書こうかどうか迷いましたが、やっぱり書く事にします。私の兄貴の事について。
以前にも一度だけ書いた事がありますが(2008-02-22 12:49:11コメント「ネオコンの兄貴」参照)、その兄貴とは、ここ数年来、政治的な議論になると悉く私と意見が衝突して、お互い気まずい思いをする事がしばしばでした。じゃあ、「そんな政治的な話なぞしなければ良いのに」と思うでしょうが、私は全然その気が無いのに、いつも兄貴の方から議論を吹っかけてくるので、もう頭にきているのです。「適当に受け流せば良いじゃないか」と思いつつも、私からすれば兄の意見が余りにもトンデモなので、ついつい私もムキになって応戦してしまい、後で互いに気まずい思いになるのです。
その前に、兄と私の関係について、もう少し詳しく説明しておきます。歳は50歳代後半で、私とは10歳近く歳が離れています。大学卒業後は、10年ほど地方銀行に勤めた後、脱サラしてビデオ屋を始めました。そして、それと同時に嫁さんをもらい、私の実家から独立しました。今も嫁さんと二人で住んでいます。子どもはいません。
ビデオ屋は、当初は羽振りが良かったものの、2000年前後から次第にネットに押され、商売に陰りが出てきました。今まで雇っていた二人のバイトも辞めさせて、代わりに私が、バイト終了後の空き時間に、自分の収入補填も兼ねて、店を手伝うようになります。今は、もう後述するように、そのビデオ屋も店終いしてしまいましたが。
最初は政治絡みの話題をする事もなく、普通に兄貴の店を手伝っていました。しかし、2003年のイラク戦争開戦前後の頃から、兄の「政治的異変」が、次第に目につくようになりました。兄は、事ある毎に、当時のフセイン・イラク大統領の悪口を言うようになりました。尤も、フセインは当時から「悪の枢軸」呼ばわりされていた人物ですから、悪口を言っても一向に不思議ではないのですが、その嫌い方が、私から見たら、とても尋常ではなかったのです。世界の独裁者は他にもおり、それどころか、イラク開戦に踏み切った米国のブッシュも覇権主義の権化のように思われていたにも関わらず、明けても暮れてもフセインだけを、まるで今の金正日みたいに論っていたのです。
私は、当時既に今のブログの前身HPで、イラク戦争については反ブッシュの立場に立っていたので、しょっちゅう兄貴と衝突していました。
次に兄と衝突したのは、橋下徹が初当選した2008年大阪府知事選挙の時でした。その時には、兄は既に熱狂的な小泉・橋下信者に変貌していました。小泉の「自民党をぶっ壊す」発言や両者の「脱官僚」姿勢に心酔していたのです。私が、「小泉改革や郵政民営化なんてニセ改革にしか過ぎない」「今までの土建屋利権から米国のハゲタカファンド利権に乗り換えただけじゃないか」と、幾ら口を酸っぱくして言っても、一向に聞く耳を持ちませんでした。
また、その頃から、「嫌韓流」漫画や「新しい歴史教科書をつくる会」関連本を読み始め、北朝鮮・拉致問題についても異様な関心を示すようになりました。何が異様かというと、事あるごとに、私に向かって「北朝鮮や金正日についてどう思う?あんな悪い奴は他にいないだろう」と、しきりに言ってくるようになったのです。
既に私も、前身HPや今のブログで金正日を批判していたので、「反・金正日」については異論はないものの、それでも、余りにも「北朝鮮の脅威」ばかりを言い募り、それと対を為すブッシュのアフガン・イラク侵略や、それに無批判に追随する当時の小泉外交については何も言及しない、兄の思想的偏りぶりには、流石について行けませんでした。
その一方で、拉致被害者や北朝鮮人民の「人権」を云々するくせに、例えば橋下徹が提唱する「関西州」「道州制」については、私が「あれは『平成大合併』の都道府県版ともいうべきもので、大都市圏による地方切捨てでしかない」「切り捨てられるのは地方だけでない。大都市圏に住む低所得者層も、福祉・教育予算を削減され、『ヒルズ族』による都市再開発の踏み台にされるだけだ」と言うと、何と「離島や山間部なんて元々人の住む所ではない」「農業も外国から安い農産物を買い叩けばそれで良い」という意味の事を言ってのけたのです。言い方は流石にそこまで露骨ではありませんでしたが、言っている事はそういう内容でした。そんな「弱肉強食論者」が、よくも北朝鮮・拉致問題についてだけ「同情」出来るものだと、呆れたのを覚えています。
そこで、兄に対して「ネットウヨクみたいな事を言うな」と言ったら、「わしはあくまでも反自民だ、ムチャクチャ言うな」と、えらい反発されたのを覚えています。しかし、当然ながら「反米」や「反自民」にも色々あります。「アフガン・イラク反戦、憲法改悪・派遣切り反対、ジェンダーフリー要求」も「反自民」なら、「第二次大戦は米国の陰謀」「日本核武装・更なる規制緩和推進、女系天皇反対」という「後ろ向きの反米・反自民」もあります。「反米・反自民」と「ネットウヨクではない」事とは、全く別問題なのですが。もう反論するのもアホらしくて、そこまでいちいち言いませんでしたが。
確かに、兄はウヨク一色ではありません。元々兄貴は昔も今もノンポリです。寧ろ、昔はどちらかと言えば革新系の意見に近かった。ビデオ屋時代も民商に加入し、辻元清美を支持してピースボートのポスターを店の横に張ったりしていました。「日の丸・君が代」強制にもどちらかと言うと批判的で、北朝鮮についても、最初の頃は「戦前の日本と同じだ」と言って批判していました。
それが、この前の日曜日に所用で兄貴の家に行った時も、ちょうど例の「やしきたかじん」のバカウヨTV番組を見ていて、また暫くするといきなり「中国は侵略国家」で「日本に攻めてくるかも知れない」だの、「このままでは第三次世界大戦になるかも知れない」「今はもう食うか食われるかだ」「もっと日米同盟を強化しなければいけない」だの言って来た。
それに対して、私も「経済成長の真っ最中で、米国債も世界で一番買っている中国が、いきなりそんな、自分で自分の首を絞めるような真似なぞする筈ないだろう。もう少し冷静に物を考えられないか」「沖縄・普天間の問題にしても、戦時中に米軍が勝手に村や農地を潰して、強盗みたいにして作った米軍基地を、たった一箇所返せという事すら言えないとは、幾ら同盟国でもおかしいじゃないか」と言い返し、私も兄の事を「ネオコン」(新保守主義者=覇権主義・軍国主義の米国保守派)呼ばわりして、また互いに気まずい雰囲気になってしまいました。私も、そんな事は言いたくはなかったのですが、あそこまで言われると、黙ってはいられなかった。
しかし、何故、兄貴はここまで変わってしまったのかね。実は私、兄貴には、自分がこのブログをやっている事は、今に至るまで一切喋っていませんし、今後も喋るつもりは一切ありません。下手に喋って荒らされでもしたら、適いませんから。もう漫画みたいな話ですが、残念ながら実話です。
以下、考えられる要因(可能性)をいくつか挙げてみました。その中でも、まだ(3)の場合なら良いのですが・・・。若しこれに補足する点やアドバイスなどがあれば、コメント投稿やメールでも構いませんので、お願いします。
(1)最悪、「在特会」や勝共連合(統一教会)みたいなものに絡み取られてしまった可能性がある。まさかとは思うが、全く在り得ない訳ではない。現に「嫌韓流」本が本棚にあったのだから。まだ壷や経典の類がないだけでもマシなのかも知れないが。
(2)自営業としての物の見方も、微妙に影響しているのかも知れない。自営業(事業家・資本家)というのは、ある意味「弱肉強食」の競争社会。そこでは「団結して搾取と闘う」よりも「自分だけ這い上がろう」という考えになりがち。そのネオリベ(新自由主義=弱肉強食資本主義)的な発想が、歪んだ排外主義と結びつくと、「北朝鮮・中国なんかに負けてなるものか」という形になる。ネオリベの橋下徹が国粋主義的発言を繰り返し、右翼の石原慎太郎も経済弱者や少数派を露骨に差別するのが、その何よりの証拠だ。「北朝鮮・拉致問題」も、彼らが云々する場合は、自らの差別心を誤魔化す為の口実として使っているに過ぎない。
(3)カルトに染まったのでも、新自由主義に絡み取られた訳でもない。兄貴は、今はビデオ屋も畳んで、別の自営業と、ビデオ屋跡に入ったテナントからの家賃収入で、何とか食ってはいけている。しかし、過去の成功体験と現状との落差に、たとえ無意識ではあっても、心の中に忸怩たる思いを今でも抱えており、その憂さを「北朝鮮・中国叩き」で晴らしているのではないか。人間関係も、今の自営業中心の、狭いものになっている可能性がある。若しそうならば、もっと空き時間に可能な範囲でバイトをするなり、北朝鮮難民救援活動に参加するなりして(但し、ネオナチ・勝共・靖国右翼みたいな「変なトコ」以外で)、一刻も早く「北朝鮮オタク」状態からの脱却を図る必要がある。
