ひょんな事から「雨宮の迷走ニュース」というブログの存在を知りました。このブログを書いている雨宮紫苑(あまみや・しおん)さんは、まだ20代の女性で、日本の学校生活や職場環境に馴染めず、数年前にドイツに渡り、そこでずっとフリーライターをしています。このブログも2015年から書き始めたのだそうです。そこに書かれている日本人や日本社会への感想が、私がずっと感じていた事と余りにもよく似ているので、私のブログでも取り上げる事にしました。たとえば次の記事。
日本人の私が、どうしても受け入れられなかった日本文化5つがこれだ
1. 正しいことを言っても怒られる
2. 議論せずに「面倒くさい」扱いされる
3. 社交辞令も嫌い、空気読むのも無理
4. マイノリティ(少数派)になると妙に目立つ
5. こうするべきっていう規定路線
高校時代に文化祭で出し物の提案をしたら、提案内容の是非よりも「空気を読め」とかいう訳の分からない理由で、他のクラスメートから拒否された。学校でも職場でも、自分の意見を言うと嫌われる。それでも突っ張って自分の意見を押し通そうものなら、協調性のないワガママな人と頭ごなしに決めつけられる。一流大学に入って一流企業に就職してとか、「こうじゃなきゃだめ」っていう押し付けが余りにも目につく。それも「善意」で押し付けてくるから余計に始末が悪い…。
これ全部、今まで私が経験してきた事じゃないですか。今までのバイト生活の中でも、自分は丁寧な仕事を心がけているだけなのに、他人からは遅いと言われ、早いだけで雑な仕事を強いられたり。ある配属先では「検品なんかに時間かけるな、検品なんて適当に数合わせときゃあ好いのだ」とまで言われました。私が職場内で撒いた業務改善や職場環境の改善を呼びかけるビラ配布を会社に告げ口されたり。酷い場合は特に理由もなく、いきなり暴力を振るわれたり。親からも、小さい時に家庭内暴力を振るわれたり、生協に入ってからもパワハラの被害に遭ったり。私の人生は、ある意味、そんな理不尽な暴力や同調圧力との闘いの歴史でもありました。
夢はライターで生計を立てること。記事と希望を売りたい
これも今、漠然とではありますが、私が抱いている理想の生き方です。今までは人に合わせる事ばかり躾けられてきましたが、これからは、もうそういう時代じゃないでしょう。自分の個性がない人間は、かえって「没個性」として「使い捨ての駒」にされるだけです。日本人の美徳とされる「おもてなし」のサービスも、本当に相手を尊重する気持ちから出たものではなく、単に他人の目を気にしているだけじゃないですか。そうじゃなければ、なぜ「おもてなし」の国で、在日朝鮮人差別や生活保護叩きが横行するのですか?「このハゲー!」と暴言を吐く女が、与党の国会議員や政府の政務官になれるのですか?
そういうのを突き詰めていくと、どうしても、今の安倍政権やそれを盲目的に支持するネトウヨ日本人の国民性を問題にせざるを得ないのです。もちろん、安倍政権を倒したからと言って、それで日本が直ぐ良くなるとは私も全然思ってはいません。でも、森友・加計学園の問題一つとっても、あれだけ腐敗した政権がなぜ今も4割前後の国民から支持されているのか?それもこれも、全て「強い者には何も言えず、弱い者に当たるしか能のない」日本人の社畜・奴隷根性ゆえじゃないですか。例の井下が、バイトには偉そうに振る舞いながら、自分の上司や会社には何も言えないのも、全て、この悪しき国民性によるものじゃないですか。
私は、その日本人の社畜・奴隷根性を、ブログを通して少しづつ変えたいのです。それが、今はまだ漠然とした形ではありますが、それが今の私のライフワークです。今の非正規の仕事なんて、それを支える為の飯のタネでしかない。結婚の優先順位なんて、そのライフワークと比べたら、二の次、三の次でしかない。それを、やれ非正規や独身だからとか、そんな物差しでしか人間の値打ちを評価できない奴なぞ、私にとっては軽蔑の対象でしかない。
但し、最初ブログを始めたのは、そんな政治的な動機からではなく、単にパソコン教室で習ったインターネットの技術で自分も何かやってみたいと、単純に思っただけです。それが、ちょうどそのインターネットをやり始めた2001年に、ニューヨークの同時多発テロが起こり、米国がアフガン・イラク戦争にのめり込み、日本もそれに加担する中で、それに疑問を感じて立ち上げたのが、今の私のブログです。「アフガン・イラク・北朝鮮と日本」というブログの名称も、そこから来ています。その後、職場の問題や自分の生活上の問題も取り上げるようになる中で、今のブログのスタイルを確立していったのです。
嫌なことから逃げて何が悪い?耐えれば成長するとは限らない
日本人の勤勉さも、過ぎたるは何とやらです。変に勤勉だから、勤務先がブラック企業と分かっても、なかなか逃げ出す事が出来ず、逆に自分を更に追い詰めてしまい、過労死やうつ病を引き起こしてしまうのです。場合によっては逃げる事もアリです。私が生協を辞めたように。そりゃあ、皆でブラック企業と闘って解放を勝ち取るのに越した事はありませんが、皆が皆、革命家のように振る舞えるとは限りません。そうでない人の方が圧倒的に多いのですから、まずは逃げて、自分の安全な居場所を確保するのが先です。安全な居場所も確保できずに、革命なんて到底無理です。逃げて新天地に移る事で、かえって自分の新たな才能が発揮できる場合だってあります。
その一方で、「これはちょっと違うんではないか?」と思う記事も、いくつか見つかりました。たとえば次の記事。
夢がない若者に喝。ホリエモン「やりたくないってのは逃げてるだけ」
なるほど、言いたい事は分かります。雨宮さんが、そのホリエモンの物言いに感動するのも、雨宮さんの経歴を考えれば、充分納得は出来ます。でも、本当にそれだけで良いのでしょうか?果たして、ホリエモンが言うように「やりたいことがないっていう若者は実現できないと思って逃げてるだけ」でしょうか?
たとえば、奨学金制度でようやく大学を卒業できても、安かろう悪かろうの求人ばかりでは、せっかく就職しても、奨学金の利払いだけで給料が消えていきます。日本の奨学金制度は給付型ではなく貸与型が大半で、学資ローンが半ばサラ金と化してしまっているのが実態ですから。その中で、リストラに遭い失業したり、非正規雇用になってしまったら、もう何百万円もの奨学金の残債を返すのは無理です。世の中には、個人の努力だけではどうにもならない問題もあるのです。そんな事にまで個人の努力だけに原因を求め、「新垣結衣と結婚したかったら、したら好いじゃん?君なら出来るよ。最初からやろうともせずに諦めるのは怠慢」と言ってしまうのは、ちょっと酷じゃないかと思います。
1文字1円ライターの風評被害。スタートはみんな「ゼロ」からだよ
1文字1円のライター報酬を低賃金だの搾取だの騒ぐのは甘えだ。そもそもライター(作家、著述家)は自分の書いたものが売れてナンボの世界。プロ野球選手や競馬の騎手と同じ。サラリーマンなんかの労働者と同列には扱えない。8時間労働や最低賃金の概念なぞ最初から存在しない。誰でも最初はゼロからのスタート。稼ぎたければ自分で努力しなさい・・・。というのが、この記事の主張なのでしょう。
しかし、本当にそれだけの問題でしょうか?例えば、末端のアニメーターが1動画10円などの低単価で、1日15時間休みなしで動画を描き続けて、ようやく月10万稼げるかどうかの収入しか得られないのは、単に作品の良し悪しよりによるものではなく、プロデューサーや広告代理店が、巨大な資本力を背景に、暴利をむさぼる構造があるからです。「ブラック企業→そんなとこ、とっとと辞めたら良いじゃん?→むしろ、人に雇われるより雇う側になれば?→実力主義→弱肉強食で一体何が悪い」…という堂々巡りのままでは、奴隷が奴隷主に取って代わるだけで、奴隷制度もブラック企業も永遠に無くならないと思います。だからこそ、プロ野球選手も労働組合(プロ野球選手会)を作るようになったのではないでしょうか?
海外はもう特別じゃない。「日本を出る」ことを真剣に考えるべし
しかし、そんな賛同できない記事が一部にあったとしても、このブログを読むと勇気が湧いてくるのは確かです。もう私ぐらいの年齢になれば、どうしても悲観的に物事を考えてしまいがちです。自分では慎重に人生の事を考えているつもりでも、実際は単に臆病なだけだったりする。それに対して、このブログは、今までの私にはなかった視点を提供してくれて、非常に気付かされる事が多いです。
上記の記事もそうです。私もそうですが、日本みたいな島国にずっと住んでいて、外国旅行も一度もしたこともない人間にとっては、海外に移住する事自体が、何かとてつもない事のように思いがちです。そんな中で、「地続きのヨーロッパでは、家賃の安い南ドイツに住んで、賃金の高いスイスで働くというのが当たり前」なんて言われると、もうそれだけで元気づけられた気分になってしまいます。それもこれも、地方によってはドイツ語も公用語のスイスだからこそ、余計に可能なのでしょうが。でも、英語もドイツ語もフランス語も、元は同じラテン語だったのですから、だからこそ、ドイツでヒットラーが政権を取りフランスを占領した後も、ドゴールが海外でフランスの亡命政権を樹立し、国内でナチスに対するレジスタンス(抵抗)闘争を組織できたのでしょう。もし、安倍政権が今よりさらに狂暴化してナチスみたいになっても、もうそれで終わりではありません。ドゴールのように海外から抵抗運動を続け、再び日本に舞い戻ってくれば良いのです。今は、もうそれが昔よりもはるかに可能な時代になっています。現に、職場のベトナム人バイトも、日本語を思うように喋れない中でも何とかやって行けているじゃないですか。
日本人の私が、どうしても受け入れられなかった日本文化5つがこれだ
1. 正しいことを言っても怒られる
2. 議論せずに「面倒くさい」扱いされる
3. 社交辞令も嫌い、空気読むのも無理
4. マイノリティ(少数派)になると妙に目立つ
5. こうするべきっていう規定路線
高校時代に文化祭で出し物の提案をしたら、提案内容の是非よりも「空気を読め」とかいう訳の分からない理由で、他のクラスメートから拒否された。学校でも職場でも、自分の意見を言うと嫌われる。それでも突っ張って自分の意見を押し通そうものなら、協調性のないワガママな人と頭ごなしに決めつけられる。一流大学に入って一流企業に就職してとか、「こうじゃなきゃだめ」っていう押し付けが余りにも目につく。それも「善意」で押し付けてくるから余計に始末が悪い…。
これ全部、今まで私が経験してきた事じゃないですか。今までのバイト生活の中でも、自分は丁寧な仕事を心がけているだけなのに、他人からは遅いと言われ、早いだけで雑な仕事を強いられたり。ある配属先では「検品なんかに時間かけるな、検品なんて適当に数合わせときゃあ好いのだ」とまで言われました。私が職場内で撒いた業務改善や職場環境の改善を呼びかけるビラ配布を会社に告げ口されたり。酷い場合は特に理由もなく、いきなり暴力を振るわれたり。親からも、小さい時に家庭内暴力を振るわれたり、生協に入ってからもパワハラの被害に遭ったり。私の人生は、ある意味、そんな理不尽な暴力や同調圧力との闘いの歴史でもありました。
夢はライターで生計を立てること。記事と希望を売りたい
これも今、漠然とではありますが、私が抱いている理想の生き方です。今までは人に合わせる事ばかり躾けられてきましたが、これからは、もうそういう時代じゃないでしょう。自分の個性がない人間は、かえって「没個性」として「使い捨ての駒」にされるだけです。日本人の美徳とされる「おもてなし」のサービスも、本当に相手を尊重する気持ちから出たものではなく、単に他人の目を気にしているだけじゃないですか。そうじゃなければ、なぜ「おもてなし」の国で、在日朝鮮人差別や生活保護叩きが横行するのですか?「このハゲー!」と暴言を吐く女が、与党の国会議員や政府の政務官になれるのですか?
そういうのを突き詰めていくと、どうしても、今の安倍政権やそれを盲目的に支持するネトウヨ日本人の国民性を問題にせざるを得ないのです。もちろん、安倍政権を倒したからと言って、それで日本が直ぐ良くなるとは私も全然思ってはいません。でも、森友・加計学園の問題一つとっても、あれだけ腐敗した政権がなぜ今も4割前後の国民から支持されているのか?それもこれも、全て「強い者には何も言えず、弱い者に当たるしか能のない」日本人の社畜・奴隷根性ゆえじゃないですか。例の井下が、バイトには偉そうに振る舞いながら、自分の上司や会社には何も言えないのも、全て、この悪しき国民性によるものじゃないですか。
私は、その日本人の社畜・奴隷根性を、ブログを通して少しづつ変えたいのです。それが、今はまだ漠然とした形ではありますが、それが今の私のライフワークです。今の非正規の仕事なんて、それを支える為の飯のタネでしかない。結婚の優先順位なんて、そのライフワークと比べたら、二の次、三の次でしかない。それを、やれ非正規や独身だからとか、そんな物差しでしか人間の値打ちを評価できない奴なぞ、私にとっては軽蔑の対象でしかない。
但し、最初ブログを始めたのは、そんな政治的な動機からではなく、単にパソコン教室で習ったインターネットの技術で自分も何かやってみたいと、単純に思っただけです。それが、ちょうどそのインターネットをやり始めた2001年に、ニューヨークの同時多発テロが起こり、米国がアフガン・イラク戦争にのめり込み、日本もそれに加担する中で、それに疑問を感じて立ち上げたのが、今の私のブログです。「アフガン・イラク・北朝鮮と日本」というブログの名称も、そこから来ています。その後、職場の問題や自分の生活上の問題も取り上げるようになる中で、今のブログのスタイルを確立していったのです。
嫌なことから逃げて何が悪い?耐えれば成長するとは限らない
日本人の勤勉さも、過ぎたるは何とやらです。変に勤勉だから、勤務先がブラック企業と分かっても、なかなか逃げ出す事が出来ず、逆に自分を更に追い詰めてしまい、過労死やうつ病を引き起こしてしまうのです。場合によっては逃げる事もアリです。私が生協を辞めたように。そりゃあ、皆でブラック企業と闘って解放を勝ち取るのに越した事はありませんが、皆が皆、革命家のように振る舞えるとは限りません。そうでない人の方が圧倒的に多いのですから、まずは逃げて、自分の安全な居場所を確保するのが先です。安全な居場所も確保できずに、革命なんて到底無理です。逃げて新天地に移る事で、かえって自分の新たな才能が発揮できる場合だってあります。
その一方で、「これはちょっと違うんではないか?」と思う記事も、いくつか見つかりました。たとえば次の記事。
夢がない若者に喝。ホリエモン「やりたくないってのは逃げてるだけ」
なるほど、言いたい事は分かります。雨宮さんが、そのホリエモンの物言いに感動するのも、雨宮さんの経歴を考えれば、充分納得は出来ます。でも、本当にそれだけで良いのでしょうか?果たして、ホリエモンが言うように「やりたいことがないっていう若者は実現できないと思って逃げてるだけ」でしょうか?
たとえば、奨学金制度でようやく大学を卒業できても、安かろう悪かろうの求人ばかりでは、せっかく就職しても、奨学金の利払いだけで給料が消えていきます。日本の奨学金制度は給付型ではなく貸与型が大半で、学資ローンが半ばサラ金と化してしまっているのが実態ですから。その中で、リストラに遭い失業したり、非正規雇用になってしまったら、もう何百万円もの奨学金の残債を返すのは無理です。世の中には、個人の努力だけではどうにもならない問題もあるのです。そんな事にまで個人の努力だけに原因を求め、「新垣結衣と結婚したかったら、したら好いじゃん?君なら出来るよ。最初からやろうともせずに諦めるのは怠慢」と言ってしまうのは、ちょっと酷じゃないかと思います。
1文字1円ライターの風評被害。スタートはみんな「ゼロ」からだよ
1文字1円のライター報酬を低賃金だの搾取だの騒ぐのは甘えだ。そもそもライター(作家、著述家)は自分の書いたものが売れてナンボの世界。プロ野球選手や競馬の騎手と同じ。サラリーマンなんかの労働者と同列には扱えない。8時間労働や最低賃金の概念なぞ最初から存在しない。誰でも最初はゼロからのスタート。稼ぎたければ自分で努力しなさい・・・。というのが、この記事の主張なのでしょう。
しかし、本当にそれだけの問題でしょうか?例えば、末端のアニメーターが1動画10円などの低単価で、1日15時間休みなしで動画を描き続けて、ようやく月10万稼げるかどうかの収入しか得られないのは、単に作品の良し悪しよりによるものではなく、プロデューサーや広告代理店が、巨大な資本力を背景に、暴利をむさぼる構造があるからです。「ブラック企業→そんなとこ、とっとと辞めたら良いじゃん?→むしろ、人に雇われるより雇う側になれば?→実力主義→弱肉強食で一体何が悪い」…という堂々巡りのままでは、奴隷が奴隷主に取って代わるだけで、奴隷制度もブラック企業も永遠に無くならないと思います。だからこそ、プロ野球選手も労働組合(プロ野球選手会)を作るようになったのではないでしょうか?
海外はもう特別じゃない。「日本を出る」ことを真剣に考えるべし
しかし、そんな賛同できない記事が一部にあったとしても、このブログを読むと勇気が湧いてくるのは確かです。もう私ぐらいの年齢になれば、どうしても悲観的に物事を考えてしまいがちです。自分では慎重に人生の事を考えているつもりでも、実際は単に臆病なだけだったりする。それに対して、このブログは、今までの私にはなかった視点を提供してくれて、非常に気付かされる事が多いです。
上記の記事もそうです。私もそうですが、日本みたいな島国にずっと住んでいて、外国旅行も一度もしたこともない人間にとっては、海外に移住する事自体が、何かとてつもない事のように思いがちです。そんな中で、「地続きのヨーロッパでは、家賃の安い南ドイツに住んで、賃金の高いスイスで働くというのが当たり前」なんて言われると、もうそれだけで元気づけられた気分になってしまいます。それもこれも、地方によってはドイツ語も公用語のスイスだからこそ、余計に可能なのでしょうが。でも、英語もドイツ語もフランス語も、元は同じラテン語だったのですから、だからこそ、ドイツでヒットラーが政権を取りフランスを占領した後も、ドゴールが海外でフランスの亡命政権を樹立し、国内でナチスに対するレジスタンス(抵抗)闘争を組織できたのでしょう。もし、安倍政権が今よりさらに狂暴化してナチスみたいになっても、もうそれで終わりではありません。ドゴールのように海外から抵抗運動を続け、再び日本に舞い戻ってくれば良いのです。今は、もうそれが昔よりもはるかに可能な時代になっています。現に、職場のベトナム人バイトも、日本語を思うように喋れない中でも何とかやって行けているじゃないですか。