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カード破産を題材に取り上げた上記小説の、作中に登場する債務者救済に奔走する弁護士は宇都宮氏をモデルにしたと言われている。
ブログ更新が滞っていた中で大事な記事を紹介し忘れていました。下記の産経記事がその大事な記事です。私が産経の記事を褒めるのは多分これが最初で最後でしょう。
記事の内容は日弁連会長で今度の都知事選挙に出馬された宇都宮健児さんの半生記です。弁護士と言えばとかく人権擁護のイメージばかりが先行しがちですが、基本的には他の自営業と同じで、食って行けなければ話にならない。その点は宇都宮さんとは対照的な橋下徹も同じです。苦学して弁護士になれた点も二人とも共通している。
但し、その後の人生の歩みは全然違った。橋下は企業に上手く取り入り労務屋として権力への道を歩み始めたのに対し、そういうズルが出来ない宇都宮さんはずっとうだつの上がらぬイソ弁のまま。手がける仕事も割の合わない債務整理ばかり。しかし、人生何が幸いするか分からない。橋下から見たら負け犬にしか過ぎない宇都宮さんが、やがて債務整理のプロとしてサラ金の悪を追いつめる先頭に。
そういう意味では、今度の東京都知事選挙は、正に「総弱者対総強者」「99%と1%」の闘いになり得るし、絶対にそうしなければなりません。そうする事で初めて、正義・人権・公平といった価値観を再び政治の世界に取戻し、橋下・石原流の弱肉強食・拝金主義や「勝てば何しても許される」と言わんばかりの今の政治の流れを変える端緒にもなり得るのです。
数年前に「派遣村」や「蟹工船」が一時期注目を集めた頃、「希望は戦争」という言説が論壇でちょっとしたブームになりました。もはや弱者が浮かび上がるには戦争でも起こるしかないと。そんな一か八かのロシアンルーレットに賭けるより、もっと確実に世の中を変える希望がある事を示さなければならない。寧ろ「希望は都知事選」だと。
また、かつて「革新の灯台」と評された故・蜷川虎三京都府知事は、「日本の夜明けは京都から」という言葉を残しました。今正に東京こそが日本の夜明けを象徴するものではないでしょうか。
以上、前置きが長くなりましたが、唯一読むに値する産経記事を以下に紹介しておきます。
(以下引用)
日弁連会長の宇都宮健児さん 「人間は他人のためにがんばれる」 2度もクビに
独立できず…の日々
司法修習を一緒に受けた同期たちが、次々と自分の事務所を開いていく。弁護士はイソ弁(居候の雇われ弁護士)時代を経て3~5年で独立していくのが普通だった。でも、自分は…。
東大法学部に在学中、司法試験に一発合格。貧しい実家を助けるために中退し、24歳の若さで弁護士になったエリートは出だしからつまずいた。独立には中小企業の経営者と懇意になり、顧問弁護料を確保する“営業”が求められる。しかし、人付き合いが苦手な青年はどうしても自分の売り込みができないのだ。
結局、イソ弁時代は12年にもわたった。真っ白なスケジュール帳を脇に置き、喫茶店で時間をつぶすことも。「向いていないのでは」と悩む日々が続いた。
1つ目の事務所は8年目でクビに。弁護士会の斡旋(あっせん)で何とか次の事務所に入ることができたが、状況はほとんど同じだった。
ただ、少しだけ変化があった。初めて名指しで依頼が舞い込んだのだ。弁護士会から紹介された多重債務者だった。「暇そうに見えたのでは(笑)。依頼者がいるだけでありがたかったので喜んで引き受けた」
脅しに屈せず
昭和50年代初頭は現在と異なり、出資法の上限金利が年100%を超え、業者の登録制や取り立て規制もない。消費者金融(サラ金)業者の「あほ、ばか、死ね、ぶっ殺すぞ」という脅迫めいた取り立てが横行した。しかし、債務整理の方法が確立しておらず、依頼者から費用を受け取れる保証もないため引き受ける弁護士は珍しかった。
やり方が分からないため、依頼者と一緒に罵声を浴びせられながら業者を回った。業者が暴力団風の男を連れて乗り込んできたことも。「ドス(刃物)をちらつかせながら手を引けって。でも、ここでなめられたら負けだと」。どんな嫌がらせにも屈しなかった。
このため、自殺や夜逃げ寸前まで追いつめられた人の依頼が増え、いつしか休む間もないほどに。仕事は正直きつかったが、依頼者からは「死なずにすんだ」「家族そろって静かな正月を迎えられた」と感謝の言葉が寄せられる。「自分が盾になることで命が救える」。そう思うと、自然と活力がわいてきた。
「多重債務者の借金はほとんどが生活のためのもの。大分県の開拓農家で貧しかった両親の顔と、生活の苦労が染みついた依頼者の顔が重なり、なんとしても助けたいと思った」
そして、あるとき有効な債務整理の方法に気づく。「利息制限法を活用すれば…」。それからは150万円の借金を数万円に減額させることに成功。裁判でも次々と勝利を収めた。
社会的に認知され
仕事は軌道に乗り始めたが、またも事務所からはクビを宣告される。「(みすぼらしい)多重債務者が集まっては体裁が悪い」が理由だった。
「全人格を否定されるような屈辱だった」が、落ち込んでいるひまはない。多重債務に苦しむ人のためには、何とかしなければ。独立しか選択はなかった。
昭和58年、東京・銀座に事務所を設立。すでに36歳になっていた。顧問先の会社が全くない中、ビル3階にあるわずか8坪の部屋でのスタートだった。
しかし、追い風が吹く。同じ年に貸金業規制法(現在の貸金業法)が成立、施行され、「サラ金地獄からの脱出法」という初の著書を出版したことで依頼者がさらに増加。多重債務問題の専門家と認知され、社会的反響の大きな事件の被害者弁護を次々と引き受けた。そして、法の不備と業者の悪(あく)辣(らつ)さをメディアを通じて訴えることで「借り手責任」と考えがちな社会の見方をも変え、現代に続く消費者保護の流れを作っていった。
常に心の底に流れるのは、貧しい人や弱い人の味方でいたいという思いだ。「イソ弁時代の挫折がなかったら、他の弁護士と同様に要領よく独立していたら、今の自分はなかった」
もし、他の弁護士が手を出さなかった多重債務問題を、「自分にもできない」と断っていたら…。誰もが敬遠したがることの中から、自分の“適職”が見つかるのだから、人生はおもしろい。
そして、こう思うのだという。「人間というのは、他人のためにがんばれる生き物だ」と。
(以上引用)
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110220/bdy11022007010000-n1.htm
その宇都宮氏と対極の橋下維新の会は、産経系列のスポーツ紙からも「橋下維新、もうボロボロ 否定したタレント候補擁立、資金難で公認辞退者も…」と揶揄される体たらくで。今を時めく筈の維新も、化けの皮がはがれるのは意外と早いのでは。そうやって自民と維新が貶し合いながら共に沈んでくれれば良い。
http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20121123/plt1211231441006-n1.htm
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通勤途上に維新の会の大阪府議が駅頭でビラを配っていた。そのビラを見てブチ切れた。今日の若者は職業観が乏しく根気がないのだと。そして対談相手の府庁役人と若者のコミュニケーション能力欠如が云々と言いたい放題。ワタミに過労死させられた女の子が聞いたらどう思うよ。マジでこの府議ブチ殺してやろうかと思った。 (11月21日、最左写真)
維新の公約変転を自民・民主が「野合・迎合」と批判。橋下がそれに対して「お前らも同じ」と反論。確かに「お前らも同じ」というのはその通りだが、しかし維新も自民・民主と変わらずでは、一体何の為に選挙で争うのか?要は維新も自民・民主も只の利権争いに明け暮れているだけ。それを何が維新の志士じゃこのボケが。 (11月22日)
反撃予告。ブログ更新に一週間ほど間が空いてしまったが、それには訳があって、実は今野晴貴「ブラック企業」(文春新書)の読了を優先していたから。この書評の中で先日話題にした維新府議野郎の自己責任論を徹底的に粉砕してやる。 (11月23日)
小沢・亀井等をどこまで信用出来るか。元自民で元祖ネオリベの小沢や元青嵐会で最近まで石原と昵懇の仲だった亀井なぞ100%信頼出来ない事は元より承知。しかし現下で橋下・石原に対抗するには彼らとも脱原発・反TPP等で共闘が必要なのも分かる。しかし幾ら何でも今も橋下亜流で歴史修正主義の河村たかしは論外だろう。 (11月24日)
昨日の道頓堀や以前の心斎橋での殺傷事件や愛知の信金立て籠り。マスコミは相変わらず上っ面の報道しかしないが、格差社会下での閉塞感が裏にある事は間違いない。つまりかつての秋葉原の事件と同じだ。その矛先はいつかブラック企業やそれを支持する自民・民主や橋下らにも向けられるだろう。今の中国の反日デモの様に。 (11月24日)
今日は日曜で私も休日だが忙しい日だ。特に午前中は分刻み。7時半に起きて朝食後8時から親父と自宅の清掃、9時前から近所の知人に頼まれていた共産党ビラの残りを全戸配布。10時半から予約の鍼灸治療。昼食後は難波に出てジャパンカップの馬券買って、京橋駅前のAIBOのイベントに顔出し。この合間にブログ更新の予定。 (7時間前)
写真がその全戸配布ビラ。これを近所の撒き残した210世帯に先程撒いて来た所だ。対象地域は古くからの住宅街で、高層マンションや文化住宅も散在。撒いてて感じるのはポストが広告チラシで溢れ反っている事。不景気だから逆に少しでも売ろうとするのだろう。こんな所にビラ撒いても誰も読まないのでは。一考の余地有り。 (6時間前、左から二番目写真)
ビラ配布は今でも必要。PC・携帯不所持の人もまだ結構いる。しかしこれだけチラシだらけだと、ありきたりのビラでは見向きもされず。一層の事、国政関連はHPで賄い、ビラではゴミ有料化等の地域の話題を主に取り上げては。こういう身近で切実な話題のビラなら、たとえポストがチラシだらけでも読んで貰えるのでは。 (4時間前)
昔みたいな中流社会で、情報源が新聞・テレビだけなら、ありきたりのビラでも読んで貰えただろう。しかし、これだけ世の中が世知辛くなると、そんな物読む余裕すらなくなる。貧乏人には天下国家よりも飯の確保の方がよほど切実。本当は原発もTPPもそんな切実な問題なのだが、それも身近な話題を普段から取り上げてこそ。 (3時間前)
共産党もそういう身近な問題を取り上げるが、最近は如何にも等閑。幾らゴミ有料化の欺瞞を突いても、議会レジュメ然とした市政ニュースでは、駅前で幾ら撒いても誰も読まない。あれだけ無定見な公明党が今も選挙で地盤を維持出来ているのも、彼らなりに学会信者の面倒を見ているから。昔は共産党もそんな党だった筈だが。 (2時間前)
確かに党員の高齢化等で昔程動けないし人材もいないのだろうが、有権者からすれば只の言い訳でしかない。仮に自分の職場で大リストラが吹き荒れ自分もその対象になっていたら、そんな他人事ではおれない筈だ。今でも自民・民主や新党よりは足腰は強いのだから、本気出せばもっとやれる筈。要はやる気の問題。 (2時間前)
ビラ配布地域には熱烈な維新信者の家もある。尖閣デモ参加が売りのネトウヨ市議ポスターが維新ポスターと並んで自宅前に掲示されている。そこには以前は幸福実現党のポスターが張り出されていた。今人気の維新も実態は斯くの如し。こんな政党が人気を集めてしまうのも、共産党が余りにも不甲斐ないからだ。 (1時間前)
携帯電池切れ間近なので今日の呟きはこれで最後に。予定通り京橋駅前のAIBO企画に飛入り参加するも、余りの聴衆の少なさに脱力。それでも負けじと、150字メッセージで維新府議の自己責任論に反撃。但しミクシイで呟いた「ブチ殺す」表現はもう少し穏当な物に。予定通り次号ブログ記事でこの維新府議を粉砕する。 (1時間前、右の写真二枚)