以前にも一度だけ書いた事がありますが(2008-02-22 12:49:11コメント「ネオコンの兄貴」参照)、その兄貴とは、ここ数年来、政治的な議論になると悉く私と意見が衝突して、お互い気まずい思いをする事がしばしばでした。じゃあ、「そんな政治的な話なぞしなければ良いのに」と思うでしょうが、私は全然その気が無いのに、いつも兄貴の方から議論を吹っかけてくるので、もう頭にきているのです。「適当に受け流せば良いじゃないか」と思いつつも、私からすれば兄の意見が余りにもトンデモなので、ついつい私もムキになって応戦してしまい、後で互いに気まずい思いになるのです。
その前に、兄と私の関係について、もう少し詳しく説明しておきます。歳は50歳代後半で、私とは10歳近く歳が離れています。大学卒業後は、10年ほど地方銀行に勤めた後、脱サラしてビデオ屋を始めました。そして、それと同時に嫁さんをもらい、私の実家から独立しました。今も嫁さんと二人で住んでいます。子どもはいません。
ビデオ屋は、当初は羽振りが良かったものの、2000年前後から次第にネットに押され、商売に陰りが出てきました。今まで雇っていた二人のバイトも辞めさせて、代わりに私が、バイト終了後の空き時間に、自分の収入補填も兼ねて、店を手伝うようになります。今は、もう後述するように、そのビデオ屋も店終いしてしまいましたが。
最初は政治絡みの話題をする事もなく、普通に兄貴の店を手伝っていました。しかし、2003年のイラク戦争開戦前後の頃から、兄の「政治的異変」が、次第に目につくようになりました。兄は、事ある毎に、当時のフセイン・イラク大統領の悪口を言うようになりました。尤も、フセインは当時から「悪の枢軸」呼ばわりされていた人物ですから、悪口を言っても一向に不思議ではないのですが、その嫌い方が、私から見たら、とても尋常ではなかったのです。世界の独裁者は他にもおり、それどころか、イラク開戦に踏み切った米国のブッシュも覇権主義の権化のように思われていたにも関わらず、明けても暮れてもフセインだけを、まるで今の金正日みたいに論っていたのです。
私は、当時既に今のブログの前身HPで、イラク戦争については反ブッシュの立場に立っていたので、しょっちゅう兄貴と衝突していました。
次に兄と衝突したのは、橋下徹が初当選した2008年大阪府知事選挙の時でした。その時には、兄は既に熱狂的な小泉・橋下信者に変貌していました。小泉の「自民党をぶっ壊す」発言や両者の「脱官僚」姿勢に心酔していたのです。私が、「小泉改革や郵政民営化なんてニセ改革にしか過ぎない」「今までの土建屋利権から米国のハゲタカファンド利権に乗り換えただけじゃないか」と、幾ら口を酸っぱくして言っても、一向に聞く耳を持ちませんでした。
また、その頃から、「嫌韓流」漫画や「新しい歴史教科書をつくる会」関連本を読み始め、北朝鮮・拉致問題についても異様な関心を示すようになりました。何が異様かというと、事あるごとに、私に向かって「北朝鮮や金正日についてどう思う?あんな悪い奴は他にいないだろう」と、しきりに言ってくるようになったのです。
既に私も、前身HPや今のブログで金正日を批判していたので、「反・金正日」については異論はないものの、それでも、余りにも「北朝鮮の脅威」ばかりを言い募り、それと対を為すブッシュのアフガン・イラク侵略や、それに無批判に追随する当時の小泉外交については何も言及しない、兄の思想的偏りぶりには、流石について行けませんでした。
その一方で、拉致被害者や北朝鮮人民の「人権」を云々するくせに、例えば橋下徹が提唱する「関西州」「道州制」については、私が「あれは『平成大合併』の都道府県版ともいうべきもので、大都市圏による地方切捨てでしかない」「切り捨てられるのは地方だけでない。大都市圏に住む低所得者層も、福祉・教育予算を削減され、『ヒルズ族』による都市再開発の踏み台にされるだけだ」と言うと、何と「離島や山間部なんて元々人の住む所ではない」「農業も外国から安い農産物を買い叩けばそれで良い」という意味の事を言ってのけたのです。言い方は流石にそこまで露骨ではありませんでしたが、言っている事はそういう内容でした。そんな「弱肉強食論者」が、よくも北朝鮮・拉致問題についてだけ「同情」出来るものだと、呆れたのを覚えています。
そこで、兄に対して「ネットウヨクみたいな事を言うな」と言ったら、「わしはあくまでも反自民だ、ムチャクチャ言うな」と、えらい反発されたのを覚えています。しかし、当然ながら「反米」や「反自民」にも色々あります。「アフガン・イラク反戦、憲法改悪・派遣切り反対、ジェンダーフリー要求」も「反自民」なら、「第二次大戦は米国の陰謀」「日本核武装・更なる規制緩和推進、女系天皇反対」という「後ろ向きの反米・反自民」もあります。「反米・反自民」と「ネットウヨクではない」事とは、全く別問題なのですが。もう反論するのもアホらしくて、そこまでいちいち言いませんでしたが。
確かに、兄はウヨク一色ではありません。元々兄貴は昔も今もノンポリです。寧ろ、昔はどちらかと言えば革新系の意見に近かった。ビデオ屋時代も民商に加入し、辻元清美を支持してピースボートのポスターを店の横に張ったりしていました。「日の丸・君が代」強制にもどちらかと言うと批判的で、北朝鮮についても、最初の頃は「戦前の日本と同じだ」と言って批判していました。
それが、この前の日曜日に所用で兄貴の家に行った時も、ちょうど例の「やしきたかじん」のバカウヨTV番組を見ていて、また暫くするといきなり「中国は侵略国家」で「日本に攻めてくるかも知れない」だの、「このままでは第三次世界大戦になるかも知れない」「今はもう食うか食われるかだ」「もっと日米同盟を強化しなければいけない」だの言って来た。
それに対して、私も「経済成長の真っ最中で、米国債も世界で一番買っている中国が、いきなりそんな、自分で自分の首を絞めるような真似なぞする筈ないだろう。もう少し冷静に物を考えられないか」「沖縄・普天間の問題にしても、戦時中に米軍が勝手に村や農地を潰して、強盗みたいにして作った米軍基地を、たった一箇所返せという事すら言えないとは、幾ら同盟国でもおかしいじゃないか」と言い返し、私も兄の事を「ネオコン」(新保守主義者=覇権主義・軍国主義の米国保守派)呼ばわりして、また互いに気まずい雰囲気になってしまいました。私も、そんな事は言いたくはなかったのですが、あそこまで言われると、黙ってはいられなかった。
しかし、何故、兄貴はここまで変わってしまったのかね。実は私、兄貴には、自分がこのブログをやっている事は、今に至るまで一切喋っていませんし、今後も喋るつもりは一切ありません。下手に喋って荒らされでもしたら、適いませんから。もう漫画みたいな話ですが、残念ながら実話です。
以下、考えられる要因(可能性)をいくつか挙げてみました。その中でも、まだ(3)の場合なら良いのですが・・・。若しこれに補足する点やアドバイスなどがあれば、コメント投稿やメールでも構いませんので、お願いします。
(1)最悪、「在特会」や勝共連合(統一教会)みたいなものに絡み取られてしまった可能性がある。まさかとは思うが、全く在り得ない訳ではない。現に「嫌韓流」本が本棚にあったのだから。まだ壷や経典の類がないだけでもマシなのかも知れないが。
(2)自営業としての物の見方も、微妙に影響しているのかも知れない。自営業(事業家・資本家)というのは、ある意味「弱肉強食」の競争社会。そこでは「団結して搾取と闘う」よりも「自分だけ這い上がろう」という考えになりがち。そのネオリベ(新自由主義=弱肉強食資本主義)的な発想が、歪んだ排外主義と結びつくと、「北朝鮮・中国なんかに負けてなるものか」という形になる。ネオリベの橋下徹が国粋主義的発言を繰り返し、右翼の石原慎太郎も経済弱者や少数派を露骨に差別するのが、その何よりの証拠だ。「北朝鮮・拉致問題」も、彼らが云々する場合は、自らの差別心を誤魔化す為の口実として使っているに過ぎない。
(3)カルトに染まったのでも、新自由主義に絡み取られた訳でもない。兄貴は、今はビデオ屋も畳んで、別の自営業と、ビデオ屋跡に入ったテナントからの家賃収入で、何とか食ってはいけている。しかし、過去の成功体験と現状との落差に、たとえ無意識ではあっても、心の中に忸怩たる思いを今でも抱えており、その憂さを「北朝鮮・中国叩き」で晴らしているのではないか。人間関係も、今の自営業中心の、狭いものになっている可能性がある。若しそうならば、もっと空き時間に可能な範囲でバイトをするなり、北朝鮮難民救援活動に参加するなりして(但し、ネオナチ・勝共・靖国右翼みたいな「変なトコ」以外で)、一刻も早く「北朝鮮オタク」状態からの脱却を図る必要がある。
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橋下「大阪改革」の正体一ノ宮 美成,グループ・K21講談社このアイテムの詳細を見る |