、世界から「北朝鮮と同類扱い」されるだけでしか無いのに、何故そんな事も分からないのだろうか。

・[CML 000101] 【転送】北朝鮮の核実験への抗議
 原水協・原水禁による抗議談話の紹介。
 http://list.jca.apc.org/public/cml/2009-May/000098.html
・オバマ核廃絶構想  被爆国日本が呼応すべき(長崎新聞・社説)
 http://www.nagasaki-np.co.jp/press/ronsetu/09/022.shtml
・一気に前進期待できず 広島から具体的提言を(広島平和研究所)
 http://serv.peace.hiroshima-cu.ac.jp/fkiroku/article49.htm
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする