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人権不在の道徳教育なぞクソ食らえ

2014年02月25日 23時28分25秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権


 この4月から小中学校で道徳を正式な教科として教える事になったそうです。それまでも道徳の授業はありましたが、正式な教科として教えられていた訳ではありませんでした。だから正規の検定教科書もなく、「心のノート」という副読本を教科書代わりに使っていただけでした。その4月から使われる「私たちの道徳」という教科書の内容が文部科学省のHPでも公開されていますので、是非ご覧下さい。どれだけ下らない教科書かよく分かります。

 もう建前論のオンパレードです。例えば、小学校低学年の最初の単元で、「早寝早起き、朝ごはん」という事が強調されています。確かに「早起きは三文の得」と言います。夜更かしするよりも朝早く起きる方が、頭もシャキッとするし勉強も仕事もはかどります。朝ごはんも欠かさず食べた方が良いに決まっています。でも、今の格差社会の日本では、そんな事が出来る家庭ばかりではないのです。
 両親とも共働き、両親とも非正規雇用で、夫婦合わせても年収2~300万円行くか行かないかというカツカツの生活で、場合によっては母子家庭だったり、親が失業中だったり、生活保護受給者だったりで、学資も満足に払えない、学用品も満足に買えない親の子どもが、そんな生活なぞまともに送れる訳がないでしょうが。ひょっとしたら、両親の勤め先がブラック企業で、朝早くから夜遅くまで働かされていて、休日も出勤させられていたとしたらどうでしょう。下手すれば食事する時間すらなかったりする。「一体いつ寝てるの?」という状態の親子に対して、こんな建前論だけを振りかざされても、何の役にも立たないでしょうが。
 本当に本心から「早寝早起き、朝ごはん」が大事だと思うのであれば、ブラック企業で酷使されている親やその子供を、更に追いつめるような、こんな虐めみたいな事なぞせずに、ブラック企業的な働き方をなくす事の方が、はるかに実効性があるのではないですか。それこそが真に道徳的な態度ではないでしょうか。

 この教科書、一事が万事こんな調子です。「決まりを守れ」「節約しろ」「責任感を持って行動しろ」「自然環境を守れ」「自分の事ばかり考えるな」といったお説教ばかりが書かれていますが、そんな事幾ら俺らばかりに言われても、全然納得が行きません。
 反対意見がうっとうしいからと言って国会で秘密保護法の強行採決をしたり、自分の都合の良いように好き勝手に憲法解釈を変えたり、政治を私物化して気に入る結果が出るまで何度も出直し市長選挙をやったり、必要な病院や保育所は後回しにして無駄なダムや高速道路ばかり作ったり、JR福知山線事故や福島原発事故の責任も満足に取らずに、豪雪被害が出てるのに何も対策を取らずにオリンピック選手に電話して自分の人気取りばかり考えたり・・・そんな首相や大阪市長、JR・東電やブラック企業の経営者には何もおとがめなしで、何で俺らばかりに説教されなあかんねん。
 国民にばかり「きまりを守れ」とか偉そうに説教たれるなら、その前にブラック企業労働やサービス残業を止めさせろよ。そう思いません?こんな教科書、幾らアンケート形式の質問を取り入れる等して現代風に装っても、本質的には戦前の修身教科書と何ら変わりません。

 そして、偉人の伝記が一杯出て来るけど、その偉人の捉え方も非常に平板で一面的。例えば小学校高学年で習う野口英世。子供の時の大やけどで左手が不自由になったが、それに負けじと努力したお蔭で、立派な細菌学者になり、黄熱病の病原菌も突き止める事が出来ました。皆さんも野口英世博士を見習いましょうと。でも、それは野口英世の一面でしかありません。実際の野口英世は、貧しさや手が不自由だった事への反発から、放蕩癖(ほうとうへき=遊び癖)が身についてしまい、それを借金でまかなうようになってしまった。そういう一面もあるのです。本当に野口英世を理解するには、そういう一面も知った上で、何故彼が貧しさや手の障害に負けてしまったのか、放蕩癖から足を洗う為には何が必要だったのかまで理解しなければ、彼の本当の偉大さも分からないのではないですか。
 それを、政府が自分にとって都合の良い一面だけを取り上げて、それを国民支配の道具に利用するだけでは、余りにも野口英世も国民もバカにした態度だと思います。

 しかも、一つ一つの事象についての捉え方も、余りにも政府にとって都合の良い、非常に偏ったものでしかない。
 例えば自由についても、自由の何たるかも教えずに、いきなり「自由には責任を伴う」なんて言われても、大人の私ですら面食らってしまうのに、子供にその意味なんて理解できる筈がない。(小学校高学年用の単元「1.自分をみがいて―(3)自律的で責任ある行動を」)
 みんな今何気なしに当たり前の様に使っている「自由、平等、平和、人権、民主主義」と言った言葉も、ごく普通に使えるようになったのは戦後になってからでしょうが。確かに戦前でも、そういう言葉はあったし、選挙や議会もありました。でも、みんな実際はおっかなびっくり使っていたのではないでしょうか。だって、「神」である天皇を自由に批判する事なんて出来なかったのだから。戦争反対や共産主義なぞ主張しようものなら即ブタ箱行き、下手すれば死刑にされた時代です。
 それに、当時は労働基準法も最低賃金制度も生活保護も奨学金制度もありませんでした。婦人参政権なんて認められていなかったし、労働者のストライキ権も認められていなかった。アジア・アフリカ諸国の大半も大国の植民地として搾取されていた。
 そんな中から、多くの犠牲を払って、ようやく今の状態まで持ってきたのです。自由も平等も、まだまだ十分ではないけれど。その大切さをまず教える方が先でしょう。それを先にきっちり教えてこそ初めて、「自分の権利を守ると同時に、他人の権利も尊重しなければならない」という事も理解できるのに。
 その最も肝心な事をすっ飛ばして、いきなり「自由には責任を伴う」なんて言われても、「はあっ?」としか言いようがないでしょう。これでは教える順序がまるであべこべです。

 何故こんな本末転倒がまかり通るのか。政府が、幾ら口先だけ「自由、平和、民主主義を守る」と言っても、本音ではそれを疎ましく思っているからです。だから、一応それらは認めるけれど、いざ国民がそれらの権利を行使しようとすると、「自由には責任が伴う」とか何とか言って脅しに出て、出来るだけそれらを行使させないようにしているのです。「自由や権利を尊重する」と口先では言いながら、実際は国民の事を奴隷か何かのようにしか思っていないからです。
 そうでなければ、こんな事は言わないし、そんな事ばかり書いた教科書で道徳の授業なぞしたりしません。偉人の伝記も、こんな当たり障りのない(実はものすごく政府にとって都合の良い一面的な)描き方、取り上げ方なぞはしません。マザーテレサやオリンピック選手や宇宙飛行士だけでなく、田中正造とか、そういう時の権力に歯向かってでも弱い者の人権を守った人物も、もっと分け隔てなく取り上げる筈です。

 でも、こんなクソみたいな道徳の教科書で、幾ら「クラスから虐めを無くしましょう」なんて教えた所で、絶対に虐めはなくなりません。逆にますます陰湿化するだけです。
 だって、教師自ら先頭に立って、「建前と本音の使い分け」をしているのですから。これだけブラック企業的な働き方が蔓延しているのに、労働基準法の知識もまともに教えず、バイトにも有給休暇の権利がある事すらまともに教えずに、幾ら口先だけ「自由、平和、人権を尊重する」と言われても、誰がまともに信用するか。実際には自由も平和も人権も民主主義も全部「有名無実化」しようと企んでいるくせに。「建前と本音の使い分け」「ウソも方便」「面従腹背」がますます酷くなるだけです。
 秋葉原の無差別殺傷事件やアクりフーズの農薬混入事件のような事が全国各地で頻発し、毎年3万人も自殺者が出ているのが、その何よりの証です。こんなクソみたいな道徳教育やっていたら、最後には子供から思いっきり復讐されますよ。この際はっきり言うといたるわ。それが嫌なら、こんなクソみたいな教育なぞ即刻止めて、もっと国民の人権を尊重する、民主的な政治や教育をすべきです。豪雪被害を見捨てながら人間の絆を説いたり、原発を推進しながら自然保護を説くようなエセ道徳教育なぞ即刻中止して。
コメント (1)
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